幸せになる力は学べる!子どもの頃から幸福について学ぶ

世界156カ国を対象とした、幸福度調査で日本が58位とは知りませんでした。
幸せになることを学ぼうという動きが必要なほど、疲弊している社会は辛いですね…。

以下、引用です。
リンク

2019年に世界156カ国を対象にした幸福度調査では、日本は58位。2015年の46位から年々順位を落としています。そんなニュースを聞くたびに、あなたの子どもが幸せに生きていけるのか、不安になることもあるかもしれません。

今年9月にマイアミで開校した「Centner Academy」は、”幸せになる”ことについて学べる学校です。マインドフルネスやエモーショナル・インテリジェンス(感情的知能)、困難に直面した時の立ち直り方などがカリキュラムに組み込まれています。初年度は、2歳半から6歳までの子どもたち向けの開校ですが、今後、毎年学年を増やしていく予定です。

「Centner Academy」の一日は瞑想からはじまります。
ランチタイムには、マインドフルネス。一日を通して、一般的な教科に加えて、中国語などの語学も学びます。それらと同じように幸せやウェルビーイングの授業も。

教科の種類だけではなく、教え方についても独特な方法を採用。たとえば、トーマス・エジソンについて教える場合、偉大な発明成果だけではなく、誰よりも多くの挫折を経験した事実を語ります。”失敗すること”の大切さを物語として伝えるのです。

創設者のLeilaとDavid Centner夫妻(レイラとデイビッド・セントナー、以下、レイラさん、デイビッドさん)は、自分たちの娘が幼かったころ、納得できる教育機関を見つけることができなかったそう。
そんな中、レイラさんはインドでのリトリートに参加した際、クラスの参加者が成功はしているけれど、幸せではないことに気づいたのです。
私が今、学んでいる幸せについて、子どもの時から教えていれば、世界は変わるのではないか?
という想いから、ポジティブ心理学の専門家で、Happiness Studies Academyを共同設立したTal Ben-Shahar氏(タル・ベン・シャハー、以下、シャハー氏)の指導を受けて「Centner Academy」を設立しました。

シャハー氏いわく、「私の指導者の一人で心理学者のマーティン・セリグマン氏は、子どもの親や教師と話す時、いつも2つの質問をします」。
最初の質問は、
あなたは子どもたちにどうなってほしいですか?
ほとんどの親は 「幸せになってほしい。私たちは子どもたちに良い関係を築いてもらいたいし、健康でいてもらいたい」と答えます。

第二の質問は、
子どもたちは学校で何を学びますか?
大抵の答えは「読み書き算数」です。

「幸せ」と「読み書き計算」の相関関係は、どれほどあるのでしょうか。
伝統的な教科は今でも重要ですが、幸福についての研究結果が増えるにつれ、多くの親が大切だと感じている”幸せ”について子どもたちが学ぶ機会をつくることも同様に必要であるとシャハー氏は考えます。

親は子どもの幸せを望み、子どもたちは幸せになるために学びます。では一体、「幸せを教える」とは、どういうことなのでしょうか?
「Centner Academy」では、ウェルビーイングの5つの側面(スピリチュアル、身体的、知的、関係性、感情)を考慮し、マインドフルネスから人間関係の構築に至るまで幅広い授業を行います。

シャハー氏とその同僚は、幸せについての研究結果に基づいたカリキュラムを開発し、最初にイスラエルでその成果を試しました。シャハー氏が言うには、
効果は確かにあります。幸福度を高め、不安や抑うつを減らし、成績も向上させます。
他の学校では週に1~2回ぐらいは瞑想や幸せについての授業をするかもしれませんが、
ここではDNAに組み込まれているのです。

”幸せになる”環境づくりとして、「Centner Academy」では親との連携にも力を入れる包括的なアプローチをとっています。
なぜなら私たちが最高に素晴らしい環境をつくることができても、帰宅後に親自身の不安や恐怖やプレッシャーを子どもたちに押しつけ続ければ、私たちがしていることの一部を否定することになるかもしれません。
とセントナー夫妻は言います。

また、「Centner Academy」は私立として設立されましたが、今後は“幸せになる力”を身につける教育を広めていくために、公立学校でも低所得者のための放課後プログラム提供も計画しているそうです。
日本でも2016年に教育機会確保法が成立し、新たなフリースクールオルタナティブスクールが開校しています。教育機関の選択肢が増えることで、新たな学びの形も広がりそうです。

そして、人生100年時代と言われる中で、国の指標を「幸福度」で測るブータンのような国も注目されています。子どもたちは、これまでの評価軸を捨て、新たな軸で将来をつくるのかもしれません。
あなたも子どもと「幸せ」な人生を過ごすために、まずは日常の「小さな幸せ」を感じることからはじめてみませんか。

 

 

匿名希望

国やマスコミに落とし込まれる「仕事感」。人類にとっての仕事とは「追求の場」!

