答えがないから旧観念に収束するのは滅亡への無限ループ

>危機と課題を捨象すれば、適応本能が充足や安定や調和に収束するのも必然である。その結果、ますます不全が増大し、しかも不全が増大すればするほどますます安定・調和・統合を求めて、形骸化した支配観念に表層収束することになる。こうして人類は、出口のない(滅亡を待つしかない)袋小路に閉じ込められて終った。(18422四方勢至さん)

この構造は、まさしく自滅の構造。上手く行かない現実を、直視しないで生きていくために、酒におぼれ、薬におぼれ、博打におぼれるのと何ら変わりがない。

そんなことをしていれば、ますます現実は上手く行かなくなり、酒の量は増え、薬の量も増え、博打につぎ込む金も増え、ついには精神も肉体も生活も破壊されていく。上手く行かない現実をごまかしてくれるはずの酒や薬や博打が、いつしか破滅の原因になってしまう。

現代社会はこのような中毒患者と同じ状況を呈しつつある。個人をみると、いい大学、いい会社、恋愛、結婚といった旧い価値観に収束しようとすればするほど、全く活力が出ず、ノイローゼ、引きこもり、ニートうつ病が蔓延していく。

国家を見ても、経済成長第一の古い価値観と、税金をばら撒けば景気が良くなるという古い手法にとらわれ、税金をばら撒くほど社会全体の活力は衰弱していくばかりであり、借金だけが700兆を超えどんどん膨らんで行く。

今や、旧観念=近代思想が生み出した、制度や手法にしがみつくのは、酒や薬や博打にはまるのと、何ら変わりがない。

そもそも、旧観念=近代思想は、上手く行かない現実を否定し頭の中だけで美化してごまかすだけの、決して実現しない観念。

自由という言葉一つを例にとっても、誰かが自由に振舞えば、誰かが不自由を強いられる。万人の自由など実現するはずがなく、実現するのは強者の自由だけである。

現実には、殆どの人は強いものに押さえ込まれ自由など殆ど無い。自由という観念があたえてくれるのは、自分も強くなれば自由を獲得できる可能性があるんだという幻想であり、不自由な現実を一時忘れさることしかできない。酒や薬と同じである。

更に言えば、現代社会が抱える様々な問題は、戦争を始め、環境破壊も、国家財政の破綻も、高齢者介護の問題も、全ては、人々が私利私欲を求め、全体のことを考えようとしないことから生じている。

旧観念=近代思想の中核にあるのは個人の自由という観念だが、この観念は人々が私利私欲を追い求め争うことを美化し正当化する観念。だとすれば現代社会の閉塞を生み出した根本原因は人々が旧観念に染まってしまったことである。

旧観念が生み出した社会閉塞から生じる不全感を、旧観念が生み出した制度や政治手法で忘れようとするのは、まさしく、酒におぼれて上手く行かない現実を忘れるために更に酒を飲むのと何ら変わらない。

自滅への無限ループである。

野田雄二