正解思考を脱して、仲間との追求へ

こんばんは☆

自分の頭でモノを考えるには?

中高年の自分自身の思考を振り返っても、それを阻んでいるもののひとつに、「正解思考」があると感じています。(学校教育に従順で、優等生な人ほど、陥りやすいのかも・・・)

前回取り上げた「完璧思考」に近いのですが、この「正解思考」は正解ではないこと=マイナス評価を極度に恐れる、というところで余計に厄介かなと思います。
どこかに「正解」があると思い込んでいるので、それが分かるまでは(マイナス評価になるかもしれないから、怖くて)何も発信できないという感じです。

例えば、仲間から何か指摘を受けたときも、「何を言ったら皆は許してくれるのかしら?」といったズレた意識に陥ったり、下手をすれば指摘されたときの自分の感情すら「分からない」と答えるほど、自分を守ろうと潜在思念を封鎖してしまうのです。

正解思考、何が問題でしょうか?どうしたら突破できるでしょうか?
続きはこちら⇒リンク

 

 

 

女の職場話

自分の頭でモノを考えられない順応回路→絶滅種⇒どうする?

>生物には、順応回路があり、これは「決められたことに従う」と言う規範回路だが、その大半「いい生活を手に入れる⇒そのために私権(地位や財産)を獲得すること」「選択肢が広がる」などの騙し観念で構成されている。そして、強制圧力と順応回路は、本能課題などを封鎖していく。内発エンジン[本能]を封鎖したので、エネルギーが出ず、どんどん活力が低下し約五分の一にまで低下していく。
それだけではなく強制圧力、順応回路は自分にどんどん収束していく。[自我]だから最終的には、外圧捨象にまで行き〔外圧捨象しすぎて自分の本能回路を封鎖していく。〕自分には「どうでもいい」などと捨象していく。更に、五分の一だったのに、約十分の一にまで低下していく。(353809)

加えて、強制されたことや決められたことに従って生きるだけでは、自分の頭でモノを考えることが出来ず、追求力が全く形成されていない。外圧に適応すべく作られた本能を封鎖している以上、危機に瀕しても自分で考えることが出来ず、まったく対応できない。それではこの先生きていけない。

現代人の大半はこの順応回路に冒されているように思える。
主犯は私権の強制圧力と、学校の強制圧力だが、とりわけ成長期に詰め込まれる学校教育の影響は甚だしい。

「決められたことに従う」順応回路は、秩序化本能=適応本能さえも封鎖し、強制圧力によって形成された社会規範や社会共認に収束してしまうことを意味している。

今回のコロナ騒動を見ても、自分の頭で考えることもせず、マスコミの垂れ流す情報に惑わされ、学者やマスコミによって作りだされた偽の社会共認に従い、挙句の果てはその社会共認に背くものを取り締まるものまで出現する始末。

このような状況でも、コロナ騒動によって多くの人々の意識が変わり(考え始め)、さらにベーシックインカム(AI)導入により私権社会からのパラダイム転換が実現すると考えていたが、順応回路を考えるにつれ怪しく思い始めてきた。少々の所得保障くらいでは何も変わらないような気がする。

突破口は本能封鎖を解くこと、自分の頭で考えることだが、もう一つ考えなくてはならないのが社会共認の行方。社会共認の潮流や方向性を捉え、従う方向に順応回路で舵を取ると思われるため、学者やマスコミの作り出す意図的な支配共認に違和感を感じられるかどうか、そして真っ当な社会共認を形成していくこと。

3か月、実際に働いて分かったこと

●コロナ休校中、学生の皆さんは何をしていたのだろうか?私はこの3か
月間、このサイトの経営母体である類グループに頼み込んで、働かせてい
ただいた。このような体験をただの学生である私にさせていただき、類グ
ループの皆さんには、本当に感謝したい。

 さて、学生の皆さんは、「働く」を体験したことはあるのだろうか。も
ちろん、学校で行われている職場体験などで体験したことはあるだろうと
思う。しかし、1つの組織に長期間、しかも与えられた仕事ではなく自ら
の志発で働いたことのある学生は、ほぼいないのではないだろうか。今回
のコロナ休校中、3か月働いて分かったことを投稿し、類グループの方々
、そして志のある学生の皆さんに、少しでもお役に立てればと思う。