人類にとって「仕事」とは何かを考えるきっかけになる記事があったので投稿します。以下、週間:事実報道 2019年10月3日 弟230号から引用です。

『仕事体験がテーマパーク化 それって正しい?』

「子供達に仕事体験」とPRする体験型テーマパークが近年増えた。親からすれば「子供の可能性を広げるいい機会。連れて行こう!」となるかもしれない。でも、それはあくまでも“ごっこ”で、本当の仕事ではない(ごっこ遊びにも良い面はあるが)。それを仕事体験と称して子供に体験させるのは、時間と費用の無駄ではないか。

キッザニアを中心に、大人の仕事を体験できるような施設はいつも混雑しており、非常に人気がある。

用意された数十種類の仕事の中から自分の好きなことや興味を持った仕事を選び、数十分体験し、また次の仕事の体験へ移る。子供も楽しいだろうし、そんな子供の姿を見て親たちもカメラ片手に満足気な顔。
 中略
「ただの娯楽施設だ」と利用する側も運営する側も割り切っていれば何の問題もないのだろうが、学校という非現実の世界にいる子供たちが唯一現実課題へと向き合える貴重な時間が仕事であり、それを公然と『これが○○の仕事です』『楽しみながら社会の仕組みを学べます』などとうたってしまうのはいかがなものか。

<本当の仕事環境を>
 親に管理されていない場所で長い時間働く中で、うまくいくこともいかないことも含めて現実課題(仕事)と向き合うからこそ、原因分析力であったり、突破方針の計画、実行する力であったり、何よりも仕事は常に対象(仲間や顧客)がいるからこそ成り立つことを学ぶことができる。

そういった環境を娯楽施設ではない本当の仕事環境の中で子供たちへ提供し、子供のうちから学べる場を提供していくことが必要だ。
引用終わり

 私権時代の仕事は、いやいややらされている苦役。自分の時間をお金に交換する場とも言えた。その反面プロジェクト×等もあって仕事の醍醐味も感じられた。しかし、今の仕事は働き方改革よろしく、個人の仕事時間の短縮のみで、その中身は問われない。人生の半分以上の時間が国とマスコミから無味乾燥な扱いを受けている。

一方、個人はあらゆる対象がスマホと繋がる身近な対象に変化している。それは社会や会社ではない。全体として、国とマスコミからバラバラな個人の集合体に仕向けられている。

仕事の価値観がぼける中で子供達には数十分の遊び感覚で「仕事」を刷り込まれていく。これでは社会から追求の場がなくなってしまう。

子供達も勉強の強制圧力で生きる活力を消失している。ここから脱出するには現実を対象とした追求力を身に付けるしかなく、正にそれが「仕事」なのだ。


 改めて人類における「仕事」の意味を考えたい。木から落ちたサル=人類は武器を持たないが故に最弱者となった。その結果、生きるために仲間と休む間もなく瞬間瞬間、生きるための追求をせざるを得なかった。
その生きた証を活力源=充足源に代えて生き延びた。実は、この追求が仕事の原点だ。

なんとなく「仕事」は私権時代のにおいがするし追求から遠い感じがする。むしろ、「働く」(=傍を楽にする)等の新たな言葉をを考えながら仕事を追求して行きたい!

