学校で浪費される無駄な10年間をどーにかすべき論を見て考えた

学校の勉強ほど無駄なものはない。それを10年以上続けることで、子どもたちの可能性の芽を摘むことの弊害は計り知れない。


桜林 直子(サクちゃん)ブログ リンクより引用
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ちきりんさんのブログ「学校で浪費される無駄な10年間をどーにかすべき論」を読んで。

14歳なので見かけは子供です。
でも100人にひとりくらい、つまり、2クラスにひとりくらい、中身はもはや子供ではないという子がでてきます。
(中略)この子たちは、4歳からの10年間、かなりのスピードで成長します。ところが14歳になると、その成長カーブがいきなり緩くなってしまうんです。なぜなら、この期間に彼らが受ける「クラスの真ん中の子」にあわせた教育が、あまりにかったるいから。

彼らは今、「十分、大人の世界に入っていける状態なのに、10年もの間、周りが子供ばっかりという環境で、子供扱いされながら過ごす」ことになり、そんなんじゃ成長カーブが最大化するわけがない。

人を育てるべき学校が、優秀な子供の成長の足かせになっているなんて、ナンセンスでしょ?

これを読んで、首がもげるほど頷いた。

わたしは親バカだから、あーちん(娘)のことだけを見て、あーちんのことだけを考えていたけれど、本当に、ぼんやりしていたらあっという間に大きくなってしまうので、こどもの才能の片鱗をつかんだら、すぐに対応してあげた方がいいと思う。

わたしの場合は「小学校の先生は、個人の良さを褒めないな」と気がついたので、すぐに目が合う場所さがしをした。
そしてその結果、運良く、ほぼ日で活躍することができた。

逆に言うと、中途半端に褒められて満足しているよりも、外に出るキッカケになったので、むしろよかったとも言える。

学校にもよるだろうし、先生にもよるのだろうけれど、多くの公立の小学校では、個々に伸ばすべき才能を教えてくれることはないのだと思う。(みんなの前で、だれかを褒めることすらしないので)

そのことは保護者もわかっているので、こどもに、塾や様々な習いごとに通わせているのだと思う。

習い事も悪くはない。水泳やピアノや習字は、プロになれなくとも、役に立つ。けれど、先行投資で種目を絞るのは、なんだかバクチのようだし、「何とかものになってほしい」という親の期待は、こどもにプレッシャーもかかる。

わたしとあーちんの場合は、本当に運がよく、学校の外にぴったりと合う場所を見つけることができて、彼女も同年代の目を気にすることなくのびのびと才能を発揮できた。(学校で、友達にほぼ日での活動の話をすることはなかった)

(中略)たとえば、わたしは小学校の低学年のころ、ピアノを習っていたのだけれど、どうにもこうにも向いていなかったし、好きになれなかった。その時点で「わたしは音楽に向いていない」と思い込んでしまった。
ところが、小学校の高学年になってはじめて触れたマリンバが、なぜかとても得意で、大好きだった。

しかし、演奏会の練習以外でさわることはできなかったので、その情熱は冷ますしかなかった。
あのとき、もしもマリンバを教えてくれる場があって、毎日夢中に叩ける場所があったらどうなっていたかな、と思う。

まあ、どうにもなっていないかもしれないし、ただのもしも話なのだけど、要は、才能をみつけるチャンスが少なすぎると思う。

そこで、たとえば「音楽」「スポーツ」「文芸」「生物」「科学」「美術」「食べもの」などザックリとした分野の習いごとがあって、そのなかではそれぞれのプロまたはセミプロが教えてくれる。

そこに、「これは!」という子供だけを通わせる。

「文芸」のなかでも「読書」「作文」「評論」「記者」など細かく分かれた授業があって、なんとなく本が好きな子供が、読むのが好きなのか、書くのが好きなのか、読んだ本について話すのが好きなのか、授業を受けることで浮かび上がってくる。また、その道のプロが才能を見抜くこともできる。

勉強が得意な子供も、「学習塾」という受験に向ける勉強を目的とするのではなくて、「学習」のなかで「研究」「経営」など(残念ながらわたしの頭が悪くて思い浮かばないけど)をわけて学び、その分野があるということを知って、早くに何が向いているのか自他ともに認められるといい。

