「在学中に全員起業」超実践主義の専門職大学

 現在の大学には、大学⇔社会、大学⇔学生の2つのギャップが存在する。社会が求める人材を供給できず、また、広く実社会を対象化したい学生のニーズにも応えられていない。

 超実践主義を掲げる専門職大学の出現は、この2つのギャップを埋める可能性を持っていると思う。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

「在学中に全員起業」 i専門職大学は超実践主義

 在学中に全員が必ず起業する――。こんなユニークな特色を掲げる大学が、2020年春にも開校する。日本電子専門学校などを運営する学校法人電子学園(東京・新宿)が設立準備を進める「i専門職大学」だ。学校教育法の改正により、新たに設置が認められた専門職大学制度を活用する。どのような人材育成を目指すのか、設立準備室室長の宮島徹雄氏に聞いた。

■3本柱はICT、英語、ビジネスリテラシー

(中略)

 2020年春に開学を予定するi専門職大学は、大学と産業界とが連携して学生を育成するプラットフォームを目指すという。1学年は200人で、高校の新卒生だけでなく、社会人や留学生も受け入れる。「i」にはイノベーション、インテリジェンス、インターナショナル、インキュベーションのほか、私の意味も込めた。その特色として学生に求めるのは「ICT(情報通信技術)を徹底的に使いこなす」「ビジネスの現場で実践する」、そして「在学中に必ず起業する」という点だ。

 中でも、「67年の歴史を持つ日本電子専門学校が蓄積してきた、システム開発やプログラミングなどのICTに関する教育ノウハウが強み」と宮島氏は強調する。さらに、使えるビジネス英語、ファイナンスマーケティングなどのビジネスリテラシーが学びの3本柱となる。

(中略)

 重要なポイントは、起業することが卒業の要件に入っていること。「0円起業でもなんでも、起業して自分の足で立てることが重要だと思っているので、起業をしない限りは卒業できません」と厳しい。

学長には慶応義塾大学大学院の中村伊知哉教授が就任する予定だ。京都大学を卒業後、米国でも活躍した日本人ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て旧郵政省に入省という異色の経歴を持つ。

■教授陣には現役の企業幹部を招く

(中略)

 教授陣も富士通NTTグループといったIT(情報技術)企業やメディア企業、ユニークなところでは吉本興業といった大手企業の最前線で幹部を務める現役の企業人が就任予定だ。今回の学校教育法の改正で、実務での卓越性があれば博士号資格や論文実績がなくても専任教授になれ、さらに企業に勤務しながらでも就任が可能になった点を生かす。

 産業界との連携による現場での教育にも力を入れる。ICT産業やメディアなどのクリエーティブ系のほか、金融、製造業など多様な分野の企業が協力し、ビジネスプロジェクトの場を提供したり、インターンシップ(就業体験)の受け入れや学生の起業を支援したりしていく。

 専門職大学の規定では、在学中に600時間以上のインターンシップが必須となっている。i専門職大学は連携する企業に、学生を社員と同様の仕事に就かせてもらう交渉をしているという。それだけに「優秀な学生を集め、2年間みっちりとICTとビジネスリテラシーを学ばせてから提携企業に送り込みたい」と宮島氏は力を込める。

(中略)

 ICTを中心とした専門職大学なので、2020年に小学校の必須科目になるプログラミング教育では、地元校のサポートも検討する。高齢者にICTの学びの場を提供するといった協力も考えられる。また、深海探査機「江戸っ子1号」をはじめ墨田区内の企業への支援に熱心な東京東信用金庫(東京・墨田)との連携も図る。

 学生用には起業を準備するインキュベーションのためのシェアスペースを設ける。教授用の個室は設けず、400平方メートル強のワンフロアを26人の教授がシェアするという設計で、学生と教授がオープンな環境で研究を進められるようにする。プレゼンテーション専用のスペースも設ける予定だ。

 宮島氏は「将来は大学の周りの土地を借り上げて、寮をつくり、学校で食事もし、生活のすべてがここで完結できるようにしたい」と構想を語る。そうした学生の生活費に関しては、「学生による起業の初期費用や人事、法務などのプラットフォームは学校がサポートし、新規株式公開(IPO)などによる収益でまかなえるようにするのが理想」という。そのための会社の設立も計画している。将来性に期待してベンチャー企業が集まり、「シリコンバレ―ならぬ墨田バレ―ができるといいですね」と期待を込める。

