教育の問題は、社会システムの問題と同一

>学校が閉鎖的で不透明であるような印象は、学校や教育にさほど関心がなくとも世間一般に広がっているような感がありますが、最近学校自体も限界を感じてかそれを認めざるを得なくなってきている、または自覚的であるようです。(35154 柳瀬さん)

学校関係者からの話。

<公立学校の校長や教頭には、教員を指導する権限はあっても、教員が不適格だと思われた場合に辞めさせる権限はない。だから、しょっちゅう休んだり、遅刻したりする先生は現に多数存在するが、それに対して校長はどうすることもできないのが現状である。また、教員の教科指導、生徒指導に対しても、口を挟むことはできず、実質的に、教員のやりたい放題である。>

これが、学校の閉鎖性、不透明性の実態でしょう。この実態を公表するととんでもないことになることは目に見えています。しかし、このような実態が少しずつでももれてきたことが教育への不信につながっていったことは想像に難くないと思います。

そこで、

>教員採用にあたっての社会人枠の設立や(教員の資格は取得している必要がある)、校長の一般公募など
>教師が研修として一般企業で短期間働くといった試み(同)

といった試みになるのでしょうが、こういった小手先だけのものではどうにもならない、教育システムの問題であることは明らかです。
ようやく、認めざるを得なくなったとか、ようやく自覚してきた、というよりも、あまりにもひずみが顕在化してきたために、何か手を打っていることを示さざるを得なかったというほうが、正確なような気がします。

社会がそうであるように、公教育もまた末期的な症状を呈しているのです。

その根本はといえば、これも社会システムと同様に、教育システムも、自分たちの権力維持のための利用しようとする、統合階級の存在が見え隠れします。

つまり、現在の教育は、統合階級の作り出した、私権システムの一環に否応なく乗せられているのが現状です。このあたりから考えていかないと、公教育の問題は見えてこないのではないでしょうか。

匿名希望