日本の教育が進化しない理由

リンクより

 

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日本の教育は、お父さんの代…いや、おじいちゃんの代から大きな変化をしていない。それは黒板を使っているなどの物質的な話だけではなく、もっと本質的な話である。

今の30代40代のお父さんお母さんも、学校に母校に行けば思わず「懐かしい」と口にしてしまうだろう。それほどまでに時が止まっているのである。

その頃、社会はどうかというとポケベル→PHS→携帯電話(ガラケー)→スマートフォンと変わっている。

■なぜ、このようなのとが起こるのか?

過去の成功体験が邪魔をする
日本は戦後、ものづくりで高度経済成長を迎えた。その頃の日本を支えていた教育、それが今も残る、私たちが教育と言われてイメージするものである。

今の教育システムが悪者という議論ではない。今の教育システムが、かつて日本の成長を築いたことは紛れもない事実である。しかし、あくまでそれは過去の話。その時代にはまさにマッチした教育システムだが、教育が止まっている間に社会のほうが先へ進んでしまったのである。

新しいテクノロジーによりライフスタイルが変わるのは自然なことで、ライフスタイルが変われば必要な仕事や能力も変わる。必要な仕事や能力が変われば、教育も変わるのが当たり前である。しかし教育は変わらなかった。それが教育と現実社会のギャップを大きくしている。

日本の教育は世界でも遅れをとっており、ここにきてようやく【自分の力で考えて解く】という当たり前の議論がなされるレベルである。

■日本は先進国ではなくなる
今後、あらゆる面で日本は世界から遅れをとり、取り残されるという意見すらある。これに関して、もっとも悪い例が教育である。実際に日本の教育は遅れている。この原因は、まさに過去の成功体験が邪魔をしているからである。

発展途上国は成功体験が無い分、ものすごい速さでテクノロジーを導入していく。先進国が経験した途中段階を飛ばして成長するのだ。
これに対し日本は、過去の成功体験が邪魔をし、新しいモノを取り入れるのに躊躇し、批判し、否定し、変化の速度が遅れてしまう。そうして世界から取り残されるのである。

実際に新しい教育論を展開すれば、たちまち古い考えの教育者から叩かれてしまう。古い教育を守ろうとしている人たちにより、日本の教育はどんどん遅れをとっているのである。

ここがヘンだよ日本の教育
先生は教え、生徒は聞き、それでお互いに仕事をやっているという表面上の教育になっていて、次世代リーダーが育っていないのである。いわゆる、やっているフリになっているのである。
 
しかし、社会では全く逆のことをしなければならない。それこそ、やっているフリではなく、やった成果が求められるのだ。
 
それを考えると、自分で考えて自分でやれ!教育のほうが、むしろしっくりくるのではなかろうか?
 
そんなこんなで
大人が教育について真剣に考えましょうね!

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(姜ヨセフ)

日本の教育が進化しない理由

リンクより

 

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日本の教育は、お父さんの代…いや、おじいちゃんの代から大きな変化をしていない。それは黒板を使っているなどの物質的な話だけではなく、もっと本質的な話である。

今の30代40代のお父さんお母さんも、学校に母校に行けば思わず「懐かしい」と口にしてしまうだろう。それほどまでに時が止まっているのである。

その頃、社会はどうかというとポケベル→PHS→携帯電話(ガラケー)→スマートフォンと変わっている。

■なぜ、このようなのとが起こるのか?

過去の成功体験が邪魔をする
日本は戦後、ものづくりで高度経済成長を迎えた。その頃の日本を支えていた教育、それが今も残る、私たちが教育と言われてイメージするものである。

今の教育システムが悪者という議論ではない。今の教育システムが、かつて日本の成長を築いたことは紛れもない事実である。しかし、あくまでそれは過去の話。その時代にはまさにマッチした教育システムだが、教育が止まっている間に社会のほうが先へ進んでしまったのである。

新しいテクノロジーによりライフスタイルが変わるのは自然なことで、ライフスタイルが変われば必要な仕事や能力も変わる。必要な仕事や能力が変われば、教育も変わるのが当たり前である。しかし教育は変わらなかった。それが教育と現実社会のギャップを大きくしている。

日本の教育は世界でも遅れをとっており、ここにきてようやく【自分の力で考えて解く】という当たり前の議論がなされるレベルである。

■日本は先進国ではなくなる
今後、あらゆる面で日本は世界から遅れをとり、取り残されるという意見すらある。これに関して、もっとも悪い例が教育である。実際に日本の教育は遅れている。この原因は、まさに過去の成功体験が邪魔をしているからである。