 年齢も国籍も様々な学生が集うことになるi専門職大学。「大学の中で多様性を実現し、日本の企業が必要としている世界で通用する人材を育てたい。そして、世界30カ国ぐらいから集まった学生が、共に学んだ同窓生のネットワークを持てるような仕組みもつくりたいと思っています」

※※※引用、以上※※※

 

 

 

 

野崎章

学ぼうとする3つの理由~今、求められるのは感染動機

先日、「子どもの好奇心の伸ばし方」という講演会が行われた。そこで、SAPIX YOZEMI GROUPの高宮敏郎共同代表は、宮台真司氏の著書『14歳からの社会学』にある「学ぼうとする3つの理由」について言及されたそうです。

>「人が何かを学ぼうとするときには、競争動機、理解動機、感染動機がある。競争動機というのは勝ったら嬉しいということ。理解動機というのは分かったときの喜び。もう一つの感染動機というのは、なじみが薄いかもしれないが、一言で言うと憧れ。こういう人になりたいといったモチベーション。」

宮台氏の著書は2008年に出版されたものですが、この3つの動機の内の『感染動機』は、今最も必要とされる重要な動機だと思う。我々大人が子供たちの憧れの存在になれているか。改めて自分の日々の仕事を思い返すいい機会となった。

感染動機と聞いて、スポーツ選手への憧れがぱっと頭に浮かんだ。子供の頃、スポーツ選手の素晴らしいプレーに魅了され、できもしないのに夢中になってその選手のプレーを真似ていた。その時、頭の中には「できる・できない」ではなく、「自分もやってみたい」という思いしかなかった。

大人の役目は、子供たちにこの『感染動機』をいかに与えられるかにかかっているのではないか。

そういった意味では、日々仕事に取り組むとき、「できる・できない」と考えるより「まずやってみる」という行動に移すことを意識したい。我々大人が夢中になって仕事に取り組む姿勢が、子供たちへの感染動機となれば、日本人の活力低下問題は改善に向かうと思う。

 

 

 

長安

【無意味な学校英文法①】学校で教える英文法は英語の意味を掴むためのものではなく、本来は法文や論文を検証するためのもの

先生「今日は不定詞の副詞的用法と形容詞的用法についてです。これらが区別できないと英語の意味をとれないからしっかり理解するように。」
と始めて、以下のような例文解説に続く。
「①I went to the park to play tennis.のto play tennisは、wentを修飾することから、不定詞の副詞的用法なので「テニスをするために」という意味で、文全体は「私はテニスをするために公園へ行きました。」となります。一方、
②I want a book to read in the train.のto read in the trainは、a bookを修飾することから、不定詞の形容詞的用法なので「電車で読むための」という意味で、文全体は「私は電車で読むための本が欲しい。」となります。分かりましたか?」
生徒「???」

これは、学校や塾の英語の授業でよくある光景だ。

そもそも、①の例文で、to play tennisがwentを、②の例文で、to read in the trainがa bookを修飾していると気付いている時点でこれらの文の意味は分かっている。意味が分かっているのに副詞的用法と形容詞的用法を区別することは無意味だ。
さらに、①と②の不定詞が副詞的用法なのか、形容詞的用法なのかを区別しているのは、実は文法ルールではない。I went to the parkを読んだときに「何しに?」という疑問が湧くから“行く目的”を、I want a bookと来たときに「どんな本?」という疑問が湧くから“本の説明”と捉えるだけで、2つの間に本質的な差はない。「テニスをするために」と訳すから副詞的用法、「電車で読むための」と訳すから形容詞的用法というだけのことだ。

つまり、学校や塾、予備校で講師たちが展開している英語の授業でやっている英文法は、“既に意味の判明している”文の構造を分析するための方法であって、決して未知の英文の意味を捉えるための方法ではない。英語教師は、これを、無意識にかもしれないが、英文の意味を捉えるための方法だと偽って授業をしている。従順な生徒はそれを信じて学ぶわけだが、当然英語ができるようにはならない。これが、日本の英語教育が失敗している一因となっている。

