あらゆる圧力を排除する個人主義

近年学校現場では我々の世代ではあまり聞かなかった言葉が教育されているようだ。
「相手の気持ちを考えなさい」「自分がされて嫌なことは相手にしないように」。一見もっともらしい言葉である。
しかしよく考えれば、これらの言葉は実に危険であることに気が付いた。一方で相手への配慮を呼びかけると同時に、何であれ相手に不快を与えること=相手に踏み込むことをや圧力をかける事にブレーキをかける言葉でもあるからだ。

実際若い世代の話を聞くと、これらの言葉群は、何かを嫌がっている子供に対して、例えそれがいかに自己中心的なものであっても「そんな、その子の気持ちも分かってあげなければ」という形でその子への圧力を排除する役割を果たしている事例が多い。

収束不全が進行する中、取り分け'90年以降学校現場では観念支配が強まっていく。その中核観念が個人主義である。その中でもとりわけ個人主義の派生物たる人権観念は「個人の幸福」を最高価値とする観念である。そうであるが故に「個人に不快」なものをとことん排除していく。今学校で語られている上記の観念群は、一見本源風を装いながらも、実はこの個人主義思想をベースとしているが故に、この様に単なる圧力の封印装置に摩り替わるのである。

しかし、’70年以降、社会的に生存圧力は衰弱するばかりで、共認圧力こそが唯一の圧力源へと変化している。
その中にあってこれらの観念群は明らかに、その最も重要な共認圧力を排除する役割を果たしている。その結果、本来まともな人間に育てていく任務を持つはずの学校が、旧観念支配によって、逆に無圧力空間を自ら創り出し、「自己中」の生産に荷担する場と成り果てつつあるのだ。

北村浩司