娘をハーバード大に現役合格させた母の家庭学習法①

テレビ番組では「バブリーお母さんの5分の教育法 リンク」と紹介されていた様ですが、もう少し詳しく知るために、ご本人の記事を紹介します。
リンク より転載させて頂きます。

小学からずっと公立学校、塾には通わないで、ハーバード大学に現役合格した廣津留すみれさん。彼女の母・真理さんが明かしてくれたのは、家庭教育を最重要視する教育法だった。

文・廣津留真理(Dirigo代表)

2012年、大分の県立高校に通っていた女子高生・廣津留(ひろつる)すみれさんが米ハーバード大学に現役合格するというニュースが話題となりました。一見、普通の高校生活を送っていたかに見えたすみれさんですが、「模試は受けない」「苦手科目は捨てる」「宿題は丸写しでいい」など、母親・真理さん流の家庭教育は実に個性的なものでした。

『世界に通用する一流の育て方リンク』の著書もある廣津留真理さんに、その教育方針について語っていただきます。

■子どもの教育を学校や塾に丸投げしない

2012年、一人娘のすみれが地元大分の県立大分上野丘高校から米ハーバード大に現役合格しました。当時、ハーバードを受験することは、ほとんど公言していませんでしたから、学校の先生も同級生も、かなり驚いたそうです。

おかげさまで娘は今年5月、ハーバードを無事卒業、9月からはニューヨークのジュリアード音楽院修士課程に進んでいます。

地方の学校から海外のトップ大学に合格するのは、生まれつき優秀な学力を備えた、「特別な資質を持つ子の事例」のように思われるかもしれません。しかし、親が学校や塾に勉強を丸投げしないように意識を改めることから始めれば、スポーツや芸術分野では当たり前の「海外進学」が、一般の大学選びにおいてもこれからの時代の進路選択のひとつになると私は思っています。

特に、ハーバードのように奨学金が充実していて、入試が学部ごとに分かれておらず受験生全員が同じ試験というのは、まず学部を決めてから入試に取り組む日本の高校生に比べると、進路決定に数年の余裕がもてる点でありがたいことだと思います。

進学、就職でも何にせよ、進む道を決めて備えるのは子ども自身ですが、「世の中の幅広い選択肢に気づく子どもに育てる」のが家庭の最重要課題だと私は考えてきました。

■学習塾には通わない、家庭学習を最重要視

娘は幼い頃から一度も学習塾に通ったことはありません。それは何より、私自身が家庭学習を重視してきたからです。

もちろん、最初から確固たる教育理論など持ち合わせていたわけではありません。娘を妊娠したときから、私は家庭学習の準備を始めました。学術書を含めて、育児本を200冊ほど読むことからスタートしたのです。

時間を自由に使える幼少期は、家庭学習の機会にあふれています。特に力を入れたのは、私自身が好きだった英語と音楽です。娘が0歳のときから英語と日本語の絵本を「読み聞かせ」して、2歳からは娘1人でも読める市販の教材や手づくりの絵本で日本語と英語の読み方を教えました。

バイオリンも2歳からはじめ、その後、演奏会で披露したりコンクールで入賞したりしました。「バイオリンを習わせていた」というとお金持ちだと思われそうですが、わが家は地方都市・大分の平均的な家庭です。

娘にバイオリンを習わせることができたのは、幼稚園は年長の1年だけしか通わなかったこと、それに塾通いを一切しなかったため、学費を抑えられたことが大きいです。小中高すべて地元大分の公立校で、その12年間通算の学費はたった50万円ほどでした。

昔ながらの5教科7科目対策にかける労力を削ると、財政的にも時間的にも、できることの選択肢がぐんと広がります。そこから子どもが自分で選んだものは、親が口を挟まなくとも喜んで、勝手にやっていきます。

~②につづく

 

 

 

