判断の土俵と解体・再統合 大学の例

最近仕事で大学に関わることが多い。平成4年に団塊ジュニア世代が18歳を迎えて以降、18歳人口は減り続ける一方で、大学は強力な淘汰圧力に晒されている。

大学の評価は、かつての偏差値評価が廃れ、人数による評価が端的な評価として使われる。具体的には入口としての応募者数、出口としての就職者数。入学金や授業料が評価の指標となることはなく、金額は後から付いてくる程度のものでしかない。

学士様という言葉は死語になり、大学を出たからといって箔がつく時代は終わった。大学に行くか否か、どこの大学に行くべきか、その判断は実際どれだけ役に立つのか、社会に必要とされているのかという視点になってきている。

それが就職者数に表れ、応募者数に反映されていく。そして応募者が定員割れとなる大学が珍しくなくなり、廃校や統合される大学が出てきている。この動きは目に見えて加速している。

>この様にして、『判断の土俵』を基礎とし、『人数』を評価指標とする新しい演場の中に、国家(身分)も市場(お金)も呑み込まれ、解体され、再統合されてゆくことになる。 (33995、四方氏)

認識形成を役割とすべき大学は、四方氏の上記投稿がまさに現実となっている端的な事例だろう。

石橋直樹