教師が公務員である限り問題は解決しない。

現在の学校が、社会を自分たちとは違う集団と見据えていることが、大きなミスであると考えます。

 そういえば、学校にいるときには、大人が立派に見えないんですよね。この世で一番立派に見えるのは先生のように見えてしまうんです。それはなぜかと振り返ってみると、学校という場は子供の能力を伸ばすところというよりは、先生の能力(権限)が発揮できる場なのですね。
 教科の授業ではその教科の先生が一番偉く見えます。例えば英語の授業を中学1年生が受ける。生徒はABCなのに、先生は何でも知っているように見えます。ところが、社会に出てみると、それは英検でいえば1級か準1級ぐらいの語学力。企業にはいっぱいいるのですよね。

 どの教科も似たようなもので、先生の知識の優越性に管理権限がプラスされて、生徒から見れば絶対視するようになるのだと思います。だから、学校から開放されて社会に出てみると、絶対視していたことがまるでウソのように思えるのでしょう。
 全然通用しないのですものね。優等生ほど感じるのかもしれません。学校の優等生は社会では通用しないって。

 それはいかに先生の素養が高くても、少数の賢人によって練りだされた認識は、社会の通説とはなりえないことを意味しているような気がします。

 そしてもう一つあるのは、特に公立学校は、在野の人々を蔑視している部分がまだまだあると思うのです。公務員のなり損ねというか、公務員は国民の公僕であるという規定を自分で勝手に聖職視しているので、私企業で働く人は俗な人々という間違った観念が、残存しているようなのです。さらには、残存というよりは、社会的な不全が増加するほど、聖職者の自己欺瞞は高まり、自分たちだけが社会を救えるのであるというふうに自己を絶対視するのではないでしょうか。
 普通の先生の訳のわからない独特の自信はそういうところから発生しているのかもしれません。

 長くなりましたが、先生が公務員である限り解決しない問題、と考えます。