橋口健一

娘をハーバード大に現役合格させた母の家庭学習法②

リンク より

■義務教育は学校で、それ以外は家庭で

私の子育てのモットーは、「義務教育は学校に外注、それ以外は家庭学習」。

家庭学習では、親が得意なことを子どもに伝授するのが基本と考えてきました。

娘が6歳になるまでに私が教えたのは、日本語(漢字)、英語、算数、音楽、体力づくり。大分のような地方都市では珍しく自動車免許を持っていない私は、普段からよく歩くのですが、娘が幼い頃は毎日のように2人で散歩しました。

子どもなら散歩でも十分体力づくりになりますし、歩きながら道ばたの草花を愛でると、季節の移ろいを味わうこともできます。

私は「子どもは未来人」だと考えてきました。未来からやってきた子どもたちからみたら、今の世界は“自分たち未来人のまったく知らない、遅れた文明の世界”です。今の地球の仕組みをまったく知らない彼らに、「ナゼこんなこともできないの」「何回やってもナゼできないの」と言ってもムダです。

彼らの住む未来は、コミュニケーションに文字は不要で、気象も正確に予測でき、○○地所が宇宙に家を建てているかもしれないのです。今の私たちの文明レベルを理解してもらうには、文字・数式・芸術・コンピュータなど現代の私たち大人が使っているあらゆる「記号」を一つひとつ丁寧に根気よく説明し、森羅万象を楽しめるよう“おもてなしの心”で接するのです。

■問題は解かず、答えを丸暗記

私は娘に学校の勉強は平日にこなし、週末は学校の勉強ではなく、「人生勉強」をするように幼い頃から促していました。

私自身は学校の勉強を重視していなかったのもあり、娘に提案したのが「学校の宿題は解かずに答えを丸写ししながら丸暗記する」ことでした。

先生が生徒を信頼して、解答つきの問題集をそのまま配布し、それを宿題にすることがあります。そこで答えを丸写ししつつ丸暗記。答えを暗記してから提出するので、決して「サボった」ことにはなりません。問題を解く時間をカットして理解を優先したまでです。

ただし、宿題を拒否するのは社会のルールに反するので、きちんと提出すべきでしょう。ならば宿題の本来の目的である「学習」をすればよいわけで、解くと時間がかかる問題は丸写し&丸暗記すればよい。こうして余った時間は有効に使うのです。

私は、娘が幼い頃から休日になるとささやかなホームパーティを開いていました。私自身が友人や知人と楽しくおしゃべりする機会を作り、娘にはさまざまなバックグラウンドを持つ人たちと触れ合ってほしかったのです。

それぞれのゲストが持ち寄って手料理をふるまっていると、おいしいご飯の評判を聞きつけて外国人も訪問してくるようになりました。彼らと英語で会話を交わしているうちに、娘の英語力と国際的な社交力もかなり底上げされたようです。

子どもの頃からこうした交流を通じて場数を踏んでいれば、社交性や社会性は無理なく身につきますので、これは大人になっても役立つ人生勉強になるのではないかと思います。

■自分の子供時代を追体験しながら──

宿題は答えを丸写しでいい、だけではなく、他にも、模試を受けるな、成績1番にこだわるな、塾に通わない、など、私が娘に言ってきた勉強の方針はいろいろあります。あらためて考えるとロクなことを言っていないようですが、このくらいドラスティックなことをしない限り、時代に先を越されてしまいます。

いま流行っていることは、すでに時代遅れ。常に時代の先を読みながら子育てをしたいと思ってきました。私にとっての子育ては「娘が明るく楽しい未来を実現してくれるためのお手伝い」。子育ては親が自分の子ども時代を追体験することでもありますから、ぜひ楽しみながら、何らかの家庭学習の参考にしていただけたらと思っています。
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転載おわり

 

 

 

橋口健一

受け入れるだけの学びは今すぐやめよう

IQ170の13歳少年ジェイコブ・バーネットくんの語り。彼はたまたま「学ぶことを止めなければいけない状況」になった。だから、新たな創造する=追求する思考に向かった。
学校から強制される勉強がいかに人類本来の追求思考を奪っているか。考えさせられた。
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「学ぶことを今すぐやめよう」 IQ170の13歳少年が語った、”天才”の条件
リンク
より抜粋

