勉強は「面白く」あるべき?

>何かを学ぶと言うことは、一つの生産活動である。である限り、「現実の圧力」に対応することと常に一致していない限り長続きするわけがない。 <(35557 阪本さん) まさに阪本さんのおっしゃるとおり、と思います。 学ぶことは生産活動でなくてはいけないし、必要性に基づいていなければならない。現実に繋がってなければならない。 >なぜ、これまでの学校の勉強が面白くないのか? この疑問に何か違和感を感じたのでちょっと考えてみました。 「面白い」の捉え方は様々なのかもしれないけれど、それが娯楽的な面白さになっては全く駄目です。それだと「解脱行為」になってしまいます。私は大学での研究が「面白いな」と思います。だけど実際は、あまり熱心に勉強していない、駄目な学生の一人です。大学の教授は口をそろえて「最近の学生は、もう嘆いても仕方ないくらい勉強しない」と言います。けれど、面白かろうと勉強しないのが現実で、それは必要性がないからです、多分。 昔の学生は自ら勉強した・・これはどういう必要性だったのか、ここのところは私にはわかりません。ただ面白かったからかもしれません。 だけど今はそれを考えないことにすると、「勉強」それ自体が面白くては、いけないのでは?そもそも生産活動は面白いよりむしろ大変なものであるはず。 つまり、「勉強」それ自体は面白くないけど、「勉強すること」から得る満足感、例えば学習が現実と繋がったときの満足感とか、必要性から生まれた知りたい欲求を満たしてくれたときの満足感、それがあること=面白い、ということ。面白い=充足感 私は今まで大きな勘違いをしていました。 例えば歴史。歴史が面白い=歴史のお話を知ったり、その世界を知るのは面白い。そういうことだと思っていました。歴史のストーリーを楽しむ。まるで映画を楽しむ傍観者。だけど、それは勘違いだった。 >「現実の圧力」に対応した史観でないかぎり、絶対にその必要性は生起しない=面白くならない<(阪本さん) つまり、「現実と繋がる、必要性がある=面白い」。 ここのところ。 認識に差があったのです。 「面白い」という言葉、ある意味危険です。

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