ジェンダーフリーの実態

ジェンダーフリー症候群に見る槍玉現象」(田野さん73813)の投稿にもあるように、02年の国会答弁で政府は行き過ぎた男女同権に対し「ジェンダーフリーという言葉は使わない。男らしさ女らしさや伝統文化を否定するものではない」と見解を改めています。では、現在、全国に広がる「ジェンダーフリー教育」の実態について、SAPIO(小学館)3/23号に驚くべき記事が載っていましたので抜粋して投稿します。
 
ジェンダーフリー思想の柱は大きく分けて2つある。第一に「本来、男女の生物学的な違いは曖昧で、社会的・文化的に作り出されるのが性差であり、その性差そのものを解消する」というもの。男女を区別することさえ禁じ、「自分は男なのか女なのか」という意識を捨て去った人間で構成される社会を目指している。第二に「女性は女らしさを払拭して性に対して大胆になりなさい」というものだ。
 常識で考えれば素直に受け入れられる人は少ない。しかし、特定のイデオロギーをもつ集団の手で、この異形の思想が学校教育や行政の現場に侵食しているのである。
 03年9月1日付産経新聞の記事で、静岡県の9つの私立小学校が5年生の林間学校で男女を同室に宿泊させていたことが報じられた。その後、仙台市山形市盛岡市の一部の小学校でも同様なことが行われていた。山梨県のある小学校では健康診断も男女同室で、児童は嫌がるので、男女とも水着を着せて診断を受けさせているという。(中略)
 ここに挙げた実例は、決してごく一部の特殊な例などではない。後述する男女共同参画法案が通過した平成11年以降「男女混合名簿」を振り出しに教員の間ではジェンダーフリーはすでに主流になりつつある。教科書の選択権は実質的に教員が握っているため、教科書会社も自社の教科書にどんどんジェンダーフリー思想を注入している。(中略)
 なぜこんな教育が行われるようになったのか。最大のきっかけは、99年6月に成立した「男女共同参画社会基本法」にある。もともと基本法の原案をつくる審議会では2つの原案が検討され、1つは常識的な男女平等の概念にあたる「男女の肉体的差異を認め、お互いを尊重する」、もうひとつが「男女は肉体的にも差がない」とする立場に立つものだった。この審議会でジェンダーフリー推進派の主張で後者が選択された。
 役人の世界では基本法という形でオーソライズされてしまえば疑問を感じてもそれに従うしかない。現在では、ほとんどの都道府県で男女共同参画の条例ができている。たとえば、トイレの男女別の表示は黒・赤の色分表示が一般的だが、それが男女の固定的役割を反映しているということで公共施設のトイレを男女ともに同色表示に変える自治体が増えている。しかし、判別しづらくなるので当然間違いやすくなる。
(以上「教育がオカシイ!」ジェンダーフリー狂騒曲①;八木秀次氏)

 どう考えてもおかしい。でも法制化されれば強制力をもってしまう。しかもこんな観念教育が一部の小・中学校でなされている。正直、ここまでくると恐ろしくなりました。

廣重圭一