実は、この英文構造分析の方法としての“英文法”は、法文や学術論文などの記述の際に、別の意味を表す可能性がないか、誤解の恐れはないかを検証するための手法として使われるものだ。この英文構造分析が教壇で難解な講義をして権威を保とうとする教師たちには好都合だ。(教師にとっては)既に意味の分かっている英文の構造を小難しい文法用語を使って解説することができるからだ。

実際は、

I went to the park「私は公園へ行った」
  ↓「何しに?」
  to play tennis.「テニスをしに」

I want a book「私は本が欲しい」
  ↓「どんな?」
  to read in the train.「電車で読むための」

ここで「何しに?」「どんな?」などと思うのは、理屈ではなく“感覚的”なものだし、多くの場合文脈が規定する。しかし、それでは教壇で偉そうに講義できないからこういう教え方は教師受けが悪い。

学校の目的は、子供に能力をつけることではなさそうだ。

 

 

 

 

行靭如水

子どもを肯定視出来る大人が少ない

中学2年生の英語講師として働いていた学校は、チャイムが鳴る前に1分間音楽が流れる仕組みでした。オランダやフィンランドスウェーデンはチャイムすら無いのに、チャイムの前に音楽が流れるって…と考えさせられました。チャイムと同時に席につける生徒がほとんどいない為でした。

あるクラスで、授業中立ち歩いたり、叫んだりする女子生徒がいました。他の先生達に聞くと、「その生徒は、まともに授業を受けられない子だから仕方が無い。」と言います。その生徒が机に向かわないことよりも、大人が子どもに対して諦めてしまっていることに憤りを感じました。ただ単に決めつけてしまっていることに心底がっかりしましたし、大人が子どもに期待し、希望を持たないでどうするのだと思いました。

勉強はしなくていい。ただ、その子にとって45分間を少しでも有意義な時間にしてもらいたいその一心で、自分だけは全員を見捨てないと心に決めていました。

すると数ヶ月経ったあたりで、自分が手書きでその子に作ったメモをノートに綺麗に貼っているのを見つけました。そしていつの間にかその子は席に座って、鉛筆を片手に私の話を聞いていたのです。

指名しても発言しなかったのは視力が悪くて黒板が見えなかったからということも分かり、眼鏡を買うまでは教卓に座って必死にノートをとっていました。周りの生徒も段々とその生徒をバックアップするようになり、クラスで一匹狼化していたその生徒が、皆の輪の中に入って生き生きしている姿は1年間の講師生活において1番嬉しかった光景でした。

眼鏡を買ってからは、「静かにして、聞こえへん。」と周りに注意するようにまでなり、「最近家で英語の勉強をしているんです。」と保護者に大変驚かれ、感謝されました。

周りの教師達はその生徒が勉強することに驚き、私に感謝しましたが、大切なのはそこではありません。そこからそもそもずれていて、もっと子ども達を肯定視して心から認めるだけで、何人の子ども達が大人から解放されるのだろうと考えます。

そして、学校で授業をする、という意味を見出せない中での1年は地獄で、何度も途中で辞めようと考えていた中で、自分の支えになっていたのがこの生徒の存在でした。周りは私がこの生徒を救ったと思っているようですが、実際は逆で、私がこの生徒に救われていたのです。

一刻も早く日本の教育は変わるべきですが、残念ながら中学、高校の教育が改革されるのはもう少し先のようです。
改革がなされるまでは、せめて子ども達が生き生きする為に学校という場所を利用する、くらいの気持ちで良いし、生き生き出来る場ではないと感じるのなら行く必要はないと思います。

 

 

 

 

匿名希望

夏休みの宿題必要?→学校の無い期間だからこそ、社会に出て体験をする。

8月中旬になり、子どもたちは夏休み真っ只中。
約1ヶ月以上の休み。学校がない分、思いっきり遊びたい!でも学校の夏休みの宿題が沢山ある...という声が多い。

小学生でもかなりの分量。各科目数枚ごとのプリント・自由研究・読書感想文・絵日記など、学校や学年によって多少の差異はあるがこれぐらいの分量。中学生になれば、さらに副教科も増える。