発展途上国は成功体験が無い分、ものすごい速さでテクノロジーを導入していく。先進国が経験した途中段階を飛ばして成長するのだ。
これに対し日本は、過去の成功体験が邪魔をし、新しいモノを取り入れるのに躊躇し、批判し、否定し、変化の速度が遅れてしまう。そうして世界から取り残されるのである。

実際に新しい教育論を展開すれば、たちまち古い考えの教育者から叩かれてしまう。古い教育を守ろうとしている人たちにより、日本の教育はどんどん遅れをとっているのである。

ここがヘンだよ日本の教育
先生は教え、生徒は聞き、それでお互いに仕事をやっているという表面上の教育になっていて、次世代リーダーが育っていないのである。いわゆる、やっているフリになっているのである。
 
しかし、社会では全く逆のことをしなければならない。それこそ、やっているフリではなく、やった成果が求められるのだ。
 
それを考えると、自分で考えて自分でやれ!教育のほうが、むしろしっくりくるのではなかろうか?
 
そんなこんなで
大人が教育について真剣に考えましょうね!
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(姜ヨセフ)

伝統技芸の人材育成(樽桶づくり・杉山芳次)


学校教育の限界が指摘されて久しいものの、それに代わる方法論が確立されず、模索が続いている。温故知新、伝統技芸の世界では、どのように人材育成をしているのか。今回は樽桶づくりについて調べてみた。

「樽桶づくり一筋60年“今なお一生勉強だ”を胸に精進リンク」より抜粋

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私が親方に弟子入りしたのは14歳のときです。弟子は親方の家に住み込んで修行するわけですが、親方に挨拶をして帰る母親の後ろ姿を見たとき、涙が止まらなかったことを覚えています。確かに修行は厳しかったですね。

親方は弟子に対して手をとって教えてくれるということはまずありませんでした。弟子は親方のやり方を見て、その技を「盗む」のです。自分では親方と同じようにやっているつもりでも、親方からしょっちゅう怒られました。ときには殴られることもありました。でも自分ではどこが悪いのか、全くわからない。そんな日が続きましたね。あまりの厳しさに数人いた弟子も次第にいなくなり、最後まで残ったのは私1人でした。

今ではとても考えられませんが、年季奉公の5年の間、食事は出るもののほとんど無給でした。年季奉公が明けた元日の朝、一人前になったからといって500円とタバコを2箱もらいました。年季奉公が終わった後1年間はお礼奉公するというのが当時の慣わしでした。私も合計6年間、その親方に仕えました。その後、さらに4年間、別な親方の下で修行しました。

桶や樽が1つひとつ仕上がっていくのがとても楽しいし、うれしい。それがやりがいでしょうね。でも、この仕事を60年間もやっていても、自分で気に入ったものはなかなかできません。だからいつも、「これからももっと勉強しなきゃいけない」と自分に言い聞かせています。

今の若い人たちは、長く1つのことに取り組むという気力が十分でないように思います。仕事はいいことばかりっていうことは絶対ありません。むしろ苦労のほうがはるかにたくさんある。1つはがまんすることの大切さをわかってほしいと思いますね。また、「まじめ」ということも仕事に向き合うときに欠くことができないものですね。とにかく仕事にまじめに取り組む…それがやがて他の人たちから評価されるようになるのではないでしょうか。

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(野田雄二)

不登校をはじめとして、学校制度は崩壊過程に入っている。

不登校はじめ、学校制度の不安がやまない。
内田樹氏の数年前の発信をリンクから抜粋して紹介したい。
  
 =以下、抜粋紹介=
日本の近代学校教育システムは「国民形成」という国家的プロジェクトの要請に応えるかたちで制度設計された。
つまり、学校の社会的責務は「国家須要の人材を育成すること」、「国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」ことに存したのである。
サラリーマンになるにしても兵士になるにしても学者や政治家であっても、教育の目的はあくまで「国家須要の人士」の育成である。成否は措いて、この目的そのものは揺るぎないものだった。
1945年の敗戦でも、学校教育の目的が国民国家の未来の担い手を育てることであるという目的そのものに疑いは挟まれなかった。戦後生まれの私たちの世代は「民主的で平和な日本の担い手」たるべく教育された。
明治維新以来、学校教育は「国民国家を維持存続させるため」のものであり、教育の受益者がいるとすれば(そういう言葉は使われていなかったが)、端的に共同体それ自身だったのである。

