子供たちが変わったのは。

こんばんは、立石さん。

るいネットで新しい認識を得たから子供たちが変わった。そうとうかわりましたよ。どうしてかな。と考えてみると、一言で言えば、子供たちは直接は私から勉強を教わっているのですが、平成14年5月(私のるいネット本格的参加)以前は、自前の構造認識や経験に裏打ちされた即自観念に基づいて何かを教えても(反対に日常的継続的に成功しているように錯覚している実践論を言ったとしても)、その答えは私止まりでした。

しかし、るいネット参加以降は、判然としなかった根拠と評価が鮮明になり、あるときは自前の認識がこの場の仲間に認められたり、またあるときには訂正するなどしてきました。私自身が変化しなければ子供たちが変化するわけがありませんので、明らかに新しい認識に触れて(学び舎のなかで)一番最初にかわったのは私自身です。

それでは子供たちは何を感じ取り変わったのでしょう。それは、私止まりではなくなったことによります。子供たちから具体的な質問を受けるときに探求思考になるのです。わからないことははっきりわからないと言う。そうすると、課題は一時保留され、いつでも誰とでも相談ができるようになります。私自身が背伸びして憶測で答えるのでは課題の共認は私で行き止まり。それが、考える仲間の存在を知らせて、きっと答えるから待ってとか、まずあなたの意見はなんですかとか、やりとりすると、思考の継続状態が共認される。と言う感じです。

また、そのやりとりを他の子供たちとも共有すると、思いがけない認識が生まれることもあります。単発の会話ではなくて、くり返しより良い答えを探す。課題の言い出しっぺでないところから、別の話題で答えが得られることもある。というのが一番近い表現かもしれません。だけど誰も取り残さないように、最新の認識は皆に伝えると言うことも形成の規範として気を回しています。

長くなりましたが、子供たちが安心して学べる空間とは、教える先生の認識が外の社会と繋がっていて、先生の評価が(新しい認識で定義された)社会の評価とずれていないことのような気がします。

あともう一つ、文のどの部分に挿入して良いかわからなかったので最後になりましたが、私自身も一生勉強中の身であることを教えたことが先生も同じ生徒としての境遇にいる仲間であると言う意味で生徒に伝わったのかも知れません。