長い期間の夏休みを使って、毎日こつこつ宿題をやっている姿を見ていると、「こんなに沢山の量・機械的にこなすだけの宿題が必要なのか?」と思った。
保護者側は「うちの子は課題がないと家でごろごろしているだけ」・学校側も今までの習慣として続いており、「生徒に何か課題を与えないと」となる。


では、今後何が良いのか?
社会の中で体験をすること。なぜなら、普段生活をしている学校は、現実社会から切り離された空間だから。

リンクより一部抜粋
~~~~~~~~~~~~~
(前略)
――せっかくなら、普段の学校生活では見ることはない現実の社会を見る機会にしたほうが良い、と。

「宿題」というよりは「体験」ですよね。自分の目で見て体験して考えられることっていっぱいある。形式的な上辺の知識ではなく、本当の人の生きざまにいっぱい触れてほしい。

良いも悪いも含めて、多様性にいっぱいふれてほしい。東京地裁はタダだし、山手線を回るのだって電車代だけ。保護者が少し意識するだけで学べる機会は十分あると思います。

夏休みになると、いろいろな団体が子供を集めてキャンプをやったりしますよね。でも、基本的にはあんまり「いいな」とは思わない。というのも、きれいに整いすぎて、予定調和の成功体験しかない。成功するものが決まったものが用意されているだけですから。

(中略)

「自分が将来こうなりたい」「自分が興味や関心ある分野をもっと追求したい」ということを家でしっかりできるような学びのあり方を、子供達と一緒に作っていきたい。

(後略)
~~~~~~~~~~~~~
学校の教科書内容の知識を頭に入れても、それは暗記をしただけ。実際に体験をして五感で感じ取り、実感と繋がってこそ、自分の中に気付きが増える。宿題の中身も、「覚えたことを問題集で出力する」機械的なことではなく、自分で考えたことを相手に伝える「相手発」の視点と感情が加わることで楽しさも倍増するはず。

例えば、
・友達と一緒にサイクリングへ!街のお気に入りの場所をプレゼンする。
・日ごろ「何で?」と思ったことを追求する。
例)「虹が出来るのは何で?」→実際に虹を作って、条件を試行錯誤しながら仕組みを考える。

夏休みの宿題は、宿題だけの問題ではなく、学校教育のあり方とも絡んでいること。時代の変化とともに、教育現場も変化が必要となっている。

 

 

 

 

今重翔子

部活動のブラック化をどうとらえていくべきか。

子供達やその保護者から、部活動に対しての不全を聞くことが多い。
中身としては、部活の活動時間の長さ、や顧問の部活の私物化。例えば、ある子供の話では「顧問が学校活動とは別で行っているスポーツの組織に参加することを生徒達にすすめ、それを拒むと試合に出場できなくなった」といもの。その後、その部は1年ももたず部員が半数に減ったという話。

教育機関であるはずの学校で教育として機能していない部活動。子供達の貴重な時間が多く費やされているが、実態として、例えば、そこで身につけた(勝利至上主義や根性論)が、子供が社会に出た時に、周りの期待に応えていけるものになっているのかははなはだ疑問。といより、軍隊養成を目的としているならいざしらず、今の世の中にマッチしていないと思う。

全ての部活動において、上記の問題性があるとはいえないが、いまだに、軍隊の教育プログラムとしてスタートした部活動の背景が残存している。

最近ニュースでも挙がっている、指導者によるパワハラ問題や、長時間の活動を強いることでの事故など、顧問が絶対的権力者の私物化問題はあることで、そもそも、部活動の成果がどう評価されるかも背景として存在するのか。

このような部活動は子供達を苦しめていることからも「無駄」どころか「弊害」で、子供達に健全な教育環境を用意するという意味において、部活動が勝利至上主義に流れてしまう評価軸や、仕組み時代を、今一度見直すべきだと考える。

例えば、「アメリカの部活動がなぜブラック化しないのか」
リンク

という記事を読んで、日本の部活動との構造を考えたときに、枠組みとして

>一つは、校内での部活動あるいは選択教科としての活動と、地域での校外活動の役割分担ができているということがあります。つまり、校内活動が全てをカバーすることはしないという考え方