では、その先生はだれなのか、というと、

ひとつは、専門的な分野の大学や専門学校の先生たちだ。
もうひとつは、街の仕事人たちだ。(種目によっては企業やアーティストも)

たとえば「食べもの」塾の授業で、街の豆腐屋さんに、作り方やその生活を習いにいったらいい。
ちゃんと授業料を払えば受けてくれると思うし(公立の中学校の職業体験はボランティアだし職種もあまり選べない)、もしかしたら将来の後継ぎが見つかるかもしれない。

なにより、そのリアルな仕事に直結した授業こそ、子供の将来を想像させるいちばんの近道だと思う。うっかり就職する前に体験して、向き不向きが早いうちにわかった方がいい。(要するに早期かつ短期のインターン

ただ、これをすべての子供に課すると、ただの義務になったり、教える側も数をこなさなければならないので、やっつけ仕事になりかねない。

あくまでも、その才能の芽がある子供にだけ、受けさせたらいいと思う(やってみて向いていなければ即やめる、転校可の制度)。

この、贔屓とも差別ともとれる方法こそが、公立の学校の真逆をいく唯一の方法だと思うので。

学校で「みんな同じ」を学ぶのなら、学校の外では「オレは特別だ」を学べばいい。

それにはまず、親がその子の性質を見抜けなければいけない。
それは、子供の、才能をみつけることだけではなくて、才能がないこともまたわからないといけない。
(ちなみにあーちんは、運動がぜんぜんダメで、スケジュール管理能力もゼロだ)

親の期待や思い込みで、子供を追いつめてはいけない。

「こどもがなにができるか」を見るのではなく、こどもを、その人を、見る。いちばん難しい課題は、社会や学校ではなく、親に与えられているのだと思う。

 

 

 

匿名希望

 

世界一子どもが幸福な国「オランダ」の教育法~遊びを中心にした教育~①

オランダは世界一子どもが幸福な国
2007年2月、ユニセフは、OECD経済協力開発機構)加盟の25ヶ国を対象とした子どもの幸福度調査の報告書を発表しています。その結果によると、オランダが総合1位に選ばれています。この調査、『幸福度調査』と呼ばれていますが、英語では『An overview of child well-being in rich countries』と表記されています。
“Well-being”とは、健康と安全、家族や社会から大切にされているという質的な満足感や、自分の存在が評価されていると感じることなど、簡単に訳せない多くの意味を含んでいます。物質や制度など目に見えるものを手に入れたら満たされるものではなく、そのもっと深くにある『居心地の良さ』を意味していると考えられます。

そんなオランダはピラミッドメソッド幼児教育法を取り入れている。ピラミッドメソッドは、1994年にCito(オランダ政府教育評価機構・1999年に民営化)によって開発された幼児教育法であり、『自分で選択して決断できる力を養うこと』に重点を置いています。『あなた自身とその意思』が認められていること、決断をあたたかく見守ってもらえるオランダならではの教育法です。
そして、ピラミッドメソッドでは、子どもに寄り添い、安心感が満たされてこそ学ぶ意欲が育つことを最も大切にし、子どもの生活体験に根ざした「遊び」を中心にして学ぶ新しいスタイルが取り入れられています。ピアジェヴィゴツキーなど新旧の様々な教育理論をベースに整理された幼児教育であり、子どもの遊ぶ(学ぶ)意欲を引き出すための保育環境づくりや保育内容が特徴的で、テーマ性をもつ「プロジェクト」という保育活動を提唱しています。

子ども達に安定した心の保障をあたえ、自ら考える力を獲得するための意欲を育む教育が求められている今の日本には、これが子どもの幸福または活力を生む、手掛かりになるのではないだろうか。

以下リンク 参照


●ピラミッドメソッドの特徴

①4つの基礎石(基本概念)

◆子どもの自主性(やる気)

子ども達が自分を取り巻く世界を理解するためには自主的に取組むこと、そしてその自主性を維持させることが何よりも大切です。子どもたちは「認められたい、自信を持ちたい」という養護的な要求と、「学びたい、探索してみたい」という教育的な要求を持っています。まずは養護的要求が満たされてこそ自主性は育まれ、充分に発揮することができます。