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1.追求力が命
 実現塾、探求科などでもたびたび言われていることだが、「追求力」の
重要性。これをひしひしと実感できた。今回私が働いた期間は、当たり前
ではあるがコロナ騒動と丸々被る。このコロナ禍で成果を出すというのは
今まで働いてこられた社員の方も今まで経験したことのない、いわば未知
の課題である。そんな中、毎朝ミーティングの中では、その場にいる全員
が全力追求、意見が次から次から次へと活発に飛び交った。今まで学校に
通う中では、見たことの無い光景だった。働いて気づいたのは、追求力が
無ければ、この場には絶対についていけないこと。追求力があるからこそ、この未知の課題に、全力で向き合えること。


2.充足力の重要性
「仕事」と聞いてまずイメージするのは、どんな光景なのだろうか。静か
に黙々と課題に取り組む光景。おそらく、一般の学生が仕事をイメージす
ると、こんな光景が浮かぶように思う。しかし、今回分かったのは、その
姿勢では絶対に成果は上がらないこと。1でも書いた通り、まずは全力で
追求し、周りの意見を取り入れる。次に、それを実践する。そして、成果
が出れば全員で喜ぶ。出なければ「次どうする?」を全員で追求する。
こうしなければ、絶対に成果は出ない。そこでは、追求力と同時に、充足
力も絶対に必要だ。成果が出たときに、全員で喜ぶ。これによって、活力
が上がる、パフォーマンスが上がる。そしてそこからまた、新たな追求ポ
イントが生まれる。この繰り返しでないと絶対に成果が出ないことを、実
感できた。


3.働くと活力が上がる
 現代人の持つ仕事への負のイメージ。実際、学校の友人に働く事へのイ
メージを問うと、「嫌」「お金を稼ぐためにはしんどくてもしゃーない」
などの、負のイメージしか出てこない。しかし私は日に日に活力が増して
いった。これは「働くとは傍を楽にすること」という認識があったからだ
と思う。
このように、探求科や実現塾で得た認識、構造化の能力。これらが働くと
きにとても役に立つことを実感した。



4.学校の無意味さ
「学校の5教科に意味はない」
実際、3か月働いて、学校で得た知識を使ったことは漢字と加減乗除以外
一度も無かった。本当に必要だったのは、追求力と人間力。いずれも学校
に通うだけでは身につかない能力だ。私は働いて改めて探求科、仕事塾の
ありがたみ、そして学校の無意味さを実感した。



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以下は、働いた後の私の意見である。


●学歴・学力は仕事に「全く」関係しない
 実現塾などでも度々語られているこの認識だが、本当に飲み込めている
のだろうか。自己正当化のために、「折角通っているのだから何かある筈
だ」と考えている学生も実は多いのではないだろうか。先に、それは否定
しておく。3か月間、本当に一切使わなかったからだ。
 その上でもし、本当に飲み込めているのであれば、早く社会に出る、も
しくは類学舎へ行くべきだ。私は己の言語能力の低さにより親との交渉に
失敗した。その結果学校へ通っている訳だが、毎日仕事をしている類学舎
生には、仕事の能力、認識、追求力、何においても及ばない。日々これを
実感している。これから先、大転換の時代を迎えるにあたって、必要なの
は確実に学校で得た知識ではなく、類学舎で得る認識と追求力だ。
 もう一度言う。本当に「社会で役に立ちたい」という志を持っているの
であれば、早く社会に出るべきだ。


●では学生はどう生きる?
 上で、「早く社会に出るべきだ」と述べた。しかし、まだまだ近代観念
が蔓延っている現在、親の認識の古さや己の言語能力の低さによって志は
あれども社会に出ることのできない学生もたくさんいると思われる。
 先程述べた通り、私も学生のためあと2年学校に通う予定だ。学校に収
容される36か月の内3か月を働きながら過ごせた、という点では今まで
の学生よりずっと恵まれているのかもしれない。ただ、残りの2年をどう
過ごすか。

 私は決めた。仲間を救う。学校教育によって無能化されている最中の仲
間たちを救えるかどうか。これは私達にかかっているのだ。このままでは
=学校教育をこのまま放っておけば、1億総思考停止、いずれ日本は滅び
るであろう。この現状をこのまま放っていく訳にはいかない。現在大阪府
には小中高合わせて約6万人の学生がいる。そしてその内の殆どが無能化
へのレールに乗せられている最中なのだ。私も学生の端くれである。この
6万人はすべて仲間だ。この先2年、学生の仲間である間、常にこの「仲
間を救う」という意識を持つ。学校の中でも外でも、これからの私達を導
く新しい認識を広めていく。例え「変人」と言われても。
  私は3か月働かせていた類グループにこの意識で恩返しをしたいと思う。