があるが、日本社会の現状にあった抜本的な見直しなしには、今の日本の部活動における価値はないどころか、将来の日本の弊害にしかならないと思う。

 

 

 

 

匿名希望

「ブラック部活」から守るには

昨今良く耳にする「ブラック部活」。かつては学校の楽しみ出会った部活が、いつの間にか長時間・過酷な練習、異様な人間関係など、周りの生徒からも部活がしんどい、嫌だと言う話が良く聞く。
一体どのように対応すればいいのだろうか。

以下引用

・部活がしんどい・やめたい……子どもが本音を語らない理由

子どもが本音では「部活がしんどい」と思っていても、その気持ちを意識できないことがあります。なぜなら、子ども自身が「一度始めたことを途中でやめるのは、“負け”だ」「みんなが頑張っているのに、自分だけやめることはできない」といった信念を持っていると、本音に気づくことを回避してしまうことがあるからです。

また人間関係のしがらみに悩んだり、いじめや嫌がらせのターゲットにされている場合にも、「しんどい」という気持ちを自覚しにくいことがあります。そう思うことで友達と距離ができ、孤立することを恐れる子もいますし、いじめや嫌がらせの被害を自覚することによって自尊心が傷つくことを恐れる子もます。こうしてやはり、自分の本音に気づくことを回避してしまうことがあるのです。

しかし、本音に気づかずに過酷な環境に耐え続けてしまうと、そのストレスから心身の病を発症するリスクが高くなります。子どもは自分の健康の状態を俯瞰的にとらえ、生活や人間関係を調整していく能力が未熟です。そのため、いちばん身近にいる大人が子どもの変化に気づき、状態を確認していくことがとても大切になるのです。

◆子どもが本音を打ち明けやすくなる話の聞き方
では、子どもの状態を確認する際には、どのような話の聞き方をするとよいのでしょう。ポイントは、なるべく具体的に尋ねるということです。たとえば「最近、部活どう?」「部活、大変じゃない?」などと漠然とした質問をしても、子どもの答えも「別に」「大丈夫」といった漠然とした内容で終わってしまうでしょう。

そばに寄り添いながら、「以前に比べると、すごく元気がないように見えるよ。部活がストレスになっていないかな。よかったら話してくれない?」というように、ゆっくりと語り掛けてみましょう。子どもは、この時点ではまだ自分の気持ちがわからず、口を開くまでに時間がかかるかもしれません。しかし「親に本音を話してもいいんだ」という安心感を得られれば、抑圧してきた自分の気持ちを打ち明けやすくなるでしょう。

ただし、話したくないように見える場合には、無理に聞き出さないことが大切です。「部活を負担に思うなら、無理をしなくてもいいんだよ。健康でいることが、いちばん大事だからね。考えがまとまらなくても、モヤモヤした思いをそのまま話してくれればいい。一緒に考えていこうね」というように、いつでも話を受け止めることを伝えておきましょう。

◆心身の健康を見守り、場合によっては学校とも交渉を
十分に話をした上で、子どもが「話して楽になった。自分で調整していけそうだから、もう少し頑張りたい」と言う場合には、その思いを尊重し、少し見守ってもいいでしょう。ただし、つらいときにはいつでも話してほしいことを伝え、頑張り過ぎないことや一人で抱えないこと、親から教師に相談できることなどを助言します。そして、引き続き「心・身体・行動」の変化を観察し続けます。改善しないようなら、健康を優先させるためにも部活動を休ませ、顧問や担任の教師に相談しましょう。

子どもが「休みたい」「やめたい」という気持ちであれば、休部や退部という方法を選択するのもよい方法であること、参加しやすい形で部活を続ける方法、部員間の人間関係の調整ができることなど、選択肢は複数あることを示してあげましょう。

いずれにしても、部活動によって学業や健康に支障が出るような状態であれば、子どもが疲弊しないようにしっかりと健康を守ること。そして、子どもの意思を尊重しつつ、本人にとって今、何が必要なのか、慎重かつ総合的な視点から考えていく必要があります。

 

 

 

平野貴正