◆保育者の自主性(働きかけ)

子どもの自主性を育むため、保育者には子どもの要求を考慮した働きかけが必要とされます。まずは、安心できる保育環境の提供、変わらない情緒的な支援、自身の能力を信じて行動できるように支援するといった安らぎを与える働きかけ。その一方、教育的な観点から、発達を活性化させるために学びに明確なねらいをもって活動をすすめたり、学びに段階を設けたり、子どもの遊びや発達の状況に応じて支援方法に段階を設けるなど幅広い教育技能でもって働きかけることも必要です。

◆寄り添うこと(nearness)  養護的内容の基盤となる理論

母親と子どもの良好な関係がもたらす影響に注目した“アタッチメント(愛着)理論”から、その愛着は保育者と子どもの関係にもあてはまることをピラミッドメソッドでは唱えています。子どもが安心して探索活動にエネルギーを注げるようになるには、保育者が子どもと良好な信頼関係をきずくことが最も重要です。また、このような感情は、自分自身と他者を信頼することにつながります。

◆距離をおくこと(distance)  教育的内容の基盤となる理論

「今、目の前にある」物事だけを学ぶのではなくて、「目に見えないもの」にも焦点を合わせる学びが、子どもの発達を促す上で大切である、という“ディスタンシング理論”を適用しています。発達段階に合わせて、子どもに身近で具体的なことから取組みを始め、徐々に外の世界・抽象的な世界へと導く中で、表現することに挑戦させて発達を促します。


子どもには充分な寄り添いがなければ、探索はできません。ピラミッドメソッドでは 養護 の土台の上に 教育 が成り立つという子どもの発達のビジョンをしっかりと持っています。その中で、この4つの基本概念は相互に関連し合い、ピラミッドメソッドにおける全活動の「基礎石」となる役割を担っています。

世界一子どもが幸福な国「オランダ」の教育法~あそぼを中心にした教育~②につづく

 

 

 

kanarchy

世界一子どもが幸福な国「オランダ」の教育法~遊びを中心にした教育~②

世界一子どもが幸福な国「オランダ」の教育法~遊びを中心にした教育~①の続き


②目に見える保育環境

4つの基礎石をベースに、ピラミッドメソッドでは遊びと学びの保育環境が充分に整えられた保育室を提唱しています。その中でも、目に見える形で遊びを準備することは、子どもが自主的に遊びに取り組むため、自律性を養うために重要です。準備された遊びのコーナーのどこで遊ぶのか、子ども自身が選択をして少人数のグループ、または一人で遊びます。

③保育活動「プロジェクト

ピラミッドメソッドにおけるプロジェクトは、断片的になりがちな日常の保育活動の中にテーマ性とねらいを明確に与える保育方法です。プロジェクトのテーマは11ヶあり(大きさ、数、色と形、家など)、ひとつずつではバラバラのように見えても、様々なテーマのプロジェクトを徐々に難易度をあげながら、3年間繰り返し取り組むことで、子どもの発達は八つの発達領域すべてにおいて促されます。
子どもは日々の遊びや経験を通して学びます。子どもの興味に焦点を当てたプロジェクトでは、子どもに寄り添った身近で具体的な話題で遊びに引き込み、テーマに沿った遊びの活動をグループ全体で、小グループで、そして一人で行ううちに、次第に距離をおいた抽象的な概念の獲得へと子どもたちを導きます。その活動の姿は、「保育者 対 子どもの集団」という一方的な伝達による教育風景ではなく、「保育者と子ども、子ども同士」という相互的な学びであることを大切にしています。また、充分に遊べていない子どもに対する保育援助としてのチューター(より専門性のある保育者)カリキュラムや、保護者活動のカリキュラムも充実しています。

(*)・・・ピラミッドメソッドでは、子どもの発達を個性・情緒・知覚・言葉・思考・空間と時間の理解・運動・芸術という八つの領域に分類しています。

●保育が変わると、子どもも保育者も変わる!

