それって「不正行為?」それとも「チーム力?」

オンラインテストで集団不正行為という記事だが、その不正行為の内容は、

>それぞれ2人から9人がグループになって、同じ場所に集まって問題を解いたり、電話やSNSなどを使って答えを共有したということです。

 とあった。見方によっては、社会人になって求められる「チーム力」といっても良いと思う。答えがあるのは学生時代まで。社会人になれば、答えは無く、最も可能性がある方針を、みんなで最速で出す事が求められる。

 オンライン授業を契機に、これまでの、 記憶力、暗記力を問うテストは消滅していくのではと思う。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

大学のオンラインテストで集団不正行為が発覚

新型コロナウイルスの感染拡大によって、多くの大学がオンラインで授業を行っているなか、オンラインのテストにおける公平性が懸念されていましたが、ある大学で行われたオンラインテストで学生たちによる集団不正行為が発覚しました。

 仁川(インチョン)市にある仁荷(イナ)大学は、3月12日と4月18日にオンラインで行われた医学部のテストで、2年生41人による不正行為が発覚したほか、4月11日に行われた中間テストでも1年生50人が不正行為を行ったことがわかったと1日、明らかにしました。

 大学側によりますと、不正行為を行った学生たちは、それぞれ2人から9人がグループになって、同じ場所に集まって問題を解いたり、電話やSNSなどを使って答えを共有したということです。不正行為に加担しなかった生徒たちからの問題提起を受けて、大学側が答案用紙の対照を行う一方で自己申告を促したところ、合わせて91人の学生たちが自らの不正行為を申告しました。

これを受けて大学側は、再発防止に向けた対策を講じるとともに、学期末のテストについては対面形式で行うことを決めました。また、この大学の医学部はこの日、賞罰委員会を開き、不正行為を行った学生に対する懲戒処分などを議論したということです。

※※※引用、以上※※※

 

 
野崎章

学校に行っていると大人になったときしんどくなる。

始めての投稿です。文章が所々おかしくなるかもしれません。
いきなり本題に入りますが、自分が思ったことですが、学校に行ってると大人になったときしんどくなると思いました。理由は学校に行ってると先生から問題を出されますよね、その問題は答えのあるものしか出しません。なので大人になったときに答えのある問題しか解けず、答えがない問題に遭遇してしまうと困って何も出来なくなります。なので大人になったときしんどくなると思いました。

 

 

 

マツケン 

学歴の価値はどう変わる? 「偏差値の高い大学に行く」ことにしがみつく必要は、もうない

学歴の価値はどう変わる? 「偏差値の高い大学に行く」ことにしがみつく必要は、もうない
リンク)より転載

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■日本とまったく異なる欧米の入試システム

世代人口が減った現在、日本は「大学全入時代」といわれます。大学のレベルを問わなければ、いまの子どもたちは全員が大学に入学できるというわけです。そうはいっても、やはりレベルの高い大学への入学はいまも変わらず簡単ではありません。とくにそういった難関大学は、入学者数を減らして一定のレベルを保とうとしているからです。

では、その「レベル」とはなにか? それは、いまも変わらず、基本的には「偏差値」です。世代人口が多い団塊ジュニア世代が受験生だった時代のような「偏差値至上主義」とまではいかなくても、日本においては偏差値が重視される傾向にあることはたしかです。

一方、日本や韓国などで行われるような、アジア型といわれる入試とまったく異なる入試システムをとっているのが、欧米です。欧米の入試では、日本の入試のように受験生が一斉に同じテストを受けるということはありません。一定の学力を測るスコアは必要ですが、その結果はあくまでも合否を判断する資料のひとつにすぎません。

その一方で、たとえば志望理由やポートフォリオ、エッセイなどの書類をたくさん提出する必要があります。あるいは、何人かの推薦者がいないといけないということも。要は、入学を志望する人物が、いままでにどういうことをしてきて、どういう人たちとかかわってきて、入学したらなにをしたいのかといったことまで含め、トータルの人物像が欧米では問われるわけです。日本における自分の偏差値で表せるようないわゆる学力と呼ばれるものは、あくまでひとつの指標でしかありません。

■大学入試改革が失敗すれば日本の未来はない!?