 

 

 

酒井俊

類グループの類学舎は大成功!! 2

前回「類グループの類学舎は大成功!」を出した、続編である     

 今回は類学舎の、遊びについてふれて行きたいと思います。まず、遊びって何?等などの疑問をちょっとふれて行きます。     


   *******遊びと活力について********
 類学舎の遊びは、みんなが充足するために、どういう遊びに、しようか類学舎生は考えます。そのためにも追求力、人間力等がつきます

 さらに、時間切れになると、『明日続きをやろう!!』『何をする?』等の言葉がたくさん出てくる。 しかも、『後もう少しなどの』要求の言
葉まで、出てくる。

         遊びについて類学舎生は?
 楽しい 時間がすぐなくなる 疲れない (小4 女子)

 学校とは、違って、類学舎の方が楽しい。(小6 男子)
 
 これだけしか出なかったが、学校と類学舎の遊びの違いは、明らかである。学校のほとんどの遊びは、教師の強制圧力によって『充足する遊び」じゃなくなってきてる。わかることは、教師が、子どもの追求力等を、強制圧力で封鎖していることは、明らかである。


 最近の子どもたちは、ゲーム、スマホ等を遊びと言っているが、単なる娯楽にしか過ぎない。

 今の多くは、類学舎の遊びではなく、ゲーム、スマホ等の、娯楽の方の遊びでである。今の現代の多くの子どもたちは、暗い顔で過ごす子どもたちが、たくさんいる。もしその暗い顔を、明るくしたいなら、みんなが充足する遊びを、徹底的に追求することが最善の方法である。

 

 

青木桜奈

最も身近に教育の問題性を感じている教師が「大学入試改革」の足を引っ張る

2020年度から始まる大学入試改革を批判する意見が挙がっている。
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リンク
「大学入試改革の中止を求める抗議が10月4日、文部科学省前で行われた。元私立教員の田中真美さんが呼びかけ人となり、学生や市民ら延べ150人(主催者発表)が集まった。」
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 彼らは不安・準備不足などを理由に反対しているが、すべて従来の教育制度に対する価値観・有効性を踏襲しそれを維持しようとするもので、その教育制度がこれまでどれほど多くの子供たちを苦しめ、社会でまっとうに生きていけない人材を作り出してきたかという反省はどこにもない。

 実施するにあたって不安・準備不足が懸念されるのであれば、それをいかに取り除くためにどのような手を打てばよいかを考えるのが当然の発想だが、思考停止している彼らは体制を批判するしかできないらしい。

 しかもそれが最も現場の状況を知っている元教師が発起人となり、なぜ今回の改革が必要か反対するなら最も知っているはずの(しかもそれは公報化されている)議員が、目先の与党攻撃ネタとして利用している状況は、子供を置き去りにしているとしか言いようがない。

 大学入試という、「大卒」という肩書を手に入れるだけの資格試験こそ廃止するべき制度だと改めて実感する。

 

 

じゃがじゃーが

体育座りは身体に悪い。学校で

正座も旧来日本の正しい座り方ではなかった。
そもそも畳みが普及していなかったため。

現代でもみんな学校で体育座りなど座り方をさせられてきたが身体に悪いことが判明した


以下引用:リンク

お尻が痛いのに…「集団行動」として広まった
 「ずっと体育座りをしていてお尻が痛かった」。東京都内の小学5年生の女子は昨秋の運動会の後、母親にこう訴えました。例年は椅子に座っていますが、本年度は他校のグラウンドを借りたため、長時間地面に座らなくてはならなかったのです。

 「『体育座り』は1965(昭和40)年に文部省(現・文部科学省)が学習指導要領の補足として発行した『集団行動指導の手びき』で『腰をおろして休む姿勢』として紹介され、全国に広まったようです」と話すのは、日本身体文化研究所代表で武蔵野美術大講師の矢田部英正さんです。

 学校では、体育の授業だと数分、全校集会などでは数十分から1時間近く座っていなくてはなりませんが、子どもたちの姿勢が持続するのは5、6分。それ以降はもぞもぞ動いたり、座り方を変えたりする子もいるようです。

膝を抱え込む座り方は、座骨への刺激もある 
 矢田部さんは「膝を抱え込む座り方は、内臓が圧迫され、座骨への刺激もあります」と指摘。集団行動の手引には体育座りの状態で背筋を伸ばす、と書かれていますが、「腰への負担も心配」と話します。長時間座らなくてはいけない時や、体の大きな子にとっては、体育座りは負担の多い姿勢のようです。また、海外ではほとんど見聞きしたことがないそうです。


