いじめ問題どうする?→ヒント「学校版」

今いじめ問題に対して文科省から出ている方針は「いじめを隠すな」という事らしい。教員に徹底的な情報公開を求めている。
しかしそれを教員に求めるのは無理だと思う。
情報公開とはリアルタイムに事実を発信し続けるという事であり、職員会議を開催して議論して情報を搾り出して公開する情報を選別して・・・という作業をしていたら途方もない作業となるし、そもそも何を公開するかを判断している時点で公開とは言えない。

先日のいじめ事件でこんな話があった。
学校が事実を隠しているように思えたので、家族が生徒にアンケートをとるように学校に依頼したらしい。自殺の原因がいじめにあったこと、その原因が教師の言葉にあったこと等がそのアンケートでどんどんあきらかになっていった。学校側ですら知らなかった事実が明らかになった。

この話は興味深い。本当の意味での情報公開とは学校側が持っている(=知っている)情報を公開することではなく、学校に関っている全成員が持っている情報を公開することだったのだ。
そういう意味では情報公開とは事実を明らかにすることとイコールであり、閉塞した学校や家庭という空間を越えた社会空間によってのみ可能になる。
そして今回はまさにピンスポットでアンケートという紙面によってそれがなされたが、学校中に起きている問題や課題を常に情報公開していくとなるともっと適切な道具がある。

まさにそれがインターネットであり、情報公開である。
学校は入学時に全家庭にインターネットを義務つける。そこに「学校版」というブログを設けるだけでよい。何かあればそこに書き込む。一様匿名制だが投稿者の所在は学校側で掴めるので本当の意味でのがせねたは出せない。

いじめ問題とは共認社会の鬼っ子のようなものであり、真っ当な社会共認空間を作ることができれば解決される。逆に今はその場がないからゆがんでいるとも言える。
この「学校版」は文科省の「隠すな!」とも相反しない。

そして最初はいじめ問題発で登場した「学校版」もその内、いじめ以外の各クラスの課題や受験の相談、先生への要望、期待なども発信されるようになってくるはずである。そうなればしめたもので学校版が実態の閉塞した学校社会をサポートし社会と学校を繋げていくツールに変わっていく。

いじめ問題の解決のヒントはそんな処にあるのではないだろうか?