それを生産活動とよべるのでしょうか?

>私の生産の場の解釈は、「物を作ったり、売ったりする場」のみ≒生産の場ではなく、「夫婦参加の近所つきあい、近所の家族で担当する子供への教育」も、「地域社会の生産の場」という意味を込めて書いています。 <

私も「物を作ったり、売ったりする」だけが、生産活動だとは言いませんが、「夫婦参加の近所つきあいや、そこでの子どもの教育を生産活動と言う」ことには大いに疑問があります。

 教育が「生産活動を担える"大人"を育成すること」である以上、生産の場を見せる、生産の場に参加させることが一番の教育になるはずです。
 本来、教育の専門家や、教育のためだけの空間など不必要なのではないでしょうか。

 もう一度繰り返しますが、家庭が教育機能を失ったのは、生産活動を放り出して消費だけの空間になったからです。そんな家庭が近所で集まったところで、教育が出来るとは到底考えられません。

 40年以上前に福田恒存は、「人は生産を通じてでなければ付き合えない。消費は人を孤独に陥れる」と喝破しています。
 家庭が「個家族」化していったのは必然だっだのです。労働時間を減らして、「家族のゆとり」の時間が増えれば、この問題を解決できるというのは幻想ではないでしょうか。

玉川泰行