「勉強」とは歴史を学ぶこと 「勉強」とは歴史を学ぶこと

『全ての教育者のためのメディア。REAL(リンクリンク)』より引用します。

あまり知られていないことだが、古来「勉強」と言えば歴史を学ぶことだった。ほんの150年ほど前まで歴史は勉強の主要教科であり、学びとは、歴史を知り、歴史から教訓を得ることそのものだったのだ。たとえば、儒教の祖となった孔子と弟子たちが学び議論する様子を、今日の私たちは『論語』や『聖蹟図』などからうかがい知ることができる。かれらが議論しているテーマは、しばしばに堯・舜・禹などの古代の聖人君子たちの政治についてであった。かれらは、歴史上の政治家たちの失敗例や成功例について知ることで、どうすればいまの政治を良くすることができるかを考えようとしていた。

~・中略・~

■歴史は膨大な実験室である
日本においても歴史の重要性は高かった。たとえば徳川家康江戸幕府を興すときに、幕府政治の始祖である源頼朝のやり方を学んだと言われている。安定した統治の仕組みを考えるために、歴史上の人物のやり方を参考にしようとしたのだ。

繰り返しになるが、古来、歴史はつねに勉強の主要科目だった。いまの世の中を良くするために、歴史からどのようなヒントを引き出せるか。立派な人間になるために、歴史上の人々からどのような教訓を引き出せるか。それらが、長い間、勉強の主題であり目的であったのだ。それは現代においても変わらない。たとえば経済学の中には、もっとも重要な分野のひとつとして経済史という分野がある。経済史は、文字通り経済の歴史についての学問だ。なぜ経済学を学ぶ際に歴史を学ぶことが大切なのだろうか。

例を挙げて説明しよう。銀行は世の中のお金の流れを支えている重要な機関で、経済を安定させるために重要な役割を担っている。その銀行が潰れてしまったときに世の中にどのような影響があるのかを、経済学者としては当然知りたいと思う。しかし、残念ながらそれを知るために実験を行うことはできない。銀行が潰れたときの影響を知りたいからといって、「ちょっと試しに三井住友銀行を倒産させてみようか」ということはできないのである。ではどうしたらよいかというと、歴史の中の事例から学ぶしかない。過去に銀行が潰れた事例を探し、そのときに経済にどのような影響があったかを調べることで、銀行が潰れたときに起きる影響を推測することができるのである。

このように、歴史というのは膨大な実験結果の宝庫だ。過去に様々な人物や団体が様々なことに挑戦し、様々な結果を生んできた。それらを巨細に眺めていくことで、「どうすればうまくいくか」「同じ失敗を繰り返さないためにはどうしたらよいか」といった、現代や未来に活きる知恵を引き出すことができるのだ。

 

 

 

 

村田頼哉 

『学び合い』を考える

新潟県上越市上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)の西川純氏が提唱・研究する『学び合い』という学習法が教育界から大変注目されているが、これまでの義務教育を含めた講義型一斉授業と何が違うのか?

を考えてみる。

◆統合者の消耗品としての人材育成
るいネットでも明らかになっているように、現在日本の学校教育スタイルは軍隊をモデルした、厳格な規則と罰則により生徒を縛りつけ序列原理や指揮系統に従順で素直な画一的な人材を育成するための組織人材育成法である。義務を課し、耐えることを当たり前のように強いることを受け入れさせる。(究極の姿はオクニの為に命を捧げた日本軍の神風特攻隊や人間魚雷回天の若き搭乗員たちかもしれない。)

明治以降、戦時中から戦後を経てもこの日本の教育スタイルは一貫として変わらず、貧困の消滅と共に生産体である企業の序列原理が崩壊した現在でも、やみくもに暗記脳による子供の思考停止と活力衰弱のみを引き起こし続けている。

現在の学校教育が軍隊をモデルにした統合原理であり教育法であるならば、軍隊組織と同様に生徒は消耗品としての従順な兵士=優秀な歯車の大量生産が目的であり、一部の不良品や故障品は廃棄・交換すればよいという、人を人とも思わぬスタンスが義務教育の根底に垣間見えるのも頷ける。

すなわち極論すれば、いわゆる国家や組織統合者の交換・補充可能な「消耗品として都合の良い人材」を大量生産するための教育こそが講義型一斉授業である。


★翻って、子どもたちの活力を上昇させ追求力を高めるといわれる『学び合い』学習法とは如何なるものか?