この合意が崩れたのは一九七〇年代以降のことである。
歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である。私たちは「平和と繁栄のコスト」をいろいろなかたちで支払うことになったが、学校教育の目的変更もそのひとつである。
このとき、学校教育の目的は「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。
教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。

  =中略=
もちろん文科省の発令する文書には依然として「愛国心」や「滅私奉公」的な言辞がちりばめられていた。だが、そこで言われる「愛国心」は実際には単に「上位者の命令に従うこと」しか求めていなかった。「滅私奉公」してまで何をするかというと、「グローバルな経済競争に勝ち残ること」つまり「金儲け」なのである。
このとき、国民国家はほぼまるごと「営利企業モデル」に縮減されたのである。上司の言うことを黙って聞いて、血尿が出るまで働いて、売り上げノルマを達成すること、それが学校教育の事実上の目標に掲げられる時代になったのである。

  =中略=
近代の学校教育が「国民国家内部的」な制度である以上、学校教育の衰退が国民国家の衰退と歩調を揃えるのは当然のことである。

経済のグローバル化に伴って、いま世界中で国民国家はその解体過程にある。領土があり、官僚組織と常備軍を整え、その土地と文化につよい帰属意識をもつ「国民」を成員とするこの統治システムそのものが終わりつつある。
グローバル資本主義は人、資本、商品、情報が超高速でクロスボーダーに移動することを要求する。この要求は不可逆的に亢進し続ける。
クロスボーダーな運動にとって最大の障害は国境、ローカルな国語、ローカルな法律、ローカルな商習慣である。これらすべてをすみやかに排除することをグローバル資本主義は求める。
経済のグローバル化を強力に牽引しているのはアメリカという国家だが、アメリカの国家戦略を実質的にコントロールしているのはすでに政治家ではなく、グローバル企業である。
国民国家グローバル資本主義にとって、クロスボーダーな経済活動を妨害するローカルな障壁だが、利用価値がある限りは利用される。
国家資源は、政治家も官僚組織も軍隊もメディアも、もちろん学校教育も総動員される。
だから、グローバル化の進行過程で「国民国家の次世代の成員を育成する」といった迂遠な目的を掲げる公教育機関が存続できるはずがない。
グローバル資本主義国民国家とも、学校教育とも「食い合わせが悪い」のである。

だから、「グローバル化に最適化した学校教育」はもう学校教育の体をなさない。
教育にかかわるすべてのプレイヤーが「自己利益の最大化」のために他のプレイヤーを利用したり、出し抜いたり、騙したりすることを当然とするようなれば、そこで行われるのはもう教育ではないし、その場所は「学校」と呼ぶこともできない。

 =中略=
結論を述べる。
本の学校教育制度は末期的な段階に達しており、小手先の「改革」でどうにかなるようなものではない。そこまで壊れている。
唯一の救いは、同じ傾向は世界中で見られるということである。
学校教育が国民国家内部的な装置である以上、グローバル化の進行にともなって、遠からず欧米でもアジアでも、教育崩壊が始まる(もう始まっている)。だから、日本の学校教育の相対的な劣位がそれほど目立たなくはなるだろう。

もう一つだけ救いがある。それは崩壊しているのが「公教育」だということである。
国民国家が解体する過程で、公教育は解体する。だが、「私塾」はそうではない。
もともと私塾は公教育以前から、つまり国民国家以前から存在した。懐徳堂適塾松下村塾が近代日本で最も成功した教育機関であることに異議を唱える人はいないだろうが、これらはいずれも篤志家が「身銭を切って」創建した教育機関である。
このような私塾はそれぞれ固有の教育目的を掲げていた。「国家須要の人材」というような生硬な言葉ではなく、もっと漠然と「世のため人のために生きる」ことのできる公共性の高い人士を育てようとしていた。
それがまた蘇るだろうと私は思っている。隣人の顔が見え、体温が感じられるようなささやかな規模の共同体は経済のグローバル化が進行しようと、国民国家が解体しようと、簡単には消え失せない。そのような「小さな共同体」に軸足を置き、根を下ろし、その共同体成員の再生産に目的を限定するような教育機関には生き延びるチャンスがある。私はそう考えている。そして、おそらく、私と思いを同じくしている人の数は想像されているよりずっと多い。

 

(佐藤有志)

大人達への失望~僕は中学校へ通うのをやめた(丸本大仁 著)

大人達への失望~僕は中学校へ通うのをやめた(丸本大仁 著)

 

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“何故に答えない教師"に教わる必要なし。
僕は流される大人にはなりたくない。
現役中学生から大人への痛烈メッセージ!