▼受け入れるだけの「学び」は、もういらない

でも私は、みなさんのやり方が間違っているということを伝えるためにここにいるのです。そうです、確かに私は言いました。みなさんは、間違っているのです。成功するためには自分独特の観点から物事を見なければいけません。

……どういう意味でしょうか? みなさんが何かを考えるとき、自分自身の創造的な方法で考えなければならない、すでに目の前にあるすべての物をただ受け入れるだけではいけない、ということです。

▼2歳の時に自閉症と診断された

今、ここで正式に自己紹介をさせてください。序盤にそれをしていなかったので……。約11年前、私は自閉症であると診断されました。それは、私が本当に細かいことに集中し、まるで何も考えていないかのように見えたということを意味します。
(中略)
でも私はその歳の頃、本屋に行きました。教科書を買い、そこからの情報でケプラーの法則を引き出しました。僕が学習や考えることをする、とは思われていなかった時にです。他の人から見ると、私の将来はあまり良いものではありませんでした。フィンガーペイント(指を使った塗り絵)もしていなかったし、絵本の時間もなかったし、2~4歳の子どもがすべきことを全然していませんでした。

そのために、私は特別支援のクラスに入れられたのです。とても特別すぎて、私が学ぶことは何もありませんでした。

その間、私は学ぶことを止めなければいけませんでした。特別支援クラスにいて、学ぶ術がなかったからです。私は何も学ぶことができませんでした。でも、その頃、いろいろなことや、たくさんの影について考え始めたのです。それが私が今、天体物理学、物理学、数学を好きな理由だと思います。学ぶことを止めなければいけなかったため、今の私があるのです。
(中略)

▼学ぶのをやめた結果、天体物理学の課題を解明

本題に戻りましょう。少し逸れてしまいましたね。関係ないことは払い落しましょう。3年前、私は微積分学の授業を受けていました。私はその授業では後ろのほうに座われるように、決断したことがありました。それは、代数、三角法、他の中学の教科、高校で学ぶ数学、そして大学1年で習う微積分学を2週間で学ぶことです。すべてはそのクラスで後ろに座るためです。私は当時10歳でした。

そして当時、私は大学にも受かっていました。まだ10歳でした。もちろん入学のために面接を受けなければいけませんでした。大学ってそういうものですよね。面接に行ったのですが、私はその時、駐車場の支払いのためにたくさんの小銭を持っていました。そして、面接室の中ですべてをぶちまけてしまいました。そのおかげで、面接官は私がまったく常識知らずだと思ったのでしょう。1学期入学が遅れました。

そのため、私も学ぶことを止めなければいけなくなったのです。私は何をしたでしょうか? 学ぶことを止め、ゲームを始めましたか? いいえ! 私はいろいろな形について考え始めたのです。

私は当時、とても興味があった天体物理学のある問題について考えていました。今でもまだ興味があることですが。私は、それからの2週間、それらの形、この問題について考えていました。しばらくして私はそれを解決しました。私はこの天体物理学の問題を解決したのです。
(中略)
学ぶのを止めなければいけなくなったために、私は考え始め、問題を解決したのです。

▼「学ぶ」代わりにすべきこと

私たちが今日ここでしたことをまとめてみましょう。アインシュタイン、ジョンソン、ニュートン、その他私が話した人はみんな、天才でしょうか? それが彼らが特別だった理由でしょうか? 天才だったから、それぞれの発見をしたのでしょうか?まったく違います!それが理由ではありません。

彼らがしたすべてのことは、学ぶことから考えることへ、そして創造することへ移行したということです。メディアは今、彼らを天才と呼びますが……。彼らはもちろん高いIQを持っていたでしょう。でもご存知のように、高いIQを持ちながらもこのような創造をしない人もたくさんいるのです。
(中略)
私がみなさんに今日のスピーチから得てほしいものは何でしょう? これからの24時間、もちろん学校や何かがあるとは思いますが、そして土曜日ではありますが、私はみなさんに、これからの24時間、何も学ばないでほしいのです。今から24時間、何も学んではいけません!