◆共同体を維持するために循環し続ける人材育成
根本的に異なるのは人材育成の立脚点だろう。国や組織の統合者といった序列統合から生み出されたものではない。しかも『学び合い』自体は、日本に於いては決して新しい人材育成の在り方ではないと見るべきである。(西川氏自身は潜在思念と持ち前の本源性で辿り着いたと思われる)。本質的・構造的には、明治以前では日本中の村落共同体や江戸時代の地域共同体、寺子屋等で行われていた日本の教育のスタイルと同様・同質である。

『学び合い』学習法の立脚点は潜在的には集団(=共同体)の存続適応にある。現代の人工集団と異なり、本源集団=共同体はほぼ全員が一生をその集団で終える。だからこそ共同体に於いては人材が全てであり、赤子から老人、男女、例え病人や障害者であっても全てが集団の宝となる。すなわち集団を構成する成員全ての能力を活かした役割=評価=充足を生み出し、集団能力を高め、共同体を何百年・何千年と存続適応させ続ける為の追求=無限循環育成こそが、その根幹にある。

したがって、その方法論は全ての場に於いて肯定性と充足感に貫かれている。能力や評価の上昇は、現代のように個人に帰結するものではなく、集団の充足という地平に貫かれていた。したがって、現代の学校クラスがストレス発散の為、カーストをつくり底辺人材を否定視=イジメを行うのとは真逆に、一番できない子が肯定視=充足対象となり、みんなの可能性となり、本人を含めた集団充足・集団活力を生み出すことになる。

共同体の神童とは現在でいういわゆる天才児ではなく、逆に知的障害などを持つような童を指していた。(例えば頭は弱いが感覚が鋭敏で、誰も感じないないような微細な自然や気象の変化・集団の危機をキャッチする。その異能を集団から認められ、センサーとして集団防衛上の重要な役割を与えられていたのだという。)どんな差異のある仲間にも可能性を見出し、集団適応の戦力とする追求力こそが本源集団の力だった。

したがって『学び合い』学習とは、(生産や生殖と切り離された特殊空間や学習指導要綱の枠組みの中ではあるが)潜在的可能性として充足性・全肯定性=一体化充足を軸とする、個体差のある個々人の能力を各々最大限に引き出す、共同体本源集団本来の人材育成システムの一部を、現代に継承しようとするものであろうと云える。


以下、西川純のメモより抜粋 リンク

●色々な方から、「なんで『学び合い』が思いついたのか?」と聞かれます。以下のようなものがあります。

第一に、私の教師としての原体験は学力的に最底辺の定時制高校だからです。学校教育からドロップアウトした子ども達を教えました。その子達が定時制ドロップアウトしたらどうなるかを嫌というほど見ています。今でも、その子達を夢の中で思い出して泣きながら起きることがあります。私は額面通り、生き死にの問題だと思っています。だから、大体の子どもが分かるでは満足できないからです。

第二に、上越教育大学の教員だったことです。何も知らない学生相手だったら難しげな理論で煙にまけます。ところが上越教育大学は現職派遣院生が多数います。彼らを誤魔化すことは出来ません。一方、現職派遣院生と一緒に研究をすすめられるので、中長期の臨床的な研究をすすめられたからです。

そして、第三に方法論に特徴があります。一般的な実証的な教育研究の場合、実験群と統制群を設け、両者の比較によって論を組み立てます。しかし、私はそれが嫌だったのです。何故なら、実験者は実験群の方が「よいだろうな~」と思って実験を組み立てます。そうなると、統制群の子どもに申し訳ないのです。だから、統制群を設けず、実験群のみとしました。つまり、ある子ども達に一定の指導を行った後、その子達がどのように変化するかを追ったのです。そして、初期、中期、終期の子ども達の言動を分析することによって分析する手法を用いています。

そして、私は『学び合い』です。つまり、「子ども達は有能である」と考えています。だから、細々した条件は付けません。達成すべき課題を与えます。その中で、子ども達がトライアンドエラーの中で創り上げる方法を分析するのです。それによって最適解を導くという手法をとっています。

 

 

 

 

Bannister

五感で体験する“魔法の授業”って? 話題の探究系学習塾「探究学舎」の人気の秘密

2020年の入試改革を前にして「社会で本当に役に立つ力とは」「教育とは?」といった意識が高まっているように思います。それに伴って旧来の受験塾ではない有り方も目にするようになってきています。

るいネットでもたびたび取り上げられている「探求学舎」(319663323793323794)その授業を体感された方の報告がネットにありましたので紹介したいと思います。