ただ、日本でも大学入試改革が進行中です。そもそも、なぜ大学入試改革をする必要があったか? それは、いまという時代が大きく変化しているからです。時代が変われば、それに伴って必要とされる人材も変わってくる。ところが、経済界からは「欲しい人材が育っていない」という声が以前から相次いでいました。

そこで、大学入試を変えれば、その前にある高校、中学校、小学校の教育も必然的に変わっていく。そうして、実社会で求められる人材を育てようというロジックで大学入試改革が進められることになったのです。でも、当初予定されていた英語民間試験や記述式問題の導入が延期となるなど、現在は大学入試改革がトーンダウンしているのが実情です。

しかし、仮にこのまま大学入試改革が頓挫して、結局かつての入試と同じようなシステムに戻ってしまったら、「日本の未来はない!」というくらいにわたしは考えています。

先にお伝えしたように、大学入試改革に先んじて2020年から、高校、中学校、小学校の教育も変わっていきます(インタビュー第1回参照)。そのベースとなるのが、新たな学習指導要領。それは、これまでの教育とは異なる「生きる力」を伸ばすことを目指したものです。さらに、現在のコロナ危機で学校が休校に追い込まれ、オンライン化が加速しているなかで、学校教育の意味が問い直されています。もし、学校関係者が、単にコロナ禍の前に戻すことだけを目指すなら、日本は世界の潮流からも完全に遅れを取ることになるでしょう。

さて、文科省によれば、生きる力とは具体的に「学びに向かう力、人間性」「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力」とされています。明らかに、これまで重視されてきたような知識をたくわえる力とは異なるものであり、どれもとても重要な力ですよね。その教育が本当にしっかりと定着するのか。そして、その教育で子どもたちが身につけた力を大学がきちんと評価できるのか。そこに大学入試改革が実を結ぶかどうかの鍵があるように思います。

■今後は学歴が持つ価値が変わっていく

大学入試改革にはじまる日本の教育全体の改革が進めば、「これからの社会で求められる人材」が育つことになるでしょう。ただ、わたし自身は、これからは学歴は万能ではなくなると思っています。

もちろん、これからも学歴はある程度の武器にはなるでしょう。でも、「あの大学を出るくらいのポテンシャルを持っている人なんですね」という程度の評価基準になるのではないでしょうか。それよりも問われるようになるのは、先の欧米の大学入試ではないですが、その人自身がなにをしてきたか、なにができるのか、なにをしたいのかといったトータルの人物像でしょう。

そう考えると、今後は、自分自身の人生の「目的」をしっかり考えることがより大切になります。たとえば、なんの目的も持たないままに東大に行ったところで、東大で過ごす時間はただの無駄でしかありません。それよりも、自分の人生の目的をしっかり見据え、その目的のために必要な大学に行くこと。必要なければ大学には行かずに目的に向かって最短距離で進んでいく。あるいは、必要になったときに行く。そういった柔軟な考え方を持つことが大切です。

大学は単なる通過点にすぎません。その先を見据えて自分の生き方を考えることを、ぜひお子さんに伝えてほしいと思います。

オンライン講義で高い授業料に納得できる?…~多くの学生は大学に戻ってこないことを決めている~

「オンライン講義で高い授業料に納得できる?…大学というビジネスモデルの危機(リンク)」
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アメリカ中の大学がCOVID-19のパンデミックに対する安全対策として、秋からの学期にオンラインで行うことを決め、多くの学生がZoomで授業を受けるために多額の授業料を払いたくないと思っている。大学側は授業にそれだけの価値があることを納得させるのがこれまで以上に困難だと知っている。