僕が不登校になってから約1年後の2021年7月に三者懇談会がありました。
僕は学校に行っていないのに何を話すんや? みたいな話ですけど、中3なので進路などの話がありました。

「丸本くん、今後の進路はどうしますか?」
先生が進路について尋ねてきたところ、父が間に入りました。

「先生、それより不登校からもう1年が経ちました。人間関係はどうしますか?」
父の発言で先生は固まっていました。決して高圧的な態度で迫った訳ではないのですが。

父は一年間放置された事に対して尋ね始めました。
子どもに対して義務を果たさないというのはとても重たいことだと思います。
無視するという問題は決して許される行為ではありません。

僕が不登校になったのはコロナがきっかけであって原因ではありません。人としての尊厳を無視し、意義を問うても答える事をせず、強制するというところです。差別と偏見を感じるからです。

学校の先生だけでなく多くの大人も気付いても何も言わない。上からのお達しに黙って従う。考えない。その被害は子どもに向くのです。今の大人達が行動を改めなければ次の世代は惨憺たる世界観になると思います。次世代を育てる義務を負う先生達も一般の大人も気付いて欲しいです。

何故コロナ騒動が起きたのか考えてみてください。マスゴミに煽られ何も考えないまま流され、見せられた映像に皆が反応して多くの人々が踊ったことが騒動の原因だと思います。これはコロナ脳の方たちだけでなく、気付いた方たちも今一歩先を見てください。いつまでも「コロナ」「コロナ」と言っていては終わりません!
***

 

宮田一郎

就学前からの「入学準備」や「入学までのしつけ」がいじめや暴力を生んでいるわけ

いじめと言えば中学が一番多いかと思っていたが、今や小学校低学年がもっとも多いらしい。いじめの低学年化とともに学校離れが急加速していくに違いない。

リンク)より紹介。

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◆学校におけるいじめの認知件数は何年生が多い?

学校におけるいじめの認知(発生)件数は何年生が多いと思いますか?
多分多くの人は中学生が多いと考えているのではないでしょうか。
実はそれは以前のことで、ここ数年は小学生、しかも低学年で増加しています。
最もいじめの認知(発生)件数が多いのは小学校2年生で、小学校1年生でのいじめの認知(発生)件数も増える傾向にあります。
つまり、小学校に入学した時からいじめが始まっているということが見えてきます。

◆子どもの問題ではなく大人の側の問題

「小1プロブレム」という言葉をご存知でしょうか? 
「小1プロブレム」とは小学校へ入学したばかりの1年生が、集団行動が取れない、授業中、椅子に座っていられないなど、小学校の生活に、なかなか馴染めない状態が数ヵ月継続する状態をいいます。
これまでは、1カ月程度で落ち着いていたのですが、昨今これが継続するようになり、授業が成立しない状況が続くこともあるようです。

◆規則やルールが多いほど管理が強くなる

集団行動ができない、校則やマナーが守れない、長時間じっとしてイスに座ることができない、先生の指示が通らない、与えられた課題に素直に取り組めないなどなど、「きまり」が守れない子は「発達障害」というレッテルを貼り、排除と隔離の対象になります。
いわゆる親や学校にとっての「問題児」となります。

「問題児」と認定された子どもはどんな行動をとるでしょうか。
「いけない子」を「よい子」にするために就学前から「入学準備」や「入学までのしつけ」を押し付けるのでしょうか。
私は、就学前から集団ルールの決まりや先取りの勉強をさせることが「よい子」になると考えている大人たちの考え方を変える必要があると思います。
子どものいじめの背景には、「いけない子」を「よい子」にするために大人が「よかれ」と思ってやっていることがあります。
大人の「よかれ」が増えれば増えるほど子どものいじめが増えています。

◆2017年度のいじめの件数は過去最多を更新し特に小学校低学年が多い

2017年度(平成29年度)に全国の小中高校が認知したいじめの件数は、前年度より9万1,235件増の41万4,378件で、過去最多を更新した。昭和60年度の調査開始以来、過去最多となった。
小中学校、高校、特別支援学校におけるいじめの認知(発生)件数は、前年度比9万1,235件増の41万4,378件。
学校別では、小学校31万7,121件(前年度23万7,256件)、中学校8万424件(前年度7万1,309件)、高校1万4,789件(前年度1万2,874件)、特別支援学校2,044件(前年度1,704件)。
小学校での増加が目立ち、特に小学校低学年が多い傾向にある。