ピラミッドメソッドを導入された保育園・幼稚園さんからのお声で多いのは、子どもだけではなく、保育者にも変化があることです。少しだけ、ピラミッドメソッドを導入された園の声をご紹介。
書籍『世界で一番幸せな子どもたち』にも導入園の変化が掲載されていますので、参考にしてください。

こどもの変化:
・安定して、しっかりと遊びを満喫している。遊びにも広がりがある。
・子どもたちの言語表現が具体的になった
・自分で解決しようとする力がついた
・自主性が育ち、一人ひとりが自信をもって活動している

保育者の変化:
・子ども一人ひとりの顔がよく見え出したことで、配慮が必要な子に寄り添いやすくなった。
・プロジェクトの準備により、新に気づくことや使う言葉が増えた。
・子どもとのやりとりが増え、手ごたえややりがいを感じて保育の楽しさを実感。
・保育者同士の意見・情報交換が活発に。

ある園長先生は、「子どもとの関わり方や探究心など、今まで埋もれていた保育士たちの力が見えてきた。保育に核ができたことは、保育士にも子どもにも同じように核となり、全体的に安定した」と話してくださいました。

 

 

 

kanarchy 

平均点の釣り上げスキルを教師が磨くだけ。全国学力テストの実態

平均点の釣り上げスキルを教師が磨くだけ。全国学力テストの実態
リンク)より転載

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全国学力・学習状況調査の平均点は当てになるか

先日結果が公表された全国学力・学習状況調査について。県別の平均点が公表された。教育委員会の側は、当然学校別の結果も把握している。これが、不幸の始まりである。

ところで、結果を見る世間の側が本当に「平均点」の仕組みをきちんと把握しているかというと、かなり怪しい。「学級のみんなができるようになると平均点が上がる」という誤った概念をもっていないか。誤った認識は誤解を生み、いじめの温床になり得る。

平均点というのは、例えるなら砂場の凸凹をならして平坦にして、その高さを測定する作業である。「ならす前の状態」がどうであるかが、この平均点の妥当性に関わる。他の高さと異なる「穴」や「尖り」のような部分が少ない、山の状態であれば、「大体真ん中がこれぐらい」というその数値の妥当性は高い。

一方「グランドキャニオン」のような深い谷がある状態の場合、この平均値の妥当性はほぼない。グランドキャニオンの山を崩して谷を埋めて均等にならし、海抜の高さを測って「これぐらい」ということの意味があるかどうかである。差が激しすぎる上に、本物の中央の数値が不在である。「平均点付近の子どもはほとんど存在しない」ということもあり得る。

各県内の子どものテストの数値はどうか。これは、明らかに「グランドキャニオン」状態である。0点もいれば、当然100点もいる。最も多い層の他に、極端に離れた数値の集団がいくつか存在する。点数がかなり分散している。この場合、平らにならすことに、ほぼ全く意味はない。

平均化というのは、言うなれば「個を殺し、無視する」作業である。社会が求め、文科省が出している方針と真逆のはずである。

平均点の上下動の仕組みについては、学級担任や塾講師をしている者なら嫌というほど知っている。90点が100点になるのはものすごいことなのだが、そこは平均点には表れない。100点がどんなにたくさんいても、10点や20点の子どもが数人いたら、「チャラ」どころか「マイナス」なのである。

手っ取り早く学力テストの平均点を上げる方法がある。過去問をやらせることである。「事前練習」と呼ばれる方法である。年間を通して毎日、時間を決めてやらせ続ける学校もあるという。ひどい場合、行政の側が過去問を実施したかどうかの調査をして、学校現場に圧力をかける。これで、確実に平均点は上がる。

次の記事も参考になる。

● 「全国学力テスト 事前練習に追われる学校現場 授業が進まない(リンク)」内田良

これによって学校教育が失うものの大きさは、言わずもがなである。残念ながら、全国各地でこれがなされているのが現状である。「事前練習」をしないと当然平均点が下がるのだから、どこもやっている以上やらない訳にはいかないというのが実情である。「目的と手段の入れ替わり」「手段の目的化」である。

さらに、もっとひどい方法があるという。先に述べたように、平均点というのは「凹み」が最もインパクトが強い。つまり、点数が低い層を「排除」することが、最も平均点アップに効果がある(進学塾等ではよくある方法である。数値的な実績が大切なのである)。