平たく言えば、アメリカの大学のビジネスモデルは先行きが明るくない。

サンフランシスコ大学(USF)の学生であるチン・ミンプク(Minh Phuc Tran)はBusiness Insiderに、もし秋以降もオンラインで授業が行われるのであれば、USFの授業を続ける可能性は低いと語っている。

「ここ数カ月の授業体験はあまりよいものではなかった」と彼は言った。

「大学はそこに存在しなくてはいけない。今の状態はそうではない」

サンフランシスコ大学の2020-21年度の学費は5万1930ドルと見られている。しかし、大学における活動(寮生活やスポーツ、その他の活動に参加すること)をすべて失いながら、オンライン授業のためだけにこの金額を支払うことは、キャンパスでの生活をよく知る学生にとっては公平ではないように思えるだろう。

大学が最善の努力をしていたとしても、多くの学生はオンライン学習への転換に不満を持っている。図書館、研究室、パフォーマンス・スペース、クリエイティブ・スタジオといったキャンパスのリソースへアクセスできないことを考えると、バーチャルクラスだけに同じ料金を支払うことを要求するのは難しい。

後略

小学校からの「大量宿題」潰れる前にできること

コロナショックの波を受け、学校も自宅謹慎を余儀なくされていましたが、自宅での自主学習は子供も大人にも負担になるばかりか、
そもそも学校に行ってまですること?学校に行く意味あるの?という思いになります。

以下引用抜粋
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現在の状況をまとめると次のようになります。
【学校側の立場】
遅れた進度を取り戻すため、カリキュラムを消化しなければならないが、学校では授業が十分にできないため、家庭で学習してもらう

【家庭の立場】
まだ習っていない新しい内容は、結局は親が面倒見ることになるが、こんな量はとてもできない

このように2つの立場によるギャップが今回のご相談のケースを生み出していると考えられます。
学校側は、3月であれば復習問題でしのぐこともできましたが、4月以降は新学年のカリキュラムを進行しなくてはいけません。ICTのインフラ整備が不十分なため、その力を借りて授業を進めることも難しく、先生たちも日々混乱した状況にあると想像できます。
一方、家庭の側では、全国各地でさまざまな状況にあると思いますが、前出のデータによれば、授業の態勢が十分にできていないため、家庭内でプリント等を大量消化するという状況に追い込まれていることも少なくないことでしょう。

筆者が先日拝見したある公立小学校が家庭に出したプリントには、次のようなことが書かれていました。
まるで先生の授業進行表のように、「何月何日に何をやるか」というスケジュールが事細かに書かれ、そのとおりにやるようにと指示がされていたのです。
例えば「漢字の成り立ちを調べましょう」「①の問題を解いて丸をつけましょう」「10ページから12ページの音読と漢字の練習をしましょう」というように。日付ごとにびっしりと詳細に書かれたマニュアルのような印象を受けました。ここまで具体的に示されれば何をしたらいいのかという不安は解消されますが、問題はその内容と量が適切かどうかということです。
宿題の量が多いのか少ないのか、感じ方は人によりけりで、主観的な問題ではあります。しかし、5時限目や6時限目まで、全科目でやるべきことが、それぞれ細かく書かれているケースを、この例に限らずいくつか見てみた結果、多くの場合で量が多く、毎日これらを家庭でこなしていくことは、非常に難しいと感じました。
これではさすがに困ると、学校の先生に相談をした保護者の方々もいました。ところがほとんどの方が、先生からは「できる範囲でやってください」と言われるのだそうです。
「できる範囲」というのはとても曖昧な言葉です。保護者たちはさらに困惑し、疑問に思ってしまったそうでした。
それでは具体的に、どうしたらいいでしょうか。


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引用文献:東洋経済ONLINE「小学校からの「大量宿題」潰れる前にできること」より
リンク

