「個人の自由」追求の結末は「万人が悩み苦しむ社会」だった

> なんで屋露店における悩み相談とは、彼らと同化することで、実は我々自身の課題と対峙し、ともに共認回路を再生することが求められている場なのではないだろうか。

■社会に溢れる悩みの叫び
 検索エンジンGoogle」で「悩み 相談」で検索すると約80万件のヒットがある。

 相談サイトへ投稿されている悩みの多くは、悲痛としかいいようがない。

(悩み投稿の例)
> 私は生きてることに疲れてしまった。
> 十五年間ずっと、いじめられ、自殺を考え、リスカし、ベッドで泣きわめき、苦しんで、辛い思いばかりしていた。いっそのこと死んだ方が楽だと何度思った事か。
> 私は、十五年間耐えた。でも、・・・ちっとも救われない。
> どうせ私は、苦しんで当然の人間なんだ。幸せな生活を送る権利もないんだと考えた。
> いじめられたり、信じていた人に思い切り裏切られ、その人を殺そうとまで考え、自傷行為を行い、もう波乱続きの人生・・もう疲れた。
> それに私は親から社交的で友達もたくさんいる弟とどうしても比較されるし、学校休みたいといえば、ダメといわれるし。
> 死んでも親に生んでくれて有難う♪なんていえそうにない。むしろ私をこの世に生んだことを憎んでいる。いっそのこと最初から生まれない方がよかった。


■無用な悩みとは無縁だった社会
 社会がこれほど「悩み」に溢れるようになったのは、そんなに古い時代のことではない。近代社会が始まってからの現象である。

 近代以前の社会では、各人に与えられた役割や仕事といったものは共同体のなかで自然に与えられていた。また、結婚相手は家族が決めるのが当たり前であった。
 このような社会では、「自分が何をしたらいいのかわからない」「いいオンナ(オトコ)が見つからない」などといった労働や恋愛に関する悩みが生まれようがなかった。既に整っていた規範に則ってさえいれば、誰もが一人前の大人になり、まともな男女関係を営むのは可能だったからだ。

 また、子育ては共同体全体の課題であったから、泣いている赤ん坊がいれば、自分の子供か否かを問わず、(老人を含む)手の空いている者があやすのが当たり前であった。母親は安心してせっせと働き続けることができたのだ。子供は物心がついたら、自分より年下の赤ん坊の面倒を当然のように任され、親の子育てを見よう見まねで覚えていくものだった。
 育児ノイローゼの母親も親和不全をはらむ乳幼児とも、老人の生きがい探しとも無縁の社会が当たり前だったのだ。

 あえて言えば、飢えや貧困という悩みはあった。
 しかし、これは、その共同体全員で耐え忍び、乗り越えていく悩みであって、一人で抱え込んで悶々としているような性質のものではなかった。時には冗談を言って、みんなで笑い飛ばすこともできた悩みだった。

■「個人の自由」追求の結末
 そのような社会は、近代になって様相を変える。
 誰もが規範の解体を叫び、個人の自由を追求しはじめる。個人で努力さえすれば、自由に職業や、結婚相手を探すことも可能になった。が、そのような自由追求が可能になった途端から、
 「一体、自分は何をすればいいのか」
 「自分の職業は、なんて理想とかけ離れているのか」
 「自分の理想の相手はどこにいるのか」
 「なんで自分の恋は思うようにいかないのか」
など、無数の悩みに苦しむことになった。
 いくら、個人の自由が認められたからといって、自分の願望がそのまま叶うなど、現実には永遠にありえないのだから、理想(悪く言えば妄想)と現実の断層=悩みの種は尽きることがなかった。

 近代化が進むと、自由思想の教育を受けた子供、共同体が解体され核家族で育った子供が親になる。子供に親和を与えるよりも、自分の勝手や都合を優先する母親や、そもそも子育ての仕方を知らない母親が多数派となった。
 その皺寄せは、その子供達にやってきた。幼少期の親和不全ゆえに、自分を肯定視できない、いつも不安で、仲間関係にも適応できない子供、人の気持ちが理解できない子供が大量生産されることになった。
 そのような共認機能に欠陥をはらんだ子供達は(もし解決策が提示されなければ)一生涯、悩み苦しむ羽目になる。しかも、彼らはやがて親になり、その不全はその子供へと継承されていく。
 家庭内暴力、幼児虐待、「理由なき殺人」の温床はこうして準備されていった。「個人の自由」が絶対なのだから、誰にも手の打ち様がなくなった。そして、自分観念を植え付けられたために、自分一人で悩み続ける人々を増やすことになった。

■悩み需要の背後にある共認運動の大きな使命
 近代思想が正当化した「個人の自由」追求。
 その結末は、規範の羅針盤を失った「万人が悩み苦しむ社会」だった。

 この巨大な社会閉塞を根底から突破するには、傷つけられた共認機能を再生し、羅針盤たる「みんなの期待」を顕在化させ、新しい時代を導く「みんなの規範」を再構築する以外にない。
 そして、万人を苦悩に導いた近代思想=旧観念支配を終焉させることだ。
 個人の悩み需要の背景には、共認運動への大きな期待と使命が横たわっているのだと思う。

阪本剛