要は「最初から点数の低くなりそうな子どもを受けさせない」という方法である。そんなことが許されるのか。実は一部の子どもは、調査対象外になるのである。全国学力・学習状況調査の実施要項「3.調査の対象」から引用する。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
(2)特別支援学校及び小中学校の特別支援学級に在籍している児童生徒のうち、調査の対象となる教科について、以下に該当する児童生徒は、調査の対象としないことを原則とする。

ア 下学年の内容などに代替して指導を受けている児童生徒

知的障害者である児童生徒に対する教育を行う特別支援学校の教科の内容の指導を受けている児童生徒
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

この規定自体は至極妥当である。特別な支援が必要な子どもへの配慮は絶対に必要である。しかし、問題は、この規定を悪用して「テストを受けさせないように特別支援級をすすめる」ということが、残念ながら一部で引き起こされているらしいということである。

その学校を非難するのは簡単である。そうではなく、問題の根本は、そこまでして学校や担任を追い込んでいるこの現状である。

私も経験があるが、学校には、極度に算数が苦手、文章が読めない、という子どもが一定数存在する。学年に一人や二人ではなく、場合によってはある学級に何人も集中することもある。「生徒指導が大変」という子どもを学年主任の学級に入れる代わりに、他の学級に学力的に厳しい子どもが集まる、というパターンである。また、特別支援級を設けずに、文科省も進める「インクルーシブ教育」を誠実に研究して進めている学校もある。

そうすれば、平均点の結果は目に見えている。指導力の差ではない。クラス間を比べることも無意味である。もしこれでどうこう言われるようなら「学力の低い子どもは担任したくない」と言い出す人が当然出る。教育の崩壊である。

学校間、都道府県間も同様である。無意味である、というより、とてつもない害悪である。

0点だろうが何だろうが、子どもには全く何の罪もない。勝手にランキングされて、大人たちが右往左往したあおりを食らい、はた迷惑な話である。

(後略)

 

 

 

紀伊谷高那

5カ国の小学校の座席システム。 実は、全部違った。

小学校の席。どういうレイアウトでしたか?

座り方を変えながら学びへのスタンスを反映しています。座り方によって
は、先生は偉いというよりは、先生は遠い親戚のような感覚にもなりま
す。


児童の性格や教えたいことに合わせて座り方をシフトさせれば、いろんな
やり方があることを子どもたちにも教えることになり、将来につながって
いくかもしれません。


(以下引用)

みんなで黒板とその前に立つ先生に向かって座るのが一般的だと思ってい
た私は、8歳にしてその考えを裏切られることになる。イギリスの小学校
で。

その後も、さらにいろんな国のいろんな座席システムに出合った。男女ペ
ア席、一人席、5~6人で一つのテーブルを囲む座り方、机を一つの円を
つくるように並べてみんな向き合う座り方、複数の家具を教科ごとに使い
分けるやり方…。それは、転校するたびにルールが変わるゲームのようで
面白かった。

ロシアの小学校では男女がペアで一つの長めの机に座る。男子が左、女子
が右。左利きがいる場合はペアで座る。席替えはあまりなく、10年同じ
席、同じペアということも十分あり得る。男女ペア席の場合、子どもの授
業における集中力がアップするようだ。なぜなら、小学生の男女は友達に
なることが少なく、そのため授業中の雑談が少なくなり、みんなまじめに
先生の話を聞くようになる。

また、あえてやんちゃな男子を勉強がデキル女子の横に座らせるとこの効
果はさらに向上する。責任感が強いデキル女子が勝手にやんちゃな男子の
世話役になることが多く、男の子の学力上達の可能性が見込めるようだ。

みんな、黒板の前にいる先生に向かって座り、話を聞いて、聞かれたら挙
手して答える。正解ならそれが個の優越感につながり、毎日が戦いだっ
た。これが当たり前だと思っていた。

小学校3年生でイギリス・ケンブリッジの小学校に転校した日、教室には
まるでご飯を食べるようないくつかの大きめなテーブルだけが並んでい
た。ほう、ここはきっとご飯を食べる部屋だ。ロシアでは朝食も学校で出
るので朝一にそこへ通されたのも理解できる。

