公立塾の狙いは意味不明

 「通塾する子どもとの学力格差を解消するのが狙い」とのことですが、厳しく言えば、その差を生み出した張本人がしかも60歳越えて「経験豊富なベテラン教師たちに今一度、力を発揮してもらいたい」という期待に応えられると思いますか?

 上記の批判に対して、「現役時代は生活指導、会議、クラブ活動などで多忙なため、学習指導能力が発揮できなかっただけ」という弁護が成立するのなら、そんな現場のシステムの改良に手を打つほうが先決です。「打つ手がないから出てきた案だ」というのなら、公教育の敗北宣言と非難されてもしかたがないでしょう。

 「経済的理由などで塾へ『通えない』子供たちを支援する」「進学塾のような受験対策を行うのではなく、あくまで授業以外にも『勉強したい』子どもに、教育の場を提供するのが目的」という狙いも紹介されていますが、 エリート養成でもなく、学力低位生の鍛え上げでもない中途半端な姿勢には疑問。「やる気満々だが貧しくて塾通いができないため学力が水準に達していない子供」が対象ということなら、極めて例外的なケースとは思いませんか。

 それらの議論以前に「学力差解消が可能なのか」「可能だとしてもその必要があるのか」「そもそも学力の意味をどう捉えるのか」「それは何をもって計るのか」さらには「人々がどのような教育を求めているのか」などの根本的な問題をすっ飛ばした、典型的な目先収束の方針ではないでしょうか。

 「所詮は大量に退職が出る団塊世代(2008年度には全国で約1万5千人が退職)の再就職を、税金を遣って手伝おうという小手先の話」という見解以外に納得できる解釈は見つかりませんね。

三ヶ本万州夫