子どもたちは大人たちといっしょに生きたい

>それが皆わかってきて職場体験、自然体験などが増えてきたのだと思います。最初は傍観しているのですが、役割が与えられるとイキイキしてきて、またやりたくなるのですよね。教科書もリアリズム化してきました。<(35214佐藤英幸さん)

>過渡的な意味でなくまっとうな世の中であれば、親=大人=社会ですっきりするのです。<(35112同)

子供たちには、多くの動物のこどもと同様に、無意識に早く大人になりたい、そのために大人たちの真似をする、という本能がセットされていると思います。だから、子供たちは、放っておいても現実(社会=大人=親)を対象化しようとします。(子どもから見れば、どんな大人であれ、社会であれ、目にするものが現実そのものなわけで、彼らはそれを受け入れるだけです。)

しかし、日本には義務教育と学校制度というのがあって、ある年齢に達すると子どもを現実の場から隔離してしまう。教育を受けるのは子どもの権利となっていますが、彼らが望む教育っていうのは、決して今の学校のようなものではないと思います。

>ハッキリいってそんなただ単に知識の詰め込みなんて、面白くなかったし、生きていくうえで役にたっているか分からないし、これから役にたつのかさえ疑問である。<(35185玉木伸和さん)

子供たちにとって、現実から遠く離れた教科学習の多くは決して面白いものではありません。我慢を覚えることは大事ですが、共感しがたい私権時代の現実を押し付けられ、想像し難い遠い将来のために我慢しつづけるのは酷です。学校が私権パラダイムから脱しさえすればもっと充足できる時間を過ごせるのだとしたら、かわいそうです

一方、親は義務教育という制度によって、子どもの教育という仕事を学校に押し付けると同時に、子どもを教育する機会を奪われています。かといって、親(大人)達が日々仕事をしながら子どもを教育するなんてできない。それが、教育という仕事が専業化される需要です。

>「教育」も誰もが副業として担う事ができ、その仕事に対して収入が保障されるシステムがあればいいのだ。<(35202足立晴彦さん)

教育というのは将来の社会の担い手を育てる大事な仕事ですから、大人たちが皆で担うことが必要で、そのために副業化も検討する必要があると思います。ただ、それは教育の場が学校という場で、大人たちがそこに教えに行くというスタイルがいいのかは疑問に思っています。

子どもは生きる本能から現実を対象化しようとするのだから、大人(親)たちの現実(仕事)を見せ、語り、ときに共に行動するだけでも教育になると思います。親の背中を見て子どもが育つ、というのはまさにそういうことであり、現代にも通用するものだと思います。

そう考えると、教育の場は学校からいずれ現実の仕事の場や生活集団の中に移行していくのかもしれません。その先駆的な例が職場体験や農業体験ではないでしょうか。

そして、子どもの教育に携わろうとするならば、大人(親)たちも今の先生方と同様、子供たちに今の現実を語る言葉(認識)を体得する場として、ここるいネットへの参加が不可欠だろうと思います。

熊谷順治