いずれは実現論が教科書になるのかもしれない

>これからの徳育の中で、『人類の基本構造まで教えてくれ、それについてみんなで話し合う授業があったらおもしろいなぁ』と思いませんか?<

うん。私もこういう授業があったら面白いと思う!

学校で習う事は、ほんと末端枝葉の事ばかりで、実践には何の役にも立たない。つまり状況に応じての応用が効かない。だから結局丸暗記だけに終始して、直ぐ忘れて言っちゃうんだろうなって思う。

学問の世界って、なんだか上に行くほど枝葉の内容を、ただただ細分化・専門化して小難しく扱っているような気がする。そしてそうなるほど元々の幹が見えなくなる。でももしかしたらそもそも幹なんて無いのかもしれない。

そういう中において、実現論って今ある分類のどこにも属さないっていうか、全てに属しているっていうような気がする。正に構造認識体系というか幹そのもの。

教えてもらうのは、この構造認識+歴史的事実くらいでいいんじゃないかって思う。後は夫々の分野を実践の中でこの幹を軸として、時にはその軸を塗り替えながら考えていったらいいんじゃないだろうかって思う。それこそ今度は、るいネットっていう場を使って、皆で作っていったらいいんじゃないかって思う。

活きた認識と、歴史的事実、そして実際の技術。なんかこういう学問だったら、みんな「何で勉強するか分からない」なんて事無くなるような気がするし、なにより楽しそう!

何となく徳育だけじゃなくってどの分野にも共通する軸としての「実現論」っていう教科書的あり方って必要なんじゃないかって思います。

森本亜希子