その代わり、みなさんにしてほしいことがあります。みなさん、何かに情熱を持っていますよね。私はここで11分間話しているだけですから、それが何かはもちろん知りません。でもみなさん、何かしらに情熱を持っていて、ご自身ではそれが何かを知っています。ですから、その分野を学ぶ代わりに、その分野のことを考えてほしいのです。その分野の生徒になる代わりにその分野に”なって”ほしいのです!

それが音楽であろうと、建築、科学、その他のものであろうと、その分野のことを考えてほしいのです。もしかしたら何か新しいものを創造できるかもしれません。
(以後略)
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(引用以上)

 

 

 

小平健介

安易に読書感想文を書かせることの弊害

下記の記事を読んで、自分が文章を書くことへの抵抗感・非充足感が小学校時代の読書感想文に起因していることを確信。原稿用紙の指定枚数を埋めるための思考が冗長な表現を助長し、表現力も身について行かない。
さらには読書感想文はその効果も確認されていない、単なる慣習としての強制圧力という事実は驚愕。根拠のないものは冷静に見直した方がよい。

■安易に読書感想文を書かせることの弊害(リンク

:::以下引用:::

読書感想文を書かせるという教育は間違っている。

私の経験から言えば、小学校というやつは、とにかく感想文が好きだった。この教育方法は、子供たちを読書嫌いにさせ、作文嫌いにさせる。

 だいたい“読書感想文”に一体何を書けと言うのか。私には、次の形態の読書感想文以外書けなかった。

……(あらすじ)……+「面白かったです。」
……(あらすじ)……+「面白かったです。」
……(あらすじ)……+「面白かったです。」
          :
 感想がないところへ来て無理やり感想文を書かされる上、このように書くと「感想文は、あらすじのことじゃありません! 感想を書きなさい」と怒られるのだ。

 もし論説文であれば、その意見に対する自分の意見を書くこともできよう。しかし小説を題材にして感想文を書けというのは少々無理がある。感想文に「つまらなかったです」とは書けない。「どこがつまらなかったのかを書けば立派な感想文だ」というかもしれないが、つまらなかったことに理由を求めること自体ナンセンスだと私は思う。読んだけど面白くなかった。ただそれだけのことだ。

 感想文でなくて書評を書けというなら、もう少し話は分かる。しかしその場合、専ら書評を書く訓練を目的に短期集中的にやることとして欲しい。つまり、全ての読書に対してそれを求めるのはやりすぎだということだ。感想文は単純に「本当に本を読んだという証拠」としての意味合いが期待されている面があると思う。「夏休みに本を5冊読みなさい」と課題を与えても、感想文でも書かせなければ、本当に読んだかどうか分からないからだ。しかし本当にそうだろうか? 読んだ証拠を感想文に求めるのは安易すぎる。書く方は大変だし、それに加え以下のような弊害がある。だから私は賛成できない。

 本を読んだら感想文を書かされるという繰り返しのサイクルは、子供を本ギライにさせ、活字離れを進行させる。たとえ読書そのものが嫌いでなくても、後で待ち受ける感想文を書く作業を考えたら、読書の量を減らした方が得策だ。私もおかげで読書が憂鬱になった。

 もっと深刻なのは、書きたくもないし書くこともないのに無理やり作文をさせることが、子供たちに文章を書くことを嫌いにさせることだ。事実、私は小学校の頃、作文ほどイヤな時間はなかった。当ホームページを見ても分かるように、今の私に著述という作業は億劫ではない。書きたいことが存在して、ペンを取る。これが当然な流れだ。なのに、小学校では書きたいことがないのにペンを取らされ、おまけに書いたことにケチをつけられる。こんなことが本当に読解力や文章力や表現力を育てることにつながると思っているなら、これ以上おめでたい教育方針もないだろう。

:::転載終わり:::

■参考記事
 夏休みの「読書感想文」が読書嫌いを加速?驚きの調査結果も(リンク

 

 

 

 

