新たな評価指標として

現在の学校を人材統合や認識形成のための学校に変えていく方法はないだろうか。

 学歴は昔から特段万能な身分ではない。家計の苦しい家庭の子息は学問を修めることで一旗あげようとした。裕福な家庭の子息は繁栄を維持発展させようとして勉学に励んだ。しかしいかに勉強しても手に入れることのできたものは最終学校名と付録的な資格だけであったから勉強そのものでご飯を食べられたのは、教えることを職業とするものだけであった。たしかに最終学校名という金看板は就職活動に有利に働いたが、入社後3年も経てば営業能力等による社内評価が優先されてきた。バブル期前後まで、社内評価基準として幅を利かせてきたのは、マルチ型人間もしくは専門特化型人間、コネクションの豊富な人間であった。

 そしていま、人材統合力や認識形成力が社内の評価基準であるとすれば、バブル期前後までの評価基準とどのように違うのだろうか。それは、企業を超えた発想のできる人間ということではないだろうか。そのように考えると、根っこの部分が全く違うように思われる。

 以前のコネクションの豊富な人間とは、接待ゴルフ上手、宴会上手である。どの場面においても、「顔を売る」のが上手かった。そこでは認識形成など必要なく、接待相手の欲していることを察知する能力に長けていることのみが評価される対象だった。

 世間でも、人当たりの良い、要領の良い人間が「できる人間」と評された。家庭における子供も、勉強ばかりしている子供よりは、友達や先生から受けの良い子供のほうが美徳とされてきた。学校教育における協調性の要旨とはそのようなものではなかっただろうか。

 中身がちっともない、順応性とも言うことのできない、「受けのよさ」は、これからは多分全く通用しないであろう。受けのよさにとって変わる認識は、いわゆる人気やその場の雰囲気という一時的な評価を乗り越えて、集団内外で等しく通用するような行動原理を、くり返し捻出し、捻出の事実を用いてみんなで考えるということの必要性と感動を伝播することができる認識なのではないかと思いました。