子供達が知りたいのは「勉強するのはなんで?」

「勉強しないといけないのはなんで?」と「勉強するのはなんで?」は、一見似たような問いかけに見えますが、答えを聞く側の欠乏は大きく異なるように感じています。

「勉強しないといけないのはなんで?」を尋ねる意識下では、できる事なら勉強はしたくない、避けて通りたいという意識が根強い。勉強=私権課題(強制圧力)であり、勉強の必要を感じていない。「自分のため」⇒「みんなのため」「みんなの役に立つため」と、観念的に刷り込んだとしても、現実の教科学習ではそれを実感する場面があまりに少ない。やはり勉強の意味・必要を感じ取れずに否定し続けてしまう。

一方、「勉強するのはなんで?」は、おぼろげながらも、「勉強は必要なんだろうなー」という意識がベースにある。求めているのは、勉強を通じてもっと充足したい(勉強することが何かしらの充足に繋がるという可能性を感じている・感じたい)という印象を受けます。

これが、子供達であれば、現状、勉強はなんだかんだいっても「しなければいけない課題」であり、だからこそ「勉強するのはなんで?」を頭と心がすっきりする形「あたりまえ」と思えるように繋げてあげる事が不可欠であるように感じます。

そのためにも、充足感を伝える場、しくみの構築が必要であり、それを体感していく中で、初めて「勉強するのはなんで?」⇒(みんなの役に立つために必要)⇒「勉強するのはあたりまえ」という意識へ転換していくように感じます。

類塾ネットは一つの突破口だと感じますが、他に思い当たるだけでも以下の試みが大人達の課題であるように感じます。
①教科学習の中にも、出来る限り現実(社会)との繋がりを感じられるように展開する。
②時事問題と絡めて話をしてあげる(最近の子供たちはマスコミの影響もあると思いますが時事問題について良く知っている)。
③大人の課題や大人がどんな時に勉強するかを伝えてあげる。
④勉強課題以外の社会人の課題を振る事で、教科学習を超えた勉強の必要を体感する場を設ける(子供達は、いつも以上に頭を使ったり調べ物をしたりするでしょうが、強制圧力=勉強と捉えられている可能性が高く、「勉強」とは感じないかもしれませんが)
⑤「わからない事を教えてあげる⇒相手が喜んでくれたらうれしい」を体感する場・機会を生み出す仕組みの構築。

といった所ですが、まだまだ、みなさんの投稿を読んでいると、子供達が「勉強の意味・必要」を体感する仕組みや工夫はまだまだたくさんあるように感じており、かつみんなで実現していかなければいけない課題であると思っています。

匿名希望