無知な教師 知性の解放について(ジャック・ランシエール)

リンク

 私はそもそも教育学や国語教育学の書物をほとんど読まない怠惰な教師だが、率直に述べると、特に「専門家」による著作は敬して遠ざけている。理屈を超えて何となく拒否反応があるのだ。だが六年ほど前、ジャック・ランシエールの『無知な教師 知性の解放について』(法政大学出版局、2011/7/28)を読んでからは、この書物を実践の拠り所とするようになった。教育学ではなく教育学批判の本であり、狭義の教育を超えて、人々の「知的な解放」を探究する本である。この本に出会った頃にちょうど志村正彦の歌について語り合う授業も始めた。テーマやモチーフとしての志村、理論や方法としてのランシエール。あたりまえであるが、この二つは別の流れ、異なる系譜のものではあるが、今振り返ると、この二人の表現と思考に負うものが非常に大きいことに気づく。

 ジャック・ランシエールはフランスの哲学者。ルイ・アルチュセールの弟子だったが、師を批判する書物を出すことで頭角を現した。その後、歴史資料を丹念に読み解き、19世紀の労働者の書いたによる哲学的、詩的作品を発掘し、その意義を考察した『プロレタリアートの夜』、19世紀の教師ジョセフ・ジャコトの「知性の解放」のため教育を紹介し分析した『無知な教師 知性の解放について』を著した。
  『無知な教師』の核心にあるのは次の出来事である。


 19世紀初頭、フランス人のジョセフ・ジャコトは、ルーヴェン大学(現在のベルギーにある。当時はオランダ語圏だった)でオランダ語母語とする学生にフランス語を教える職を得た。ジャコトはオランダ語が分からない。学生はフランス語が分からない。通常の「教える」ことが不可能な状況だった。ジャコトはどうしたか。私たちがこのような状況に置かれたらどうするだろうか。

  ジャコトは学生に「説明する」言葉を持たない。彼は『テレマック』というフランス語・オランダ語の対訳本を与え、そこに書かれた一つひとつの言葉に注意深く取り組むことだけを指示した。その結果、驚くべきことに、学生は高い水準のフランス語を習得した。
  この偶然の出来事、発見がジャコトの教育を根本から変えていった。教師は自分の知らないことを教えることができる。教えられないことを教える。むしろ、教えられないからこそ教えることができる。この驚くべき出来事、教育学の常識に反する事実が、ジャコトの受けた「啓示」である。ランシエールはこの「啓示」を次のように分析している。

ジョゼフ・ジャコトを捉えた啓示は、説明体制の論理を逆転させなければならぬ、ということに帰着する。

 教育学の神話は、劣った知性と優れた知性があると主張する。劣った知性は、習慣と必要との狭い範囲の中で、行き当たりばったりに感知したものを記録し、記憶に留め、経験に基づいて解釈したり繰り返してみたりする。これは幼い子供や庶民階級の人の知性だ。優れた知性は物事を理性によって認識し、単純なものから複雑なものへ、部分から全体へと、筋道を立てて進める。この知性のおかげで、教師は自分の知識を生徒の知的能力に合わせて伝授し、学んだことを生徒がきちんと理解したかどうか確かめることができる。以上が説明の原理である。これは啓示以降、ジャコトにとっては愚鈍化の原理となる。

  ジャコトそしてランシエールが批判する「説明体制の論理」「愚鈍化の原理」は、現在の学校教育の中心にもある。教師は生徒に説明する。説明して教えこむ。だが、教えることの自明性が疑われることはない。教師は生徒を「劣った知性」と「優れた知性」を持つ者とに二分化する。だが決して、二分化の評価の自明性も疑われることはない。
  しかし、現場の一教師としての私の実感は、少なくとも「言葉を語る」という能力において、「劣った」「優れた」という二分化は無効である。生徒には「言葉を語る」能力がすべて平等に与えられている。彼らは思考し表現する。そのテーマ、モチーフにより、表現に差異が生じるのは確かだが、その差異を超えて、彼らは豊かに言葉を生みだしていく。それを引き出せないのは、その教育自体に原因がある。教えすぎたり固定的な評価をしたりすることで、生徒の自発的な力を阻害してしまう。これは実感というより確信に近いが、主観的な判断でなく、客観的な資料を提示することもできる。私の拙い実践報告や論文はそのことを示すものでもある。
  でも、どうすればよいのだろうか。その問いかけに対して、ジャコト=ランシエールはこう語っている。

