福祉主義に見る近代思想の「2重の敗北」

> 国民の一人ひとりが、福祉制度の充実という美名の下に、国家=税金や国債などの借金に、たかりのように群がっている。その結果が、社会が豊になったにもかかわらず、福祉制度がどんどん拡充し、国家の赤字がどんどんふくらむ原因です。
84677 どんどん拡大する福祉制度と国家の赤字   野田雄二 )

 このような惨憺たる結果にいたったのはなぜか、歴史をさかのぼって考えてみたいと思います。

■貧困の責任は個人のものだった
 そもそも、近代国家は、「自由」や「個人」を謳った近代思想を出発点にしています。
 個人の自由競争こそ、社会を発展させる原動力であるという自由主義は正しく、個人間競争が生む貧困の責任は個人が負うべきもので、国家・社会にはそれを救済する義務はないのだ、と考えられていました。

 しかし、このような思想、「夜警国家」論は、実行に移されてまもなく破綻します。

■わずか1、2世紀で破綻した近代思想
 19世紀後半には、市場社会の構造が生み出す、貧富の格差増大、繰り返す経済恐慌、などといった様々な矛盾が顕在化します。社会主義運動など、体制の問題を批判する動きも活発化しました。

 すると、先ほどの自由主義から全く逆の方向へと「転向」します。つまり、貧困は社会や国家が生み出すもので、それを救済する義務、責任が国家にはあるのだ、という思想、福祉主義への大逆流です。

 近代思想の掲げる理想は、17世紀のイギリス市民革命から2世紀、18世紀のフランス革命からはわずか1世紀の間しかもたなかったのです。

■近代思想の「2重の敗北」
 近代思想は、個人の権利の追求、自由な競争を認めながら、それが生み出した諸問題に対する責任には一切口をつぐみ、解決策を示す事もできず、ただひたすら尻拭いを国家に押し付けたわけです。現実における「思想的敗北」以外の何者でもありません。

 ところで、先ほどの福祉主義への「方針転換」もわずか数十年の間しか持ちませんでした。1970年代、経済成長の限界にぶつかった先進国は、どの国も福祉制度が生み出す巨額の財政負担に喘ぎはじめたのです。

 近代思想とそれを拠り所にしてきた学者たちは、出発点=依拠していた思想体系に欠陥があるのに、その欠陥を切開しないまま、結局、現在に至るまで「先送り」を続けることしかできなかったわけです。
 福祉主義と、それが生んだ国家財政破綻は、近代思想の「2重の敗北」を意味しているのではないでしょうか。

資料:旅研 歴史事典データベース「福祉国家」の項
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阪本剛