リンク
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_kへ

 

 

松山恵実

「学校が唯一」の呪縛を解く

---リンクより---

昨年度、不登校の小中学生の数が14万人を超えたという。
もう四半世紀前のことになるけれど、私も中学生の頃から人間関係や違和感に悩み、高校1年の2学期から学校に行けなくなった。小幡和輝著『学校は行かなくてもいい』、末富晶(しょう)著『不登校でも大丈夫』の2冊は、そんな15歳の当時の自分に贈りたいと感じた作品だった。

 前者の著者は小学校から不登校を経験、定時制高校に入学して起業した。その彼は学校以外の居場所をどう作ってきたのか。自分以外の様々なケースの体験談も紹介しつつ、親子の次の選択の助けになる考え方を丁寧に伝えている。後者の末富氏は不登校の後の紆余(うよ)曲折を経て、現在は生け花アーティストとして活動している。彼女の手記は子供の頃の漠とした気持ちを見つめ直し、率直な言葉に変えたものだ。得体(えたい)の知れない違和感に苛(さいな)まれてきた著者が、〈学校に行かない時間〉にいかに育てられたか、という気づきを得ていく過程に好感を覚えた。


●思い受け止める
こうした当事者の本を手に取って実感するのは、親でも教師や周囲の“誰か”でもいい、学校に行けないという子供の懸命な選択をまずは受け止め、ともに将来や目標について考えてくれる大人や専門家の存在がどれほど大切か、ということだ。

 不登校には様々な事情や背景があり、年齢や家庭環境によっても参考になる本は異なる。だが、どのようなケースであってもその選択には大変なエネルギーが必要であり、当事者は「学校に行きたくても行けない自分」との闘いに疲れ果て、身動きがとれなくなっていることが多いと思う。よって復学を目指すにしろ、別の道を探すにしろ、最初に必要なのは現状と向き合い、自分で何かを選択するための心の余裕であるに違いない。例えばその中で親との不毛な対立が始まってしまうと、家が体調を整えるための場ではなくなってしまうことが、様々な体験談から浮かび上がってくる。

読みながら、私の場合も母がその選択をひとまず受け入れてくれたことを思い出さずにはいられなかった。ある日、「もう学校には行かない」と告げようとしたとき、言葉にならない悲しみや罪悪感に襲われ、布団を被(かぶ)ったまましばらく蹲(うずくま)っていたのを覚えている。すると、「少し休んでから本屋さんで次にどうするかを考えてみたら?」と母は察するように言った。

 書店で本を買い込み、大検や不登校の体験者の話などを読んだ。納得できる本もあれば、自分には合わないと感じた本もあった。ただ、小幡氏が指摘する通り、必要だったのはそれらの本や情報を自ら探し、「学校」という場所の意味を相対化して考えてみることだったのだろう。その時間を通して、私は「学校が唯一の選択肢」という自分を苦しめていた思いから解放されていった気がする。結果的に地元で頼りにしていた塾に相談して大検を受けたのだけれど、「学校に行かないこと」も「学校に行くこと」と同じ選択肢の一つなのだと感じられたとき、強張(こわば)っていた気持ちに余裕が生じ始めたように思うのである。

 

 

 

井垣義稀

世界の事例にみる~学びと仕事は一体~

今や学校が子どもたちの意欲を奪っているのは共通認識。
それは、現実とはかけ離れた世界だからに他ならないが、その突破口となるのが『仕事』。現実課題である仕事を通して、人々の期待に応える力をつけていくことができるが、世界ではすでに『学びと仕事』は一体になりつつある。