生徒を解放すれば、つまり生徒自身の知性を用いるように強いれば、自分の知らないことを教えられるのだ。教師とは、知性が己自身にとって欠くことのできないものとならなければ出られないような任意の円環に、知性を閉じ込める者なのである。無知な者を解放するには、自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していることが必要であり、またそれで十分なのだ。無知な者は、教師が彼にはそれができると信じ、彼が自分の能力を発揮するように強いれば、教師が知らないことを独りで習得できる。

  つまり、教師にとって必要なことは「自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していること」である。解放されていない教師は自らを教える立場に固定し、教える行為に固執する。結果として、生徒が自ら学ぶ力、自ら考える力を抑圧してしまう。時には権威や侮蔑と共に、時にはある種の善意や誠意を伴って。だからこの問題の根は深い。

  人は誰でも独りで学び、知性を育み、自らを解放していく。
  このことの深い意味を理解するためには、ジャコトのような出来事を現実に経験するしかないが、それに近い事柄は、教える者あるいは学ぶ者は誰でも経験しているはずだ。でも、それはなぜか忘却されてしまう。現代の教育の場面でも、意識的無意識的に、否認され否定される。
  それでも、ジャコト=ランシエールの思想、「知性の解放」のための教育はこれからも実践されていくだろう。

自分の頭を使って考える、創造する学校

固められた制度、観念により親や先生から押さえつけられて来た子供たちの活力はどん底という事実。

日本の教育に関する問題は後を絶たない。

本来生まれてきたときにはみんな天才。その可能性をつぶしている教育体制を見直すとき。

世界中から学びに来る非常に興味深い学校がインドネシアにある。

密林の中に立つすべて竹で造られた学校Green school。
壁、窓は一切なく、ジャングルの中で学び合う。

ここで育った子供たちはまさに自分で創造していく、考える能力を身に付けていく。

学校というものはこういうものという観念が一切なく、0から自分たちで教育を作り上げてきた結果、ジャングルの奥地に最先端の教育現場を作り上げた。


以下リンク
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リンク

4月入学と徴兵制

9月入学は中止になったようですが、諸外国は9月入学も多いと聞いています。
何故、日本は4月入学になったのかを調べてみました。

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本の学校はなぜ4月に新しい学年がスタートするのか? 諸外国はどうか?
リンク より

-略-
〇日本の教育機関の学校年度はなぜ4月から3月に設定されているのか
江戸時代の寺子屋や明治時代の初期の学校においては、入学時期や進学時期について、特段の決まりはなく、いつでも入学できるし、進級についても各個人の能力に応じたものだった。また、地域や学校によっても異なるものだった。ただし、子供の寺子屋入学は一家の慶事であったことから、気候のよい春先が選ばれるケースが多かったようである。

明治時代になると、明治政府は全国的に近代的な学校を作るため、明治5年に「学制」を交付し、学校制度がスタートしたが、ドイツや英国等を手本にして、「一斉入学・一斉進級」にするとともに、9月入学が主流になっていった。

ところが、前々回の基礎研レターで述べたように、明治19年に国の会計年度が「4月から3月まで」になると、これに合わせて、徴兵対象者の届出日がそれまでの9月から4月に変更され、4月が士官学校等軍関係学校の新学期になっていった。これに伴い、一般の学校についても、国が積極的に学校年度の統一を指導するようになった。国や地方公共団体から補助金をもらっている学校は、初等・中等教育から順次、学校年度が国の会計年度に合わせる形で「4月から3月まで」に変更されていったようである。

一方で、大学については、当時の帝国大学が大正10年に4月入学としたことで、「4月から3月まで」の学校年度が定着していったようである。
-略-

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地域とともにある学校が、「少子化・日本」の明日を元気にする①

リンクより引用
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人は人との関わりの中で生き、子どもたちはそこで明るくたくましく育っていく。
「昔に戻れ」という意味ではないが、いつの時代もみんなで支え合い、助け合って生きていく社会が必要ではないか。
――そんな思いを胸に公立小・中学校の教育改革に取り組む貝ノ瀬滋氏は、「地域に開かれた学校」から一歩踏み出し、「地域とともにある学校」をつくってきた。学校と地域住民、家庭が力を合わせて運営する公教育の場は、東京都三鷹市において、日本のコミュニティ・スクールの先駆けとなった。

