市場経済と教育問題(2)

そもそもこのグローバリズム資本主義における人間像は、あらゆる機会を捕えて利益を求める、損得勘定を気にする、純粋な経済人だと思います。この純粋な経済人は、市場ゲームの中に埋没する、例えばディ-ラーを沢山生み出すようなもので、彼らを見てもわかるようにこの市場ゲームの世界に自閉し社会との接点は失われ、価値規範や規律は不要となる。(それは一方では経済の奴隷にほかならないのだが)

そして教育問題も根本は同じで戦後日本教育はアメリカ的自由の観念と民主主義を受け入れ、絶対的な無条件の理念のもとに構成されている。
しかし規範や倫理とは「・・・・・・をしなければならない(してはならない)」ということであるが、個人的自由が規範や倫理よりも優先されてきたために規範や倫理、それ自体を絶対視することはない。「・・・・・をしなければならない(してはならない)」を受け入れるかどうかは選択の自由は個人にあると見なされてきたのである。もちろん、規範や倫理を受け入れなければ多小の社会的制裁が加えられるだろう。だが、それさえ覚悟をすれば、受け入れるかどうかの選択権は個人の自由の側にある。
そうなると個人は、せいぜい倫理を破ることからくる罰則や制裁の可能性と、そこから得られる利益や快楽を比較すればいいだけだ。こうしたことは明かに人間をずる賢くする。そういう人間を生み出しているのである。

つまり、国の経済政策(グローバリズム)と教育政策(道徳教育)の分裂が、教育問題をあれだけ叫んでも解決できないことを物語っているのだと思います。
市場経済とその背後にある価値観念を変えることしかこの教育問題も解決できないのだと思います。

(参考:発言者 平成12年11号)

安冨啓之