「自在に考える」ということ

>認識の高さは、学力の高さとは違い、既に決まっている答えを覚えているかどうかではありません。どのような壁にぶつかっても、壁の実体を認識し、未明の課題を認識仲間で考えていくこと。そのための認識の装置といつでも話し合える人間関係のネットワークを持っているかどうかなんです。(43143佐藤さん)

この佐藤さんの言葉は認識について、認識の必要性について端的に表している言葉であると思います。子供の時から既に決まっている答えを覚え、いい点を取る訓練をしてきて大人になってきた人々は「考える」ということが出来なくなっていると思います。しかも、その覚えてきた様々な事柄の基となる観念や常識というものの実態は

旧観念の深層には、実は現実からの逃避ベクトルが刻印されている。だから知識人たちは、現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中で代償充足を与えるだけの観念=神・愛・自由などの代償観念しか生み出してこなかった。しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。
その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌り込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。
だから、まともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。(るいネットトップページ)

となっていることも明らかです。

そう考えると、現在人々が本当にやりたいこと、しかし観念に蓋をされて出来ない事というのが「旧観念に囚われず自在に物事を考えること」であり、そして「自在に考える場」と言うのがるいネットであると考えます。

私は、21歳の時に初めてるいネットを知って若い時からここでの認識に触れるとこが出来、まだまだ勉強不足でありますがこれらの認識のおかげで就職してからも色々な物事を新認識を基に考える事が出来、この先10年後、20年後もこのサイトに接することできっと多くの事を考え、実現していけると考えています。

この「自在に考える」ということが高校生、もしくは中学生の時からできるのであればどうだったであろうか?最近はそういったことをよく考えます。旧観念に蓋をされた中でせせこましく考えるのではなくて物事を自在に考え、様々な壁を乗り越え、可能性を実現できる。そんなことが中、高生の時から出来るなら彼らの可能性はどれだけ広がるか。また、近い将来そういう子供達が社会に出て、認識のネットワークを広げていけば社会もきっと変わる。そう思います。

もはやこういったことが願望ではなくて実現すべき可能性となっている現在、佐藤さんの成功例にならって大人だけでなく中、高生などにも自在に考える事の必要性、可能性、楽しさを伝えていければと思います。

高利