その後、三鷹市教育長に就任した貝ノ瀬氏は、コミュニティ・スクールを基盤とした小・中一貫教育を市内全校に拡大する道を開き、2016年7月からは文部科学省参与として、日本の教育改革の一翼を担い精力的に活動している。
教育の原点であり、また地方創生のプラットフォームともなるコミュニティ・スクールについて、貝ノ瀬氏に、伺った。


■「三鷹市の公立小学校で始めた教育改革

――コミュニティ・スクールとは、どのような学校でしょうか。

貝ノ瀬:コミュニティ・スクールとは、ひとことで言えば、「保護者や地域住民が一定の権限を持って運営に参画する新しいタイプの公立学校」です。
2004年に「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第47条が改正され、各学校に学校運営協議会を置くことができるようになりました。この学校運営協議会を設置している学校のことを、コミュニティ・スクールといいます。
イギリスやオランダにもコミュニティ・スクールがありますが、諸外国と日本では制度が異なります。イギリスの場合、全国津々浦々の学校ごとに、選挙で選ばれた5~6名の理事からなる理事会があります。経営や人事に関する権限は理事会が持っていて、日本の私立学校に近いイメージです。校長は理事会に任命され、その方針に従って学校運営をすることになります。
ところが日本の場合は、コミュニティ・スクールとなっても従来と変わることなく、学校の最高責任者は校長であり、また予算や人事については教育委員会が握っています。その中で学校運営協議会は3つの働きを持ちます。
1つ目は、校長が作成する学校運営の基本方針について承認することで、これは必須です。2つ目は、学校運営について教育委員会や校長に意見を述べることができること。3つ目は、教職員の任用に関して教育委員会に意見を述べることができることです。

――貝ノ瀬先生がコミュニティ・スクールを始められた経緯をお聞かせください。

貝ノ瀬:1999年4月、三鷹市立第四小学校(現・連雀学園三鷹市立第四小学校)の校長に着任しました。三鷹という町は、16平方キロメートルほどの土地に約18万人の人口を持つ住宅地です。僕自身は北海道の炭鉱町で育ち、隣近所の人たちが助け合って生活するのが当たり前、という環境で育ちました。その経験から見ると、都会の住宅地では隣近所が干渉することもない代わりに助け合うことも少ないようで、そこがやや寂しく感じられました。
子どもたちは塾やお稽古ごとに通うのが一般的です。みんなそれぞれに良い感性を持っているし、のびのびしていて明るい反面、ガッツが無くて傷つきやすい子が多い。また、まだ世の中を知らない子どもたちですから仕方がないけれど、将来への夢が画一的なように見受けられました。この子たちが将来、日本を背負う屋台骨になっていくことをイメージすると、非常に心もとない。世の中をリードし、社会を背負っていく、そういうたくましい大人に育ってもらいたいと思いました。

もうひとつ気になったのが、子どもたちにとっても大人にとっても、学校での生活と放課後の生活に、見えない垣根があると捉えているように見受けられたこと。例えば、着任早々、こんなことを耳にしました。
「地域のクラブ活動(野球やサッカーなど)に参加している子どもたちが、他地域との交流試合で優勝した。それを学校の朝会で校長が褒めるのはまずいのではないか」という。目の前にいる子どもたちの24時間の出来事なのに、学校、地域、家庭での生活は、それぞれが責任を持って指導すべきと仕切りをつけてしまっているのです。
また、ある放課後、学童クラブに通う子どもたちが校庭の隅の方で遊んでいました。なぜもっと校庭の真ん中に行ってのびのびと遊ばないのかと指導員に尋ねると、「学校をお借りしているのに申し訳なくて広く使えない。校庭を使わせていただくだけでも本当にありがたい」などと言う。学童クラブの子どもも同じ第四小学校の子どもであるわけで、さっきまでは校庭を広く使って自由に遊んでいたのに、学童に行くと急に萎縮した遊び方になるというのはどうしたことか。下校してしまうと学校というのは異質な存在になってしまうのか。見えない垣根をもっと低くしたり取り払ったりして、地域の学校としての機能を働かせなければ、それこそもったいない。
このような課題を数々目の前にして、「よし、学校の在り方を変える教育改革をやろう!」という決意が固まったのです。

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地域とともにある学校が、「少子化・日本」の明日を元気にする②へ続く