性に対する知識ばかりを教えて、性に関連した肝心なことは何も教えない学校

性に対する知識ばかりを教えて、性に関連した肝心なことは何も教えない!試験問題に出来ないことではなくて、人が生きていくうえで大事なことを大人と共有したほうがいいと思う。
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■マスコミは、卑怯だ。マッチ・ポンプという言葉がる。
自分で煽っておいて、それを犯罪者がでると商売のネタにする。つまり、放火しておいて、火を消す消防士みたいな人間を指して言う。将に、今のマスコミがそうだ。強姦をする事をそそのかしていて、女を知らないなんて男ではないなんて言っておいて、馬鹿みたいに信じた奴は、犯罪者にされてしまう。そして、一生を棒に振ってしまう。でも、今のマスコミは、一事が万事、そうである。だから、純真な子ほどイカレてしまう。まともであればあるほど、まともに悪い事をしてしまう。
 
女の子とまともに口がきけない奴なんていくらでもいる。受験勉強ばかりしていて、大学に入ったら、色情狂みたいな書き方である。何が言いたいんだ。何にを、勉強してきたんだと言いたくなる。まともに口を利けないで知識ばかりが先行すれば、暴力的になるのは、当然の帰結。人との付き合い方を教えないで、興奮ばかりさせた者の罪だ。マスコミは、罪作りなのである。
■とにかく、高校と大学、大学と社会とのギャップが大きすぎる。
高校から、大学へ上がったら、受験勉強の世界から、全くの遊びの世界へ、大学から社会へでる時は、今度は、急激に自立した社会人としての責任を問う。これでは、子供達はついていけなくなる。一年一年で区切っている学校の論理である。
生きていくために、何が、必要かという問題は、学問にとって無意味だとはじめから決めつけているふしがある。ひどい場合は、必要性というのは、学問にとって有害、悪いことだとすら言う。学問とは、無用の用などと訳の分からないことを言って子供たちを混乱させる。
初めから間違っているから、誰も、子供たちに、なぜ、学校に行かなければならないかについて、説明が付かない。
性教育が典型的である。性に対する知識ばかりを教えて、性に関連した肝心なことは何も教えない。人を愛する事、子供を産み育てる事、愛する人と共に生きることの意義、性に関することより、性行為が、引き起こす諸々のことを教えようとしない。家族とは何か、夫婦のあるべき姿はどういうものか、親になることの意味。そんなことはお構いなしに、性に対する知識だけを与えたらどうなるか。教育者が、それを理解していない。
 
知識だけ教えて、生きていくために、必要なことを、何も教えないか、独善的で、極端なこと、また、道徳に、反することしか教えていない。問題はそこにある。子供たちは、教えられた知識が、正しいか悪いか、どうそれを、扱っていいのかの判断ができない。判断ができないから、どうすればいいのかを教わりに学校に行くのだ。ところが、教育者は、子供の個性を尊重すると言って、一番肝心なことを、教えようとせずに、逃げている。つまりは、教えなければ、教育者として責任を問われないと思っているからだ。
 とんでもない。教育者が教えないと言うことは、最初から、自分の責任を放棄しているにすぎない。何もしないから、責任がないというのは、本末転倒である。
結局、性に関して、子供たちは偏った知識だけを与えられ、暴走していくことになる。
自分のやった行為と結果とが結びつかない。性的関係を持てば妊娠したり、病気になる可能性がある。妊娠すれば、子供が産まれる。子供が産まれれば、子育てをしなければならない。そういう関係が見えない。
 生きていく為に必要な事を教えないで、社会に放り出していて、責任を問う。論語に「教えずして殺す、これを虐と謂う。戒めずして成るを視る、これを暴と謂う。」今の教育の現状からすると、日本は、暴虐の国になっている。
■男と女は違う。その違いを前提として、男女差別のことを問題にするのと違いを認識しないで問題とするのは根本的に違う。前提条件と事実をどう認識するかの問題である。前提条件と事実を確認する必要がある。
 神が存在するか、その神はどのような神か。神を信じる者にとって、それは、明白な事実だ。神を信じぬ者にとってもそれは明白な事実だ。しかし、そこから、全く違う世界だ。
 ただ、いえることは、何も信じない者には、あやふやな世界しかないということだ。
愛を学校では教えられない。だから、知識としての性教育をする。だったら、何も教えるなって言うの。大学生が、強姦をしたって。それって、愛する事を教えずに、性教育をした結果でしょ。それで、今の若者にモラルがないと責めるのは、お門違い。間違ったことを教えたおまえが悪い。
志が大切なのである。愛する事が大切なのである。



櫻井佑衣子