性格をかえるには…

 学生の頃、アルバイト先にめちゃめちゃ「性格」の悪い子がいた。
まさに自我のかたまりのような奴で、自分の好き嫌いでしかものごとを考えないような奴。

 その子の古くからの知り合いによると、その子の育った環境とはまさに無圧力そのもの。親もその子にまったく期待しないし要求は何でも受け入れるような家庭だったらしい。

 当時は、「あいつには何を言っても無駄!育てた親が悪い」と仲間内で言い放って諦めていた。

 そんな訳で、周りもその子を表層的に受け入れていたから、その子の要求はいつでも表面的にはまかり通る形になっていた。しかし、その子はいつでも不安やイライラを募らせていた。

 今から思えば、そんな状態で

>充足・判断の塗り重ね

 を構築できるはずがない。だから自我がますます肥大していって、自分の性格が悪いということにすら気付かず、「なんで、周りは俺のことをイライラさせたり不安にさせたりするんやろ?俺は悪くないのに」と他者否定と自己正当化を繰り返していたと思う。

 当時本当に自分達(仲間)がその子にしなければならなかったのはその子にちゃんとした評価(圧力)を与えることだったのだと今になって気付いた。

 自我が肥大した子は特に、周りの評価(外圧)を与えなければ自ら圧力の中に身を投じることは難しいのだから。

> 「性格」というものは、
今までの環境・接してきた人々との関係など、
様々な経験によって形成されたものである

>「性格」や「個性」「自分」などに囚われることなく、
ただ、みんなの期待に、外圧に、真っ直ぐ向き合っていけばいい!
適応するために、可能性に収束していけばいい!!

>生きていく中で「性格」は変わっていく筈。
生きる=外圧に適応していくということなのだから。

 そこに向かわせるのも周りの期待が必要なのだと思う。

 当時の自分は、それが出来なかったというより、寧ろしなかった。
それは、恐らくその子に評価(圧力)を与えた時、逆に自分に返ってくる圧力をめんどくさがったり、「何で、おまえにそんなこといわれなあかんねん!」と反発されるのが正直しんどいと思っていたから。

 自分のことしか考えていない自己中は、その子だけじゃなく自分もそうだったのだと思う。

 だから、評価を与える側も、受ける側もそこに生じる圧力とまっこうから対峙す姿勢が必要。

 性格を変えていくことは、一人では絶対に成しえない。

ひろいち