■五感で体験する“魔法の授業”って? 話題の探究系学習塾「探究学舎」の人気の秘密(リンクより)

:::以下引用:::

日本の教育が、2020年に向けて大きな変化を迎えているのをご存じでしょうか。
その改革のなかでも、これからの時代に対応できる力として『21世紀型スキル』というものが注目されています。文部科学省が発表した資料によると、情報創造力、批判的思考力、問題解決力、コミュニケーション力、プロジェクト力、ICT活用力などが、必要なスキルと言われているのです。

■今注目の「探究系」教室ってどんなもの?
では、その力をどうやって育てていけばいいのでしょうか。
そのひとつの方法として誕生したのが、「探究系」の学習塾です。
たとえば、自分で課題を見つけ、その解決策を考える。テーマを決めて、様々な角度から切り込み、学んでいく。既存の「教科」にとらわれず、好奇心の赴くまま、深く広く探究していく……など、これまでの受験を目的とした進学塾とは異なる、まったく新しい学習塾です。
なかでも、三鷹市にある「探究学舎」は “子どもが夢中になる魔法の授業”として注目されており、夏休みなどに開催される短期講習は、すぐ満席になるほどの人気講座となっています。

:::中略:::

■「公式だから」は通用しない
探究学舎の特徴のひとつが、「公式をうのみにしない」こと。
たとえば、円の面積を求めるには、「半径×半径×3.14」という公式を、学校で教わります。でも、なぜこの公式になるのか。大人でも、スラスラ答えられる人は少ないでしょう。
探究学舎では、「なぜ、そうなるのか」を徹底的に考え、ひとつひとつ体験し、納得しながら進んでいきます。
一般的な算数の授業であれば、「長方形の面積は、底辺×高さ」で終わるところですが、探究学舎の授業は違います。
「昔の人は、どうやって畑の広さを測ったのか」
という問いから面積の求め方につなげていきます。
「図形の起源は、古代エジプトの畑の計測からだった」ということをここで子どもたちは初めて知ります。さらに数人のグループになって話し合いをし、自分たちなりの回答を見つけていきます。

今回の講師を務めるのは、探究学舎の代表でもある宝槻泰伸先生。「自分で何が分かっていないかを知って、それを考えていく」がモットー。生徒たちに「どうしてこうなるの? 納得いく説明をして」と、何度も問いかけている姿が印象的でした。

:::中略:::

■街に出て電信柱の長さをはかる!
探究学舎の授業は多岐にわたり、教室内だけに留まりません。時には屋外に出て、街にあふれている「算数」を見つけます。
今回は、角時計(ゴニオメーター)を使い、電柱の高さを測る挑戦をしました。ここで使うのが、習ったばかりの三角関数。小学生たちは、「サイン、コサイン、タンジェント」の歌を楽しみながら歌い、高校数学で習う公式を応用していきます。

:::中略:::

これからの時代、技術が発達し、ネットでなんでも情報が入るようになったからこそ、「自ら考える」力というものが、改めて必要とされるからです。
だからこそ、保護者としては、勉強や学習方法についての悩みはつきません。
「これまでの学習方法でいいの?」「受験用の勉強だけではなく、もっと子どもが自ら考える勉強をさせるには?」
お稽古でもない、受験勉強でもない探究学舎で得られる体験は、子どもに考えることの楽しさや、新しいことを知り、さらに探究していくことの喜びを教えてくれる、大きなきっかけとなりそうです。
<参照>探究学舎 リンク

:::引用終わり:::

 

 

 

石山 巌 

文科省じゃなく経産省が「教育改革」に乗り出す

教育改革は文科省が勧めているかと思いきや、経産省が勧めているという!

******************************************************

イノベーションを生み出す人材をどう育むか―。経済産業省がこんな視点から教育改革に挑んでいる。均質性や自前主義を大前提とする公教育のあり方に一石を投じる施策にはさまざまな課題があるが、低成長時代の日本が世界と伍(ご)していくには避けて通れないテーマだ。

ITや人工知能(AI)の進展は人間の能力の多くを代替できるようになる。そこで問われるのは、一人ひとりの発想力や課題解決力。こうした問題意識で省庁間の縦割りを排し、施策としてどう実現していくかが問われている。

  経産省が普及を目指すのは、ITやAIといった先端技術を取り入れた教育。教育(education)と技術(technology)を掛け合わせ「EdTech(エドテック)」と称される。

  講義動画の配信といった現状のオンライン教育の域を超え、生徒一人ひとりの興味や特性をデータ分析によって把握。好奇心のおもむくまま、一つの分野を追求する知のナビゲーターとして活用したり、これをきっかけに分野横断的な学習プログラムに発展するといった「未来の教室」を構想する。