石山 巌

教育で重要なのは、宿題よりも「遊び」そして「教えない」こと

小学校で必修化されるプログラミング教育。フリースクール校長として、プログラミング教育を実践するサイエンスライター竹内薫は、「教えない」ことの重要性を説いている。これは、プログラミング教育だけに留まらない認識だと思う。

PRESIDENT Online リンク より
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○プログラミングは「教えない」のが教えるコツ
小学生のうちから、やれCだ、Pythonだのといったプログラミング言語を詰め込み式で教えることには意味がない、ということだ。覚えたりコピペしたりすることでプログラミングのまね事はできても、それでは質の高いプログラムは書けるようにならない。したがって、高給取りのプログラマーにはなれない。
プログラミングに大切なことは、問題を発見し、その解決方法を創造する力だ。これは、暗記式の勉強では絶対に身につかない。それを身につけるには、子どものうちから、自分で考えて自力で解決するトレーニングをさせるのがいい。
逆に、子どもに「勉強しなさい」と強制するのは最悪だ。「勉強しなさい」といわれて勉強ができるようになった子どもはいない。「勉強しなさい」「ゲームをやめなさい」「早く寝なさい」、私はこれらの言葉は、すべて逆効果であり禁句だと思っている。
では、強制もせず、教えもせずに、子どもをプログラミングの世界にうまく誘導してあげることができるのだろうか。
それには、楽しい体験をさせて、子どもが自分からプログラミングに興味をもつように仕向けよう。実は、それが得意なのは、学校の先生ではなく、プロのプログラマーだ。プロのプログラマーは、いうまでもなくその道のプロだから、子どもたちはきっとその言動を見て「スゲー」と感銘を受けたり、そうしたプロの技やプロの一挙手一投足をまねしようとしたりするだろう。

○「宿題」よりも身体を使って思い切り「遊ぶ」こと
私のフリースクールでも、その道のプロフェッショナルに指導を依頼しているのだが、親御さんから「もっと宿題を出してください」と言われることもある。そのときに私は、「いえいえ、そんな暇があったら、もっと外で遊ばせたほうがいいですよ」と話している。
(中略)
実は、勉強する力や勉強の成果は、身体性があってこそ伸びるものだ。そして、遊びには、身体性がつきものである。屋外での遊びはもちろん、将棋や囲碁のような室内ゲームでさえ、駒を動かす、碁石を打つという身体性を伴っている。
つまり、子どもが小さい時期にやらなければならないのは、「遊ばずに勉強すること」ではなく、「遊んで身体性の器を大きくすること」なのだ。
小学校までに身体性の器を大きくできた子どもたちが、中学生になって本気で勉強をはじめたとき、本当の意味での学力を身につけることができる。なぜなら、彼らは勉強を楽しむ「遊び心」を身につけているからだ。
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蔵端敏博

本当に子供の力を伸ばす学校

東京都町田市にある玉川学園は、幼稚部から大学院までを擁する総合学園としての特性を生かし、同一キャンパス内で独自の一貫教育を実践しています。そこでは一貫教育の効用を最大限活かし、単元ぶつ切りのカリキュラムを脱し、探求型教育を展開して注目されているので紹介します。リンク(リンク
課題を自ら発掘し答えを探索する力は、社会人にとって必要な力です。こうした玉川学園の取組みは是非広がって欲しいものです。

・・・・・以下引用・・・・・

教育の3本柱として「全人教育」「探究型学習」「世界標準の教育」を掲げる玉川学園。その中でも探究型学習では、特色のあるプログラムを数多く実施している。

その一つがSSHスーパーサイエンスハイスクール)の中での取り組みだ。指定を受けた2008年以来、国際舞台で活躍できる科学技術人材に必要な「創造力」と「批判的思考力」の育成のため、これまでにさまざまな課題研究を行ってきた。