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宮田一郎

働きながら学ぶ その場の活力の高さ

働きながら学ぶ短大の記事より。
その短大は、既に社会に出ている人たちが、技術知識や経営への欠乏を元にその力を養う場所だった。設立は先人の危機感を突破し業界の質を保つ実践場であり、多くの現実技・場課題を元に「参加」こそ最大の「学習」としている。

生産課題への欠乏が前提にあるのは勿論だが、活力の高さは「実践」と「先人の技」も大きく作用しているように思う。

 

リンク
リンク

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JR池袋駅から徒歩7分。東京建築カレッジがそこにある。
建設産業で働く若者たちが木造建築の技術・技能を学ぶ、職業能力開発短期大学校である。

この学校の特徴は「働きながら学ぶ」というところにある。
日頃は建設関係の事業所に所属して現場で働き、金土の週に2日(あるいは3日)、2年間学校に通う。
カレッジを設立したのは、東京土建一般労働組合である。

建設産業の労働組合が大学をつくることを不思議に思う人がいるかもしれない。
しかし欧米を見れば、産業の担い手を労働組合が育てている国は珍しくない。
技術者を養成し技能を正しく評価するシステムが、日本ではまだまだ遅れているのである。
産業全体で養成していかない限り、遠からず優れた職人は姿を消し、千年の昔から伝わってきた先人の知恵と技は失われてしまうだろう。

カレッジの開校は、こうした状況を打破するための一つの提案であり、試みであった。
ドイツのマイスター制度を参考にしながら、木の良さを生かす日本の伝統技術や構法、自然環境に調和した住まいづくりを教える。

木造建築の可能性を追求し、新しい時代の建築スペシャリストとしての職業能力を育てている。

 
 建築を網羅したカリキュラム
カリキュラムは専門実技科目、専門学科目、専門総合科目の三つの柱から組み立てられ、2年間のカリキュラムをこなし卒業すると2級建築士の受験資格を得られる。

実技・学科は、施工系/計画系/構造系/情報系の科目に分かれている。
すべてを必修として学びながら、建築の過程全体を見通し、住まい手の要望に応える構想(計画)を提案でき、また具体化(表現)できる技術技能者の養成を目指している。

学べる内容は
・鉋や鑿を使ったり、墨つぼを使った墨付け、釿(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)などまで使った技術指導
・建築製図の基本から建築デザイン、プレゼンテーション技法の指導
・建築CADソフトやパースの指導
さらには木材やコンクリート、鉄筋の強度を検証する建築材料実験など建築材料の特性の把握まで指導の範囲は多岐に渡る。

1年秋から冬にかけて、全員で役割分担をし自分達で加工した木材で、実際に木造2階建ての建方まで行い、2年次にこの建てた木造2階建てを解体することから始まるというサイクルを行っている。

学校の集合訓練だけでなく、各自の現場課題による訓練(OJT)もカレッジの学習の大きな領域。
カレッジでは「参加」こそ最大の「学習」としている。
先生方はバリバリの職人さんや親方、技術者の方々で、この学校の卒業生の方も指導にあたっている。

第一線の職人・親方・棟梁、技術者・教育者が先頭に立って、建築の産業の未来を担う若者を育てているのもこの学校の特徴である。


 驚かされる参加者の意識の高さ
「みんな同じ目標に向かっているから頑張れるというか、なんだろう、なんか仲間なんすよね!」

私が見学に行った際、休憩中にお話を聞かせて頂いた20代の生徒さんが満面の笑みで答えた学校の良いところだ。
彼はさらに続けた。

「月~木までは仕事を頑張って、どんなに仕事が辛くても、金土のこの学校に来ることが楽しみで、仕事も頑張れるんすよね」

休憩中でも快くインタビューに応じてくれ、その笑顔から溢れるばかりの充実感が感じ取れた。

 
この休憩中に他の生徒さんに目をやると、2種類の木材を持ちながら話し合っている方、鉋の刃の研ぎ方を先生に教えてもらっている方、削ったほぞ穴について先生と話をしている方、釿(ちょうな)で削った木材の表面を触りながら生徒さん同士で話し合っている方。

和気藹々という雰囲気の中に見えた、生徒さんとこの学校の卒業生である先生方の“真剣さ”と“意識の高さ”にはただただ感心するだけである。

新築ではプレカットが主流となっているが、リフォームにおいては高い技術が求められている。
昨今、空き家問題が取り上げられ、リフォーム受注も増えていくと予想されるこの業界において、ここまでの技術・知識、そして“意識”を育ててくれる東京建築カレッジは、若手の育成だけでなく、工務店様の『新たな強み作り』に貢献する選択肢の一つとなるのではないか。

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(匿名希望)