  主体的に学ぶ姿勢を身につけることで、身近な生活の中にも画期的なアイデアイノベーションの萌芽(ほうが)を見い出す「改革者予備軍」を輩出する狙いだ。

  「等しく同じ」をよしとする従来の学校教育では、こうした能力は伸ばせない。「1億総活躍社会」とは、すべての人が既存分野で平均的に活躍するにとどまらず、多様な人材が得意とする分野で個性や能力を開花させることを求める時代だ。

  文部科学省は2020年度に実施する大学入試改革で、評価の力点を思考力や判断力、表現力に評価の重点を置く。他方、総務省は教育現場のIT化を見据えインフラ整備を急ぐ。課題の一つである児童・生徒が授業で用いるシステムと、教職員が校務に使うシステムとの安全かつ効率的な連携促進策は一例だ。

  こうした既存施策に「EdTech」の視点が新たに加わり、教室の風景はどう変わるのか。教育の未来が問われている。 

参考:リンク

******************************************************

 

 

 

二島圭入

実は日本だけ。なぜ我が国の学生は毎日学校を掃除しているのか?

掃除をする意味って?
mag2ニュースより以下引用です 
リンク
雑巾の役目は、汚れを雑巾に移すことです。これがわかっていないと、雑巾を滑らすだけで「拭いた」つもりになります。

こんな一見「当たり前」のことが、わかっていることが大切である。自分自身を汚すことで、他をきれいにする。それが雑巾。こういうことを、一年生段階で教えるべきだということである。六年生がやってくれるから、トイレのことも、教えないと気付かないのである。

自分自身が大変な思いをすることで、他を輝かせることができる。汚れない訳にはいかない。自分だけがきれいなものを使いたいというのは「きれいなもの好き」の人間の考え方である。「きれい好き」の人間は、自分が汚れても周りをきれいにする。そして、無駄に周りを汚さない。掃除は、そういうことも気付かせてくれる。

法的には毎日やる必要がない。しかし、やはり、意味がある。日誌を書かせるのと同じで、大変でも継続的にやらせたいのである。大変なことには「大きく変わる」可能性がある。

「掃除は当たり前」という考えに一石を投じてみたく、書いてみた。
引用終わり

 

 

 


志水満

学校に行かないと決めた、12歳の哲学者が教えてくれること①

中島芭旺くんは10才のときに、自身の考えを記した著書『見てる、知ってる、考えてる』を出版し、全世界で累計17万部を突破している。

そんな中島芭旺くんが12才の今、インタビューに答えているのが興味深いので紹介したい。
BUSINESS INSIDER JAPAN ビジネス インサイダー ジャパンリンクより
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
○学校のシステムへの疑問から「前向きな不登校」に
―10歳にして本を出版されて、まわりからの反響は大きいのでは?
あまり、まわりの反応は気にしていないんです。学校の友達の接し方も特に変わったわけではありませんし、いつも通り。ただ、視野が広がったな、というのは実感しています。こないだ、ノルウェーで翻訳本が出版されたので現地へ行く機会があったのですが、どこに行っても自分で選択した生き方をすることを応援してくれる人はたくさんいるのだな、と感じました。僕と同世代で、「学校に行きたくないな」と感じている人に、「学校へ行かない」という選択肢があること、「10歳でも本が書けるんだ」ということ……何か少しでも感じ取ってもらえたらいいな、と思っていました。

―そもそも、ご自身の本を出版するきっかけはなんだったのですか。
9歳のころ、ホリエモン堀江貴文)さんが「自分の経験が商品になる」ということを発信されているのを見て、それで自分に関する本を書くことに興味を持ち始めたんです。母に相談してみたら、Facebookでよく見かけていたらしいサンマーク出版の高橋朋宏編集長のFacebookページを見せてくれて。「この方のような編集長と言われる方が本を作るんだよ」と教えてくれました。それで、僕は自分の勘を信じて高橋さんにメッセージを送ったんです。「僕の経験を本にしたいんです」って。お母さんにも言わないで、勝手に。それから、高橋さんと会って、本を出すことになりました。