体育座りの体への負担を指摘する矢田部英正さん

 集団行動の手引の留意事項には「集団行動の様式だけを取り上げて形式的に指導したり、必要のない場面で画一的な行動様式を強要することは決して望ましいものではない」とあり、文部科学省も「体育の授業などでの座り方として、体育座りが絶対ではない」としています。にもかかわらず、なぜ長年「体育座り」が主流になっているのでしょうか。

「○○学校スタンダード」マニュアル化が加速
 東京大学教育学部付属中等教育学校で保健体育を教える浅川俊彦教諭は昨年10月、矢田部さんを招いて、体育座りについて考えるイベントを開きました。浅川さんは子どもたちの体の自由度を考え、体育座りをさせていません。「子どもたち自身が心地よく、集中できる座り方を考え、選べるのが望ましい。でも、教育現場でいったん『標準』として導入されると教員は思考停止し、子どもたちにとってより良い方法は何かを考えなくなってしまう」と話します。特に近年は、各校で「〇〇学校スタンダード」などと、指導内容をマニュアル化する動きが加速していて、それぞれの教師や学校が工夫をする余地が少なくなっていることも、「体育座り」のように長年続いてきた方法が見直されない背景にあると感じています。

 矢田部さんも、「一つの座り方が標準とされることで、体にとってより良い座り方が禁止されてしまうことは問題。実際に子どもたちの身体への負荷がどうなのかを考え、現場レベルで柔軟に対応していくことが重要では」とアドバイスしています。

体育座りに代わるオススメの座り方は?
 では、体育座り以外にはどのような座り方があるのでしょうか。

 矢田部さんは室町時代の絵巻物で昔の日本人がどのような座り方をしていたかを調べたことがあります。「意外かもしれませんが、昔は『体育座り』はもちろん、『正座』でさえほとんど行われていなかったのです。代わりに行われていたのは胡座(あぐら)の足先を床に着けて座る『安座(あんざ)』や安座の片方の足を立てて抱える『楽立膝(らくたてひざ)』です。これらは長時間座るのにも適しています」

図解 長時間座るのに適している「案座」「楽立膝」

 実際に座ってみると、おなかが窮屈な感じはなく、背筋も伸ばしやすく感じました。室町~江戸初期の茶道の場では立て膝が正式な座り方とされ、また、ヨガや座禅の場で長時間、胡座で座ることなどからも、それが裏付けられているかもしれません。

 一方、家庭などでは椅子に座ることがほとんどのため、最近の子どもたちは下半身の関節が硬くなっており、床に座ることに困難を感じる場面も多いといいます。関節を柔らかくするには足のマッサージや、日ごろから畳やフローリングに座る時間をつくってみるとよいそうです。脛の内側を親指で押さえながら足首を回すマッサージを教わったので、行ってから正座をしてみると、マッサージをする前に比べて足首の硬さが取れ、苦手な正座も楽にできると感じました。

 「関節が柔らかくなると、地面からの衝撃を吸収し、けがが少なくなるなどいいことずくめ。幼少期に体が楽で集中していられる座り方を手に入れることは、大人になってからも様々な場面で役立ち、人生の大きな財産になるでしょう」と矢田部さんは話しています。

 

 

おぬこ

まともな先生が学校に残らない構造

尾木ママ」で親しまれている尾木直樹さんへのインタビューから引用します。
優秀な教師が学校に残りにくい構造ってこういうことなのですね!

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リンク より引用します。(途中から引用)

――教育を取り巻く環境が平成の間に、いろいろな面で変わってきましたが、尾木さんが最も印象に残っている出来事はなんでしょうか?

いちばん印象に残っているのは、2011年の10月11日に起きた、大津市の中学2年生のいじめ自殺事件です。(※3)どうして印象に残っているかというと、その前にもいじめで大きく話題になるような残酷な事件があったのですが、大津の事件は本当にむごくて、いじめ自殺の練習までさせられていたらしいという話も流れて、大変な衝撃を生んだんです。
(中略)
そして、あの時は大津市教育委員会が隠ぺいを試みた、校長も隠ぺいをしようとしたということがあって、第3者の調査委員会が設置されて、ご遺族側と市側と、3人3人で人数を出して、僕はご遺族側から推薦されてメンバーに入ったんです。