学びの場における教員の役割とは

コロナ禍に端を発する学校の休校→再開の流れを受けて、学校・教育についても本当に必要な有り方を問い直す意識が高まっている。

既存の学校をひっくり返し、学ぶ者が主体となって学習に取り組む場として、2019年4月に開校したルークス高等学院は、本当に教員が担うべき役割を提起している。
最も重要な役割は、「課題設定(発掘)・課題管理(進捗確認)・学習環境デザイン(場づくり)」であるとしている。
そして、学びの意味付けや円滑な推進を促す働きかけがあり、従来の教員の主役割であった“教える”は、学ぶ側が本当に必要とした時にのみに担う最小限の役割としている。

これは「オンライン授業における教員の役割」として掲げられているが、オンラインに限らず学びの場を牽引する上で重要な役割であるし、担える人材がいれば教員がいなくとも学びの場は成立することを意味する。

“学校再開”が始まっているが、“旧来の学校”以外の学びの場を模索とする動きは、急速に拡大していくのではないだろうか。

◇オンライン授業における教員の役割リンク
<Loohcs高等学院ブログ>より
////////↓↓引用開始↓↓////////
Loohcs(ルークス)高等学院では
2月25日からオンライン授業に
取り組んでいます。

私たちはオフラインでの学習が
最も効果的であると考えていますが、
この環境の中、できる限り有効に
オンラインを活用した学習を
行って来ました。

ルークスでオンライン授業が
うまく導入できた背景には、
これまでオフラインの学習環境で
築いてきたものがあります。

それがこの4点です。

■学生と教員の関係性の構築
■自走する学習スタイル
■活発な議論ができる環境づくり
メディアリテラシー

今日はこれらの要因の根幹を担う
ルークス高等学院での
教員の役割についてご紹介します。

ルークス高等学院での教員の役割は、

マネジメント
ファシリテート
モチベート
ティーチング

の4つです。

マネジメントとは、
課題設定・課題管理・学習環境デザインを指します。
学生が課題を達成するための環境を作る大切な役割です。

モチベートとは、
学びに対する意欲の向上、学びの意味付けを行うことであり、
学習の意欲を高めることで学習効果を上げるための役割があります。

ファシリテートとは、
学生が円滑に学習ができるようなきっかけや考え方を
与えたりすることで学習を促進する役割があります。

ティーチングとは、
教えることですが、ティーチングは
学生が本当に必要とした時にのみ発揮すべきだと考えています。
重要なことは、学生がいかに学ぶかであり、
教師がいかに知識を伝授できたかではないと考えているからです。
学生の学びに最も意味のある仕方で
複数の教授法を駆使することが教師には求められているのです。

オンライン授業における、
教員の1番の役割はマネジメントです。

学期のはじめには面談を行い、
進路の希望、そこから逆算して何を履修するのか
今学期はどこまで単元を進めるのか
そのためには1日に何をするのか
学生と教員で逆算することからはじまります。

そして1日ごとに
・何をするのか(課題設定)
・どこまで出来たのか
・なぜ出来なかったのか
・どうして行くのか(課題管理)
を教科・時間ごとに確認します。

学生が質問がある時にだけ
ティーチングを行います。

また学生がスランプに陥っている時、
悩みがあって学習が進まない時などは
話を聞いてモチベートやファシリテートを行います。


ただしこのように学生主体の学習環境を
作るには、教員と学生の信頼関係が不可欠です。

そのために毎日全員が揃うホームルームや
雑談の時間、学生と教員が一対一で話す時間も
大切にしています。

~後略~
////////↑↑引用終了↑↑////////

オンライン授業によって、学校史上初めて、必要か否かの判断がつきつけられる

大学教員は、自身の講義の中身を「シラバス」として公開しているが、当然ながら、それは、いかにも文句のつけようのないものになっている。
 
 実際の内容や進め方については、各教員に完全に任されており、実際の中身は、講義を受ける学生以外は知る余地がないというのが、これまで。

 それに対して、オンライン授業は、学生だけが見ているとは限らない。保護者や兄弟、はたまた友達、あるいは、学生がオンライン授業を録画して、ネット上にアップする事も想定される。つまり、オンライン授業は、その全てが一般公開され、評価を受ける事になる。