以下 リンク より引用
>小中学校を卒業すると高校進学となるわけですが、フィンランドのこどもたちは「大学進学のための高校」と「資格をとって職業につく学びをする職業高校」の大きくわけてどちらかを選択して進学していきます。近年の特徴としては、職業高校への進学率が上がっていて、特に男子生徒の約6割が職業高校を選択していることです。職業高校といっても日本の商業科や工業科というより、専門学校に限りなく近いといってよいでしょう。
2015年5月にヴァンター市内にある職業学校Variaを視察してきました。中学校を卒業して入学した生徒が約2,800人、成人教育の一環として資格を取りに来ている大人が約1,200人の合わせて4,000人が通う大規模な学校です。
電気工学、エンジニアリング、流通、社会福祉、飲食、美容師、ツーリズムなどあらゆるジャンルの職業につくための専門スキルを身に着ける学科がズラリと揃っています。
とても面白いのは「学びと仕事と経済が一致していること」です。美容師のクラスでは、実際に学生による美容室がオープンしています。地元の方が割と安価で髪を切ってもらえるのでいつも予約でいっぱいだそうです。また、大工、電気工学、配管、家具インテリアの専門の学生達で家を建て、販売しています。もちろん、専門家の指導のもとで建てられますので落ち度はなく、最新の材料などを使っているのでやはり人気があるそうです。
レストランも週に何度かオープンしています。こうした実践的な学びがフィンランドらしいですね。
「大学院を卒業して社会に出るころには25歳でしょ。それなら早く手に職をつけて仕事して25歳には家を買えるようになりたいな」・・・これは職人になった女の子の言葉です。
=引用終わり=

リンク より引用
>スイスでは日本の小・中学校に当たる9年間の義務教育を終えた後、日本の高校に相当する普通学校に進学する生徒はむしろ少数派で、大多数の生徒は職業教育をはじめます。この際、日本の高専のような全日制の学校の形はむしろ少なく、圧倒的に多いのは、週の3~4日を企業で働き、1~2日は職業学校に通うという職業訓練の形です。実技と理論を並行して学ぶことを目的とした、この独特の職業訓練の形は「デュアルシステム(Dual Education)」と呼ばれています。スイス政府は、「教育=優秀な人材を育てる」ことが国にとって重要だと位置づけており、官学民が一体となってこの「デュアルシステム」を支えています。
職業訓練で学べる職種はサービス産業から技術専門職まで全部で250種類もあるため、その中から自分に適したものを探しだし、最終的に(お給料ももらい)働かせてもらう企業をみつけることは、普通の中学性にとって決して簡単なことではありません。スイスには外国人も多いため、親自身がスイスの職業教育についてほとんど知らず、戸惑うという話もよく聞きます。
このため中学校では生徒が2年生になると、職業教育への理解を深めるための細かな支援が始まります。まず職業教育を知るための授業や個別相談、共通適正能力検査を生徒全員に受けさせ、こども自身が、自分の適正や能力を把握できるようにします。また、職業メッセ(さまざまな職業を紹介する展示会)や職業センターを見学し、職業体験を斡旋する場合もありますし、職業体験そのために生徒が学校を休むことも認めます。
こうした過程を通し、生徒たちは職業訓練か進学か、また職業訓練ならどの職業にするかを絞り込んでいきます。職業訓練志望者は、中学3年になると、 企業への応募をはじめ、内定を受けるまで受け入れ先を探します。訓練期間は3~4年で、最後に企業と職業学校両方で行われる修了試験に合格すると、スイス全国で共通する職業資格が与えられます。
中卒から専門的な職業訓練に入ると聞くと、つぶしがきかないのでは、とか、後々やりたいことが変わったらどうするのか、といった疑問を持たれる方も多いのではないかと思います。確かにスイスでもそのような声もありますが、スイスの職業教育は、職業学校間はもちろんのこと、高等教育機関とも連携した柔軟性の高い体系になっており、ステップアップや進路変更がしやすくなっています。「職業訓練は最初の職業教育段階であって、最後ではない」とよく言われ、職業訓練を続け、キャリアアップすることが、国からも推奨されています。
例えば、職業訓練修了後からでも大学進学がしやすいよう独自の大学入学資格制度があり、職業訓練を受けた人の2割が入学資格を取得しています。ただし、大学のほかにも、より専門性の高い職業教育課程があり、社会的にも高く認知されているため、大学進学へのこだわりは、さほど強くありません。職業スキルを更に磨くため、より専門性の高い教育課程に進む場合は、それまでに取得した訓練資格によって期間を短くすることもできます。
=引用終わり=

 

 

 

望月宏洋