見せかけの母子の絆

>「自分を大切にできない人は、他人を尊重できない!」
>「まず自分が幸せにならないと誰も幸せにできない!」
>いづれも先日のなんでや劇場で団塊世代のお母さんが主張された内容で
>す。(平野さん)

自分を肯定視できている人(=周囲から受け容れられているという実感・安心感に充たされていて、自らのうちに不満や不安を抱えていない人)は、自然体で周りの人を受け入れ、喜びを分かち合うことができます。ことさらこのようなことは言いません。

「自分を大切に・・・」「まず自分が幸せに・・・」という意識は、さも自分を肯定視しているかのように聞こえますが、実は「大切にされなかった自分」そして「不幸せな自分」が根底にあって、大きな不満や不安を自らのうちに抱えている人ではないでしょうか。

ですから冒頭の言葉は、
「大切にされなかった私は、他人を尊重できない(大切に思えない)!」「不幸せな自分は、人の幸せを願うことができない!」
と言っているに等しく、さらに突き詰めれば、
「私を大切にして!」「私を幸せにして!」という心の叫びと捉えることもできそうです。

ここまでなら“不幸な人の話”で終いなのですが、問題はこのような不幸な母親に育てられた子供達が同様の(あるいはそれ以上の)“不幸”に見舞われる、ということです。子供は、心から母親に受け容れられることなく不安を刻印されながらも、「あなたを大切に思っているのよ」という言葉に同化し期待に応えようとします。「お母さんを大切に」「お母さんを幸せに」・・・

共感をベースにして互いを受け容れあい、喜びを分かち合う関係が母子の絆といえるでしょう。しかし上記の場合、心は通い合わず、不安を抱えた者同士がお“互いを大切に思う”というお題目(観念)で縛りあっているだけです。

引きこもりをはじめ、不全を抱いている人ほど親元からなかなか離れられない現象が多く見られます。親元収束の多くは、このような見せかけの“絆”で親子が引き合っている状態ではないでしょうか。充足も活力も生まれない不安の慰めあい・・・出口のない最閉塞は不幸な母親の巧妙な(無意識の)マインドコントロールによってもたらされた。ともいえるのではないでしょうか。
阿部和雄