新しい教育の現実

私立中学高等学校の先生方と話していると、「ベテランの先生ほど、教科指導はできるが学級指導ができない。」という話題になることがある。それは、今の生徒を指導し力をつけていく上では、教科指導以上に学級指導の比重が高くなってきていることを暗示している。

10年前までは、公立中学校にも高等学校にも、名物先生といわれる授業やテスト作りの上手な先生がいた。そして、父母の信頼も教師間での力も有していたように思う。ここ10年の間にすっかり姿を消してしまった。

それは、この10年間に私権意識の急速な衰弱が顕在化し、それらを導いてきた私権観念群に誰もリアリティーを感じられなくなったからではないだろうか。いわゆる名物教師とは、受験圧力を前提にしてその目的のための授業をより良く体現できる教師のことでしかなかったのだろう。そして、今や、「何故、勉強せねばならないか。」を語れる教師はいない。

>私がわけを聞くと、友人は「ある時先生に言われたんだ。『ドラマの見すぎじゃないの?そんなに熱血指導したって、彼ら(生徒)には伝わらないし、向こうは理解してくれないから無駄だよ。』だってさ。」(24760)

この事例から伺えるのは、「伝わらない」のではなく「何も伝えることがなくなった」教師像ではないでしょうか。学校はとことん中身を失い、社会的に固定化された学校制度、受験制度によってかろうじて支えられている現状です。

しかし、面白い現象も生じ始めています。例えば、すべての学校行事を課題として仲間教育を実践している学校が、大学実績をも急激に伸ばしています。仲間との充足を活力源とすることが、入学時の偏差値や補習の量を超えて、受験制度上でも成果を出しています。

先の「学級指導」とは、そのような仲間関係をいかに充実させるのか、という問題です。古い制度上の成果さえ、新しい生徒たちの現実を理解できなければ実現できません。

参考に
17284「教育は皆で担う課題。」
18074「何故、この会議室が『教育』でなく『幼・少・青・壮・老』か」
19116「子供達の可能性」
23889「仲間収束 2:一人でできない子」
23375「子供たちがヒントを与えてくれる」

石野潤