受験は個人課題になってしまう。

>「仲間収束を閉ざす何か」が存在するか、もしくは「仲間収束の可能性を開く何か」が不足しているという捉え方で問題を扱わないと、答えにたどり着かないのではないでしょうか。

受験という課題は他の課題と位相がちがうのは、日々の学習はお互いに教え合ったり仲間と共に取り組む共通課題になりえるのですが、テストや入試本番はあくまでも一人で取り組む個人課題になってしまいますね。同じテスト、入試を友達と同時に受けたとしても、取り組むのは一人一人の課題ですし、結果は個人ごとに出てしまいます。私権圧力の衰弱以外に、このあたりに子供たちの意識が受験に向かおうとしない原因があるのではないでしょうか。

この様に考えると、子供たちはより本源的なベクトルで仲間収束していると肯定的に捉えてもいいのではないですか。

足立晴彦