勉強とはコミュニケーション

43658 伊藤氏
>私も最近の認識営業(見知らぬ人と話をする営業努力も含め)「人に伝える」事が人間にとって実に根源的な行為なのだと感じはじめています 。

 私も最近、学習・勉強とは「人に伝える」「反応充足を得る」「教えてもらう」というようなコミュニケーションそのものなのだと感じています。世代も立場も違う何人かで認識に関して話をしていることによる発見や、新たな勉強の必要性の気づきなどは自分でも驚くほどです。そこに参加した方から「もっと勉強したい」「意識が変わった」などの感想をいただくと、こちらもまたさらにいろいろ勉強しようという意欲も湧いてきます。

 勉強というと一人で本を読んだりする、どちらかというと暗いイメージがありますが、本来の勉強とは、仲間とのコミュニケーションなのではないでしょうか。

 印刷技術が発明され、一般に書籍が出回ったのはこの数百年、人類の文化を形成してきた勉強・学習のほとんどは人と人との関わりによってなされてきたものだといえます(また、黙読という習慣の歴史はさらに短く、書籍を読むにも「朗読」が中心でした)。

 お互いに教えあう・学びあうという認識仲間との「まつり場」が主たる勉強であって、その場があるから一人で調べる・考える行為も明確な目的や対象を持った「的を射た」ものに変わっていくように思います。

>「認識営業」行為の中には、生命の進化に欠かせない要素が全て備わっているではないでしょうか。

 考えて見れば人類は共認動物であり、すでに現実の圧力は共認圧力なのですから、「共認行為」こそがもっとも必要で生産的な勉強そのものなのではないかと思います。


浅野雅義