もはや「聖職」ではない

>それから、「傲慢さ」「曖昧さ」と私がいったのは、もっとはっきり言えば、上記のより深い位相の問題に対して、教育者は、狭いパラダイムの中で思考停止し、表層的なスローガンに収束しているのではないかということです。授業技術の試行錯誤だけで、なんとかなる問題なのでしょうか、疑問です。

言わんとすることは良く分かりました。私なりの問題意識は、授業技術の試行錯誤すら満足にできていないのが現状だということです。いわゆる「サラリーマン」に成り下がってしまっている教師が非常に増えていると感じる点です。それこそ今や「聖職」という信念を持って教壇に立つ教師はほとんどいなくなったのではないでしょうか。親たちからの信頼も得られないのが実態です。教師という職業は、もはや「聖職」ではありません。

また「表層的なスローガンに収束しているのではないか」とありますが、私にはそんなものすらないとしか思えません。教育の方向性を示せない自信のない教師が増え、個人主義に凝り固まった教師が蔓延しています。職員室の中が「出る杭は打たれるからほどほどに」や「他の先生のことについてはその先生のやり方だから口出ししない」になり、学校自体の問題にもかかわらず自分には関係ないという責任感すらない状況です。

そのような環境で教師自身が活性化しないために、何でも吸収しようとする子供たちにも覇気がなくなり、また意気揚揚としていた若い教師がなかなか育っていかない、育っていけないことになってしまっているのです。(そういう意味で、教師の質向上あるいは活性化のために今検討されているダメ教師をはずすという荒治療や、既に実施に踏み切っている経験豊富な社会人を校長に抜擢するという策は、根本的な解決にはならないものの、一定の価値があるのかもしれません。)

るぎあ