例えば「SSHサンゴ研究」では、沖縄・石垣島でフィールドワークを行ってサンゴの白化現場を調査。大学や研究機関の専門家のアドバイスを受けながらサンゴを校内で水槽育成し、成長したサンゴを海に移植するなど、サンゴやサンゴを取り巻く環境の研究を行ってきた。
そのサンゴ研究の指導を行うSSH主任の今井航教諭は、「ポスター発表などで専門家の質問にも堂々と受け答えしているのを見るとき、生徒たちの成長を感じます。SSH3期目となる今年度からは、アウトカムシート(※)を使って主体性を涵養し、“社会との共創”を実現できる人材を育成していきたい」と抱負を語る。

玉川学園の特色であるこうした「自由研究」は、創立者が提唱した「自学自律」を具現化したものだ。教科学習や芸術、スポーツなどさまざまな分野から、自分の興味や関心に基づいてテーマを決め、担当教員にアドバイスを受けながら、自発的に1年間を通して研究に取り組む。研究成果は、学校行事や外部の大会やコンテストで積極的に発表する。

「中学の自由研究は教科発展型ですが、昨年度は8年(中2)の生徒が“バナナ果皮の褐変理由を探る”というテーマで研究を行い、日本学生科学賞の東京都大会で最優秀賞(中学の部)を受賞するなど、レベルの高い研究も行っています」と伊部敏之中学部長は語る。
9年(中3)では1年かけて “学びの技”の授業で論文作成のためのスキルを養い、高校に入ると課題研究型の自由研究が始まる。

高校の自由研究は、五つのカテゴリーの中から関心のある分野を選択、課題を設定して、最終的には6000字の論文を書き上げる。

「自由研究で一番重要なのは“課題の設定”をする力なのですが、そのために必要なのが創造力と批判的思考力。生徒たちが自由研究に取り組むことで、その力を向上させていることは、“批判的思考力テスト”(ベネッセ教育総合研究所との共同研究)によっても客観的に示されつつあります」。そう説明するのは、長谷部啓高等部長だ。

大学入試改革で問われるのは、まさにその批判的思考力であり、同校が伝統的に取り組んできた自由研究の延長線上にある。同校の真価が発揮される時代になってきたといえる。

※「アウトカムシート」…長期目標としての自分の姿や、現状の姿、当面の目標やこれから実践することなどを書き込むシート

・・・・・引用終わり・・・・・

 

 

 

孫悟空

日本人が「ある程度の暴力は必要」と考える、根本的な原因

以下リンクより抜粋

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日本のいたるところで、ダイナミックな「暴力指導」が次々と明るみとなっている。

なぜ我々の社会は「暴力指導」を止められないのだろうか。

 答えは明白で、「人間が成長をする上で、ある程度の暴力は必要」という「幻想」というか「妄想」にとらわれている方が思いのほか多くいらっしゃることが原因だ。

軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」
 暴力指導は悪いことだと頭では理解しているが、どうしても子どもに手を挙げることが止めれない――。薬物中毒患者の禁断症状を思わせるような話だが、この70年前の人々と全く同じことを、先日、謝罪会見を催した速見コーチが言っている。

 「指導9年目になるんですが、最初のほうは危険が及ぶ場面で、たたいてでも教えることが必要だと思っていた。ここ数年はよくないって分かっていながらも、我慢できずたたいていたのが数回あった」

 「気持ちが入っていない時、危ない時にたたかれていた。当時はそれに対し、教えてもらえたという、むしろ感謝の気持ちを持ってしまっていたので、そこが自分の根底にあった」

 実はこれは暴力指導の本質を突いている。体罰を受けながら一人前の選手に成長をした速見氏は、頭では「今の時代、体罰はダメだ」と理解しながらも、我慢できずに女子選手を張り倒したり、髪を引っ張ったりした。暴力やハラスメントで一人前になった人にとって、それを全否定することは、自分がこれまで生きてきたことを否定することになってしまうからだ。あの経験があるから今の自分がある。そういう思いが強くなればなるほど、人は自分が受けた暴力やハラスメントを、愛する人に再現する生き物なのだ。

