お母さんの理想がもたらしたもの

>音楽・芸術にしろ、語学にしろ、“お受験”にしろ、頭のやわらかいうちに吸収すれば才能を伸ばすことができる、ということが一般に信じられており、それが「英才教育」の根拠になっています。しかし、確かに音感など音楽の才能がもともとある子供にとっては有効な場合もあるらしいのですが、偏った幼児教育は、大抵の場合、それほど有効に機能しないばかりか、子供の正常な精神発達を阻害することが分かっています。
というのも、その時期の幼児の脳は、人間として仲間・社会の中で生きていくためのトータルの能力を習得することを必要としてそれに対応して急激に変化しつづけています。相手の表情から相手の気持ちを読み取る力や、周囲に同化することで自分の気持ちや意思を伝えるすべを体感の中から学んでいくその重要な時期に、極めて限定的な、しかも偏った(現実の社会に適応する上で最大の外圧=同類圧力を無視した)能力を身につけることを強制されるわけです。

先日、知人から自閉症の甥っ子さんの話を聞きました。
もう立派な青年に達する年齢なのですが、彼の口から言葉は出ず自ら進んで何かをするという行動もとれない。
知人が彼の顔をしっかり見て「○○ちゃん、こんにちは!」と話し掛けてはじめて「こんにちは。」と言葉が返ってくるがその後の言葉は続かない。食事の時もじっと待っているだけで「さあ、みんなで食べような。好きなものから食べていいんやで。」と知人が促すけれども知人が口にした物と同じ物をやっと口にし、その後もずっと知人が口にしたものをじっと見ていて食べるの繰り返し。

何故、彼はこんなに?
母親が理想主義、潔癖症+完璧主義?と知人は言うのですが、それだけではなさそうです。
・胎教にいいからとクラッシックを聞き、生まれてからも常にクラッシックを流す。
・生まれたばかりの孫を見たさに祖父母が病院に訪れても「生まれたばかりで新生児室にいる間は遠慮してください。」とそのまま祖父母を帰す。
・泣いても「今、ミルクも飲ませたしオムツも替えたから。」と様子を見るでもなくそのまま。
・離乳期を過ぎ何でも食べれるような頃になると、「さあ、ご飯にしましょうね。」とテーブルにあるその日の幾つかの献立を順番に・・・ご飯・おかずA・おかずB・お茶といった具合に彼の口に運ぶ。
知人の子供達がテーブルにあるおかずを取ろうとしようものなら(普通この年齢の子供は何でも興味の対象になりますからテーブルをよじ登ってでも取ろうとします。)「○○ちゃん、躾出来ていないわね。」と目くじらを立てて知人を叱る。
印象に残った点だけでもこの通りで、驚いてしまいましたが、彼は3歳頃から、何も話さず何もしない子になっていたということです。
母親の歪んだ価値観で育てられた結果です。
「我が子のために」と期待をかけて「育児」や「教育」を独自で学び他人の介入を一切許さなかったそのこと自体に問題性が有ることは言うまでもありません。
それ以前に母親の歪んだ価値観を生んでしまった生い立ちや家族の関係性も気にかかるところです。
このお母さんの「理想」とは存在不安の解消・自我充足のための代償物に過ぎなかったとしか思えてなりません。

後藤美奈子