すごく印象に残っているのが、初回の調査委員会の時に、まず学校訪問をしてみよう、どんな所にあって、どんな校長先生なのか、お会いしてみようということで訪問したんです。

そして、校長先生から話を聞いていたら、廊下がザワザワしているんです。何だろうと思って、耳を澄ましたんです。そうしたら、外から地鳴りのような低いうめき声で、「尾木ママ隠ぺいされないで」、「尾木ママ隠ぺいされないで」と言ってドアが揺れているんです。みんな押しかけて来て、「隠ぺいされるな」って事を言っているんです。

そして帰りに外に出たら生徒に取り囲まれて身動きが取れなくなって、生徒たちが「先生、隠ぺいされないでください」「尾木ママ頼むよ」って言うんです。そこで、「僕は絶対に隠ぺいされないから安心して」と子どもたちに約束したんです。あの叫びが今もずっと、多分一生耳から離れないと思います。

だからその叫びを受け止めながら、これまでいじめの問題と向き合ってきたつもりなんです。だからどうしても教育委員会とか先生方に、ちょっと厳しい言い方になるの。尾木ママっぽさがなくなって、きつく言ってしまうのよ。

◆教育村の構造的問題
――隠ぺいはその学校の特異な例なのか、それとも教育界に共通する原因があるのでしょうか?

 構造的な問題があって、「教育村」とよく言われますが、教育委員会と学校は一体なんです。世間一般的には、教育委員会は1段上で、指導機関だと思うでしょ?役割的には確かにそうで、校長を評価するのは教育委員会で、指導主事が査定します。構造的にはそうだけど、実は一体なんです。

なぜかというと、教育委員会の指導主事の先生方が、教育委員会の職員のままで退職する事は絶対をつけていいぐらいありえないです。教育委員会の指導主事は、必ず現場の校長職なり教頭職について、そこで定年退職を迎えられるんです。

どうしてかといいますと、給料体系が教師の方がはるかにいいんです。だから市町村の職員のままで終わってしまうと、先生に比べて給料が低いんです。だから高い所に身分を転換しておいて、そこで3年とか4年ぐらい勤めて定年退職を迎えると、給料も高くてボーナスも多いし退職金も多いと。そんなんでとにかく現場に下りるんです。

それに学校にはナンバースクールというのがあって、市内に10校あったら第1中学校が最もブランド力が高いんです。そこの校長が教育長になるという、取り決めではないけど不文律があるんです。大津市の場合もそうで、あの事件が起きた学校の校長先生が教育長になる予定だったんです。

 自分たちの教育委員会に来る人を悪く言えますか?追及できないでしょ。そして市の教育委員会の指導主事の先生方にとっては、市内の小・中学校に、いつ自分が校長になってお世話になるかもわからない。親からクレームついたからといって、しっかりやれなんて言えますか?言える訳ないから同僚目線で、うまくやっておきなさいで終わるんです。
(中略)

◆子どもの権利の尊重を

――教師の質の低下も指摘されるようになりましたが、その実感はありますか?

 僕は法政大学の教職課程センター長を務めていましたので、送り出すほうから言えば、年々レベルは上がっています。それは、教える側の力量も付いてくるし、文科省もいろいろな改善策を持ってきますから、力はついているんです。でも教師は出た先の3年が勝負なんです。

その職場について僕のゼミの卒業生なんかが、1年たって2年たって、口々に言うのは、「尾木ゼミで習ったのとまるで別世界だ」って言うんです。「苦しくてしょうがない」って言うんです。現場がかなり管理主義になっていて、初任者研修で指導教官が付いて、生徒の見てる前で間違いを指摘したりしちゃうわけです。よかれと思って政府が取り入れたものが、先生方を締めつけるだけなんです。

そうすると、子どもたちにとって、バイトの先生みたいに見えてしまう。その先生とともにクラスのいじめをなくそうとか、頑張ろうという気持ちがなくなって、子どもたちも指導教官を頼るようになってしまって先生が育たないんです。

だから悪循環になっていて、もちろん指導教員によっては優れた方もおられて、その先生が上手に指導されて、ぐんぐん力がつく人もいるのですが、全体的な制度から言えば、失敗に終わったと思っていて、現場が疲弊していますね。

それから一般的に職員会議がなくなって、みんなで議論して、その議論を新しい人とか未熟な先生が聞いて学んでいくという機会もなくなったんです。現場の管理体制が強化される中で、教員が育ちにくいという状況が広がっていると思います。  (後略)

 

 

 

がらがらどん♪

学生の「学び」は大きな変化を迎えている

学校教育は、高度成長期に早く同じものを一斉にできる人たちを育てるための教育から、変化が激しくて、どんどん順応しなければならない社会に必要な教育へと変化していっています。

→このように外圧状況に応じて学校教育も柔軟に適応していければ良いが、多くの学校はそうなっていかいない。もはや『学校は終わっている』というのが実態ではないだろうか?

