勉強はなんのために?

>勉強より個々の興味の対象を尊重すべきなのでしょうか。
勉強は,するべきものだとされていなかったら、興味がなくなった時点で、投げ出してしまってもよいと考えてもよいのでしょうか。 <

 学校とは何のために有るのだろう。昔、皮肉屋の友人が「決められた時間、皆がそろって同じことを出来る質の揃った労働力を育成するため」と言っていたのを思い出す。
 確かに一斉授業は、皆で同じことをやる訓練としては最適なシステムだ。そして、日本の質の高い工場労働者が日本の経済成長を支えてきたのも事実だ。
 もともと、教育内容よりもそのシステムに慣れさせることに価値があったと言えば言い過ぎだろうか。

 今や私権が衰弱し、誰もが勉強する目的を見失っている。
 目的も判らないまま勉強させるのは、いっそやめてはどうだろう?

 確かに、基本的な読み書きと四則計算など、最低限必要な知識はあるが、単なる知識の習得なら、コンピュータの方がきめ細かく各自の能力にあわせてできるだろう。
 集団体験が必要だというなら、農業実習のような自然に触れる中で、皆で何か作業をする方が、実りは多いはずだ。

 もともと勉強とは自分のためでなく、社会の中で役割を果たせるようになるためにするモノだろう。
 ならば、集団を体験すること、そして、自分たちのために役割を、責任を担っている大人を実際に感じること無しに、勉強する動機など生まれるはずがない。

 そんな大人たちを見て、感謝することから、自分もあんな風になりたいと思い、そのために必要なこととして勉強しようという気持ちがでてくるのではないか。

玉川泰行