社会や集団を対象化した人間でないと教えられない。

>先生の役割ってあるんでしょうか・・・。

「役割」というのは、当事者意識そのものじゃないかと思いました。
集団や社会が見えていないと(対象化できてないと)、当然役割も見えてこない。
与えられた仕事や課題をただこなす「傍観者」のままでは、「役割」なんて対象化できないでしょう。

教師の「役割」がもし「健全な子供に育てること」なら、まず社会や人間そのものの構造を対象化しないとできるはずがない。そのような意味で、今まで、教師の「ぶら下がり」的な公務員体質や、時代性を無視した旧態依然の教育内容が疑問視されてきたのだと思います。

しかし、現在「傍観者意識」は私たちの周り全てにはびこっているのも事実です(参考3662)。そのような中では、教師も私たちも変わらない地平に居ると思います。

以上のことから、私は『普通の人たちが非常勤講師をする』という案にはいささか疑問を持っています。実現論に「家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった」(実現論9_2_03)とありますが、私たち自身に教育する資質があるのか問い直すことが必要かも知れません。

自分たちの職能を伝えること、それ自体は現実に繋がった教育内容で、子供たちも興味を持つかも知れません。しかし、基礎的な教育内容に加え、今、子供達に必要なのは「自分たちも社会(集団)の一員である」というまさに当事者意識ではないでしょうか。(そういう意味では、現在の教育体制は傍観者が子供達を傍観者に教育する内容と言えそうです)

それは、闘争圧力や社会を真っ正面から対象化している人でなければ伝えられないと思います。もちろん「子育て」は日常的に誰もが関わっていくべきであると思いますが、こと知識や技能の「教育」という面で見れば、資格というものが必要になってくるかもしれません。もちろんそれは、「皆が認める人」という意味での資格です。昔は、「長老」「親方」などがその役割を果たしていたように思います。