―芭旺さんが小学校へ行かなくなったのは、なぜですか。
いじめがあったのもきっかけの一つなのですが、学校のシステムに「疑問」を持ったのが大きな理由でした。何かを勉強していて、すごく興味のあることでも、授業時間が終わると、勉強をやめないといけない。なんで2時間じゃなくて、50分とかそのくらいなんだろう、って。テストのときもそう。問題を早く解き終わったら、本を読みたいのに、「まだテスト中なんだから読んだらダメ」「ちゃんと見直ししなさい」と言われる。見直したとしても、10分もあれば終わっちゃうのに。勉強することは好きだったけど、学校のシステムが自分に合っていなくて、嫌いだった。それで、お母さんに「もう学校に行かない」と伝えたんです。

―お母さまはどんな反応でしたか。
「よく言えたね」って。それまで特に相談はしていなかったんですけど、僕が学校に行きたくないのに気づいていたみたいです。「学校へ行かない」と決めたときには、怖さもありました。「友達に嫌われてしまうんじゃないか」って。そんなときに背中を押してくれたのが、『嫌われる勇気』という本でした。この本に教わったのは、好きなことをやる勇気を持つということ。おかげで今、自分の本を出したり、こんなふうに取材を受けたりすることができています。僕は不登校はひとつの才能だと思います。それは不登校するという決断を出来るという才能。自分を信頼できるという才能。(『見てる、知ってる、考えてる』より)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

蔵端敏博

学校に行かないと決めた、12歳の哲学者が教えてくれること②

中島芭旺くんは10才のときに、自身の考えを記した著書『見てる、知ってる、考えてる』を出版し、全世界で累計17万部を突破している。

そんな中島芭旺くんが12才の今、インタビューに答えているのが興味深いので紹介したい。
BUSINESS INSIDER JAPAN ビジネス インサイダー ジャパンリンクより
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
○「今日学校に行くか、誰に学ぶか」すべて、自分の決断
―学校へ行かないと決めてから、どんなふうに過ごすようになったのですか。
自分で教科書を読んで勉強したり、知りたいことを調べたり、知識を得たことについて深く考えたりするようになりました。あと、会いたい人に会うようにしています。本を書くきっかけをくれたホリエモンさんにも会いに行って、「学校に行っていないんです」と話したら、「いいじゃん」と言ってもらえました。ホリエモンさんの、自分に正直に生きているところや、自分のやりたいことを実行しているのが、いいなぁと思っていたんです。

―自分でやることを決めたり、勉強したりするには、自立心や自制心が必要だと思うのですが、戸惑いはありませんでしたか。
もちろん、勉強しない日がないわけではありません。でも、僕はもともと勉強が嫌いではなくて、むしろ好きなほうだったので、自主的にがっつり勉強するときもあるんです。家庭教師の方に来ていただいたこともあったのですが、僕は「教わる」というより、自分の気になったことをネットや本でとことん調べるほうが合っていたみたい。何をどう学ぶかも含めて、「自分のことは自分で決める」と覚悟していたので、大きな戸惑いはなかったと思います。

―最近はまた学校へ通うようになったんですね。
何か特別な変化があったわけではないんです。ただ、「学校に行きたくないときに無理して行かない」「自分のことは自分で決める」と決めてから、かえってやる気が出るようになったのは確か。それでまた通うようになりました。もともと学校そのものが嫌いというわけではなかったし、学校に行くことで楽しめることも、もちろんあります。「強制的に行かなくてもいい」となると、なんとなく気が楽になって、自然と行きたいと思えるようになったのかもしれません。今は、朝5時くらいに起きて、その瞬間に学校へ行くかどうかを決めています。学校の先生もそれを受け入れてくれているみたいで、昼から行ったら「朝の会ではこんなことがあったよ」と話してくれたり、僕からも「こんな人に会ったよ」と話したりします。

―ちょうど小学校をご卒業されて、中学校へ進学されるんですよね。環境が変わることで、何か心境に変化はあるのでしょうか。
同じ小学校の子がそのまま中学へ進むので、「中学に入ったらこんなことをしたい」という具体的なイメージがあるわけではないんです。よく、将来のことを聞かれるのですが、それについてあれこれ考えるより、今、どうするか、どうしたいか、何をするべきなのかについて考えるほうが重要なんじゃないかと思っているんです。未来なんて、分かるはずのないこと。「未来」に縛られるより「今」を生きたほうがいい。なので、今はそれに集中しています。

―今、どんなことについて興味を持っているのですか。
今はプログラミングとか、パソコンがどうやって動いているのか、コンピュータについていちばん興味があります。なおさら、学校では教わらないことなんですよね。「プログラミングで何かを作りたい」というより、興味があること、勉強したいことを、自分でひたすら勉強するのが楽しいんです。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

蔵端敏博