「学年」は必要か?

表題は、類塾ネットを読んで感じたことだ。

類塾ネットの投稿を読むと、僕が同じ年齢だった当時に考えていたことなど遥かに飛び越えていると感じる。広い視点で疑問や答えが飛び交い正直「すごい」と思う。そして、非常に面白い。
彼らに大きな期待が湧いくる。

しかし、見方を変えると、彼らのような子供達が“中学1年生”などという横並びの世界に留まっていることが「もったいない」と思えてくる。もっと学べる。もっと伸びる。

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僕が彼らの投稿を読んで「すごい」と感じた背景には、「中学校一年生なのにこんなことが考えられるなんて・・・」などという意識があった。
しかし、これは裏を返せば、「学年」という枠に収めて、横並びで子供達の能力を評価しようとする意識の現われだ。
果たして、そんな意識は必要だろうか?

子供の能力とは十人十色。出来る子もいれば出来ない子もいる。
当然、時間と共に成長するわけだから、時間軸を一切無視して良いというものではないだろうが、一年単位の「学年」=同年齢という枠は狭すぎるのではないかと思う。
もっと広く、柔軟に皆が学べるシステムは考えられないだろうか?

たとえば、出来る子が出来ない子を教える。これを学年関係なくやってみるというのはどうか。
小さい子に教えるのが上手な中学生くらいの子もいるだろうし、より深い認識を得るために年上の子にバンバン質問をする子もいるだろう。そして、子供達が教え合う中で、いよいよ答えが見えなくなったときに「先生」が登場する。皆をより高見に導く高度な答えを与えるのが本来的な「先生」のありようだ。なんだかしっくりするような気がする。

現行の「学年」制下の学校は、おちこぼれをつくらないなどを目的にして、“下”に合わせることが多い。だから、「学年」という枠をとうに超えている子供達にしてみると、学校の授業は退屈だろう。類塾ネットに集う子供達は、特にその傾向が強いと思う。
しかし、そうかといって、私権時代のように“自分だけ”が能力を高められれば良い(周りは関係ない)、とは現在の子供は思わないだろう。出来ない子には“教えたい”と思うはずだ。
だからこそ、能力の高い子を生かして、全体をボトムアップするシステムが出来ないだろうかと思う。

学級崩壊などを見るにつけ、「先生」⇒「生徒」という序列の崩壊は明確だと感じる。そしてそこで、もう一歩踏み込んで考えてみると、学校の「学年」も年齢という序列であり、横並びに評価しようとする意識の産物と思えてくる。

今や、「学年」は足かせなのではないだろうか。

多田奨