話に意味があるから自然に寄り添う

自然じゃなくてもというか、これほど自然な意思疎通は無いと思いました。住む場所も、仕事も、何もかもが違った環境に住んでいられる岡田さんともこうして話せるのですから。むしろこの状態から入ったほうが、どなたとでもスムーズにオフ会などで話せるのではないかと思います。

新しく出会った人のほうが認識形成をしやすいのも、その人の抱えた私権課題に囚われず、唯、人として直視できるからなのでしょう。古くからの知人とは私権課題を共有してしまっていると言うこともできるかもしれません。

また、私の仕事の現場にやってくる子供たちに目を向ければ、中身の無いおしゃべりを求めて来ているわけではなく、部活が終わって疲れている体をさらに使って来ています。定期テストや受験の勉強という課題だけで子供や親を動かすことができた時代は終わり、学び舎としての本源的な祭りの雰囲気や、私自身が多用する「大きくなったらるいネットで語り合おう」などの言葉から、自分や社会の可能性を感じとってくれているんだと思うのです。

勉強するのにどんな立場も無関係であるのと同様に、認識形成するのにどんな立場かは無関係です。共通の土俵に立った瞬間に、おしゃべりの中身が変わり、おしゃべりではなくなって、また来たくなるのでしょう。それが自然だと思いました。