個人の自由⇒親の自我⇒心を開けない子ども達

以前こんな子に出会った。

私は親に「死ね、死ね」と言われて育ってきた。だから、人に受け入れられることや、認められることが怖い。もっと強くならなくっちゃ・・・。

彼女は「自分を鍛える」ために、武道やマラソンをやっている。
最近好きになった人がいて、その理由は「自分に厳しく接してくれる」から。

トコトン自分を追い詰めて、「自分はダメな人間」だと思い続ける彼女に大きな影響を与えたのはやはり、親からの「死ね」という言葉だろう。

それは、一見子供に対して何も期待していないような感じだが、実態は(応えられる筈のない)過剰な期待から、それに子供が応えられない事への(最もひどい)マイナス評価に他ならない。「死ね」という言葉は、親による過期待、その反動で出てきた言葉だったと言える。

>乳幼児期の母親との親和充足(笑顔の交信やスキンシップによる安心感)が人格形成上決定的に重要であるにもかかわらず、スキンシップが充分できていない場合、子供は親和不全(怯えに近い不安)に陥る。しかし、赤ん坊にとって母親は絶対存在であるため、親和が得られないのは「自分が悪い」からだと自己攻撃し、己の欲望や期待を封鎖して、母親から与えられる規範観念(「ああしなさい、こうしなさい」「それしちゃダメ」etc)にひたすら収束する。(68500)

親の勝手気ままな言動に翻弄される子ども達。そして、学校では「自己の確立」。その結果、唯一の収束先の母親からの「死ね」という言葉によって、彼女の拠るべきものは『自分』しかなくなってしまったのだろう。

>近代人は人格の形成を「自我の確立」と呼び、全ての学校で「自我の確立」を善とする染脳教育が行われています。これは、事実に反するとんでもない誤りであり、霊長類の命綱たる共認機能に対する極めて犯罪的な破壊行為でしょう。事実は、『共認の確立』こそが、あるいは象徴的に云えば『規範(意識)の確立』こそが、人格の形成なのである。
(2772自我ではなく、共認こそ原点である』)

そんな彼女をを解きほぐすものは『共認の確立』に他ならない。その方法としてはまず、「これまで頑張ってきた自分」に対して、「受け入れようとしてくれていたみんな」に対して、謝罪と感謝の気持ちを持つことだろう。

「どんなに自分を鍛えたってしんどいだけ。もっとみんなにゆだねてみたらいいんだよ。」そんな言葉に、無表情な彼女の顔からニコッと笑顔がこぼれた。

浅田祥幸