 それが日本の伝統的な子育てなんだからしょうがないだろ、と思う人もいるかもしれないが、実はそうとは言い難い。実は戦時中に「一人前の大人」となった人たちは、これまでの日本の伝統的教育とかなりかけ離れた教育を受けている。それは、軍隊のマネジメントを取り入れた「軍隊式教育」ともいうべきものだ。

 きっかけは、1885年に文部大臣・森有礼が始めた教育改革だった。森は愛国者で、教育に、愛国的思想を大きく取り入れたことでも知られているが、一方で、後のラジオ体操にもつながる「兵式体操」を学校に導入したり、教師を目指す若者を寄宿舎に押し込んで、厳しい上下関係のもとで規律を学ばせたりという、「教育現場の軍隊化」を進めたことでも有名だ。

 運動会、前へならえ、整列行進、そして暴力指導……現代日本にも残る学校の「軍隊臭」はこの教育改革の賜物なのだ。なんてことを言うと、「そんな昔の話を現代に結びつけるな、この反日左翼め!」と怒る方がたくさんいるが、「そんな昔の話」がいまだに我々の「常識」として脳みそにこびりついていることを示す証拠は枚挙にいとまがない。

暴力指導の本質は「信仰」
 では、なぜそこまで渡辺は子どもに「軍服もどき」を着させることに執着したのかというと、親交の深い、森有礼の影響だと言われているのだ。130年以上が経過しても、いまだに我々がなんの疑問も抱くことなく、当たり前のように子どもたちに軍服を着させていることを踏まえると、平成日本の教育現場も、当たり前のように「軍隊」をひきずっていると考えるのは当然なのだ。

 森が目指した「教育現場と軍隊の融合」。その是非はさておき、どういう結果を生むかだけは明らかだ。それは、世界中の軍隊でたびたび報告される「いじめ」や「暴力」という問題が教育現場で再現をされることだ。

 寄宿舎に入れられた師範たちの証言がまとめられている、唐沢富太郎の『教師の歴史』(創元社)には、この教師育成施設で、「四年生は神聖、三年生は幹部」「鉄拳の乱下」など体育会運動部のベースとなる価値観がまん延していた事実が無数に記されて、以下のような問題も指摘されている。

 「師範の寄宿舎生活には極端な軍隊的な階級制が存していたのであるが、これに伴って併発した現象が上級生の下級生いじめということである」(P.60)

 厳しい上下関係のもとで暴力とハラスメントを受けながら「師範」となった人々が、教育現場に出て子どもたちに、自分が受けた教育をどのように「再現」するのかというのはもはや説明の必要はないだろう。

 1949年の親たちが暴力を我慢できないのは、すべてこの森の教育改革の賜物である可能性が高いのだ。

 よく日本人の暴力は、軍国主義が原因だという話になることがあるが、正確には「教育現場が軍隊になった」ことが大きい。そして、教育が恐ろしいのは、中国や北朝鮮反日教育などをみれば分かるように、パンデミックのごとく爆発的に社会に広まって、それが長く尾を引く点にある。

 顔をひっぱたかれ、髪を引っ張られて18歳の少女が「暴力はなかった」と訴えた。その親も、娘が暴力を受けているのを知りながら、その指導者を「信頼している」とおっしゃっていた。その構図を見て、「宗教みたいね」と言って日本中から叩かれた人がいた。確かに、相手の気持ちに寄り添わない不適切な発言であって批判されてしかるべしだが、実は本質的なところでは、それほど間違ったことは言っていない。

 暴力指導とは日本人にとって、理性や合理的思考を超越した、もはや信仰のような存在なのだ。

 神を信じる人に対して、神を否定しても聞く耳を持つわけがない。「何も知らないお前に何が分かる」「あの素晴らしい体験があったから今の自分がいるのだ」――。そんなややこしい反論がきて、平行線だろう。「愛のムチ」に対する信仰も、これと全く同じだ。

 どんなに「暴力はダメよ」という社会になっても、ひっそりと一部の熱心の「信者」が隠れキリシタンのように守られていく。それが日本人にとっての「体罰」なのかもしれない。

 これからも日本ではこっそりと暴力指導が続いていくのだろう。

 

 

 

匿名希望