☆「普通に今思っていることでいいんだよ、その考えは変わってもいいのだから」とうい親のスタンスに共感します。

リクルートマネージメントソリューションより引用します。
リンク

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(引用はじめ)

小宮山:2011年に小学校に入学した子たちの65%が今(存在し)ない職に就くといわれています。今彼・彼女らがなりたい職業の上位に「YouTuber」が来ていますが、もう少し経つと全然違うものが出てくるかもしれなくて。私も小学生の子供がいますが、親からはあまりアドバイスができないなと思っています。(子供が)やりたいと思うことについて何か与える、環境を整えることしかできない。自分たちとは時代背景が変わっていくと思うからです。

学校教育は2020年に大改革が行われるといわれています。改革の主な軸は3つ。1つ目は「主体的な学び」。リクルートマネジメントスクールで掲げているセルフマネジメントにも通じるところです。2つ目は「英語改革」。日本はライティングとリーディングを中心にやってきたので、これまでやれてこなかったスピーキングとリスニングをやっていこうと。小学校3、4年生から英語学習をスタートして、小学校5、6年生から英語を必修にしていこうという動きがあります。3つ目は、2つ目にも関連しますが「大学の入試改革」。英語の「4技能評価」への転換の他に、共通テストで数学と国語については記述式が入ってきます。回答だけでは見ることのできない思考力や表現力も含めて総合的評価をしよう、という流れです。

並行してテクノロジー面でも、プログラミング教育も2020年小学校で必修化されます。スタディサプリもそうですが、タブレットを使って勉強するスタイルも広まっています。自治体によっては授業のなかでスタディサプリを見ながら学習するところもあります。世界的な流れとしては5G(※2)が来るので、動画を使った学習が主流になると思います。

渡部:時代が変わったというのは本当にそのとおりで、親は選択肢や機会を示すことしかできないなと思います。でも一方で、子供たちが正解を欲しがると感じることもあります。今後の教育のなかで、主体的に、自分で選ぶという方向に転換していくと思うのですけど、大人も子供もマインドセットを変えていく必要があると感じています。「答えがない」のは、自由を楽しめる人にとっては嬉しいことですが、道筋が示されている方が安心するという人にとっては不安な状況でもあります。

小宮山:学校教育は、高度成長期に早く同じものを一斉にできる人たちを育てるための教育から、変化が激しくて、どんどん順応しなければならない社会に必要な教育へと変化していっています。答えが1つというのは通用しないんですよね。正解が1つであることにマインドセットが縛られてはいけないなと思っていて。
YesかNoか、正解が分かっている人しか手を挙げてはいけない、という質問ではなく、HowやWhatを聞くような質問が重要だと思っています。

渡部:HowやWhatを聞くような質問については、僕も家でやるようにしています。例えば子供に、「君はどうしたい?」とオープンクエスチョンで聞くんです。「お父さんは、君がどうしたいかについての答えを持っていないし、どうしなさいとは言わないから自分で決めていいんだよ。ただそう決めた根拠だけ教えて」と言うと、「学校で習っていない」という返事が返ってくることも。子供にもすでに、「答えがある」というマインドセットがあるんですね。さらに質問で掘り起こしていくと、だんだん自分なりの答えが出てくるんです。子供も最初は正しい答えを出さないと、と思ってしまう。

小宮山:答えが何なのか、親が何を求めているかを考えちゃうんですよ。だから私の場合、わざとバカっぽい答えをしています。何か真面目なこと言わなくてはいけないのでは、と思わないように。そうではなくて「普通に今思っていることでいいんだよ、その考えは変わってもいいのだから」と言うといいかもしれませんね。

(引用おわり)
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匿名希望☆