 これによって、講義の質があがるという期待がある一方、学生相手に「だまし」のような事をやってきた教員や大学は、一掃される事になるだろう。

 そして、これは、大学だけに限らず、小学校、中学校、高校、全ての「学び」に対する圧力となる。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

オンライン授業で大学が変わる 同志社大学名誉教授・三木光範

新型コロナウイルスの感染は収束に向かっている。しかし、大学の授業は「3密」を避けることができないため、春学期の授業をすべてオンラインで行うことを決めている大学も多い。

(中略)

 大学の授業の内容や進め方は各教員に完全に任されている。科目名は決まっているが、どんな教科書を使うか、どんな方法で授業するかは自由である。授業の内容を概略的に示したシラバス(授業計画)はホームページで公開されているため、不適切な内容を書く教員はいないが、受講してみないと内容が分からない授業も多い。

 大学の授業は他の教員や保護者に見せることはない。このため、各教員が何をどのように教えているのかは学生に聞かないと分からない。教室に入ってくるなり黒板の左上から右下まで、延々と難解な数式を書き続け、学生はひたすらそれをノートに書き写す授業、教科書を棒読みする授業、自分の過去の自慢話ばかりという授業もあるそうだ。

 ≪授業の質が問われるとき≫

 こうした授業を続けてきた教員にとっては、オンライン授業でそれが録画されることで、授業の質が明らかになる。録画された授業を他の教員や学費を負担している親が見る可能性があるなら周到な準備が必要となる。

 このため、オンライン授業は、いままで授業の質が不明だったのが可視化されるという革命的なことが起きる。これはオンライン授業の最大の利点である。オンライン授業によって“大学の講義はどうあるべきか”に対する教員の答えが公開される。

 講義の動画やスライドなどは公開情報ではないが、親や友人が見ることができ、さらに授業の一部を学生がネットに上げて批評することができるからだ。こうしてオンライン授業は講義の質を高める作用を持つ。

 一方、ポストコロナの大学の授業ではオンライン授業が進むだろう。なぜなら、非同時刻型のオンライン授業では、講義動画や音声付きスライドを1回作っておけば、翌年度もそれを使うことができる。

 このため、それを予習として学生に視聴することを宿題とすれば、対面授業は質疑応答やディスカッションの時間などに使える。これはアクティブ・ラーニングにも繋(つな)がり、教育効果が高くなる。

 ≪新たな教育へのチャンス≫

 非同時刻型のオンライン授業の最大の長所は各学生が自由な時間に、何度でも繰り返し視聴できることだ。疑問があれば授業を中断し、即座にネット検索で深く知ることができる。すなわち、自分の理解の速度で授業を進めることができる。

 一方、同時刻方式のオンライン授業でも自分のPC内に録画ができるので、あとで見直すことができる。私は最近初めて知ったのだがWindows10では画面の録画機能が標準で備わっている。

 これまで教員の速度で授業が進められてきた。しかし、オンライン授業は自分の理解の速度に合わせてさらに深く学習できる。また、病気などで授業を欠席すると、翌週の授業の理解が難しくなるが、オンライン授業ではこれらの欠点も解消する。教員も学会出張などで講義を休講にすることがなくなる。

 これらのメリットは大学教育に革命的なパラダイムシフトをもたらす可能性があると思う。現在のこの苦しいプロセスを新たな教育の始まりとして捉え、秋学期や来年度の授業に活用できるかどうかが大きな分かれ目になる。大学当局もこれを学生と教員の質の向上に資する機会と捉え、積極的な支援を行うチャンスである。大学も教員も学生もポストコロナで大きな格差がつく可能性は大きい。(みき みつのり)

※※※引用、以上※※※

 

野崎章