江戸時代・寺子屋~教育は生産と一体。理にかなった学び

先生は僧侶、武士などの兼業。決められた時間、教材はなし。毎日空いているが毎日来なくて良い。子供も担い手の一人として充てにされていたから、仕事の都合によっては学校は二の次。多種多様な職業に沿った実務に合わせた内容。現実に即した必要性と、継続できる柔軟な仕組みにより、識字率が世界的に見ても高いと言われていたのもなっとく。
子供の内から、将来の仕事が決まっているようで、現代的当てはめると選択の自由がない、と言われそうだが、学びの内容が現実と直結していて理にかなっている。無駄がないなーと思います。
以下引用(リンク)
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現代の小学校は多くが公立、つまり市町村が管理・運営していますが、寺子屋の経営者は先生本人、つまり民間の教育施設です。なので、幕府や藩とは一切無関係。援助もないかわりに介入もありませんでした。
ところで、どれくらいの寺子屋が全国にあったと思いますか? 諸説ありますが幕末にあった寺子屋は日本全国で見るとその数なんと…
1万5000~2万軒ほど。
江戸だけでも1000~1300軒ほどもあったとか。ちなみに、現在、全国の小学校の学校数が2万601校だそうなので、ほぼ同数です。いかに寺子屋が全国のあちこちにあったのかが想像していただけるんじゃないのでしょうか。たくさん寺子屋があった理由は、それだけ需要があったから。「学問なくして将来いい暮らしはできない」。町人にしても農民にしてもある程度のポジションにつけるようになるには文字学習が必須だったんです。
寺子屋の先生は無資格でしかも兼業先生!?
さてさて、現代の小学校と寺子屋の違いをざっと羅列すると――
・義務教育ではない
・先生は無資格
・入学、卒業とも年齢は自由
・授業時間に決まりはない
・決まった時間割はない
・授業内容に決まりはない
・教科書は人それぞれ(え?
・授業料も人それぞれ(え?
当時、寺子屋の先生は「師匠」と呼ばれていました。現在の先生には教育免許が必要ですが、寺子屋の先生は無免許、学と志があれば誰でもなれました。
どんな人が先生になったかというと、僧侶、神官、武士、浪人、医者、町人、村役人などが多かったんだとか。また、女性の先生も結構いたようです。専業で先生をやっている人はまれで、ほとんどが副業として先生をしていたそうです。隠居後の仕事として先生をやっている人も多かったみたいです。
(中略)
■登校も下校も時間に決まりはナシ!
お次は授業時間と時間割について。現代の小学校は学年にもよりますが8時半に1限目がスタート、途中休憩をはさみながら2限目、3限目……と続き給食を食べて15時半に下校という感じです。
一方、寺子屋はといいますと、先生によって差はありましたが、朝8時頃にスタート、午後2時頃に終了というのが一般的だったようで、時間割はありませんでした。家の手伝いやお稽古ごとなどにより午前だけで帰る、という子どもも多かったとか。
(中略)
■完全個別指導!教えてくれるのは将来に直結した実用的な知識
お次は授業内容。現代のように国が指定した学習指導要領があるわけではないので、こちらも先生によって授業内容もマチマチでした。一般的には「読み」「書き」「そろばん」という初歩的学習からスタートし、子どもの成長や将来就くであろう職業に応じて必要な知識を指導しました。
(中略)
寺子屋で使われた教科書は将来に合わせて各種用意
お次は教科書です。寺子屋には規定の教科書というのはありませんでしたが、全国で幅広く使われた教科書的なものはありました。それが「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる書籍です。
「往来物」というのは、手紙のやりとり形式でつくられた教科書の総称で、なかでも『庭訓往来』は衣食住をはじめ、職業、建築、宗教、歴史など幅広い一般常識を内容とし、多くの単語と文例が学べることからもっともポピュラーな教科書として広く使われました。
寺子屋は読み書きそろばんの基礎学問からスタートし、最終ステップでは子どもたちが将来就くであろう職業に必要な知識を指導してくれました。そのため、教科書も将来の職業別に各種ありました。たとえば、商人の子ども、もしくは商家へ奉公予定ならばこちらの教科書。
その名も『商売往来(しょうばいおうらい)』です。商業に必要な単語(商品の名前など)や知識、商人の心構えなどを学ぶことができました。
また、たとえば、農民の子どもならばこちらの教科書。
ズバリ、『百姓往来』です。農作業をはじめ、年貢などの納税、牛馬の飼育法、農民の生活など農家に必要な単語や知識を学ぶことができました。
また、職人の子どもならばこちら
『番匠往来(ばんしょうおうらい)』という教科書。大工や職人になるために必要な単語や知識を学ぶことができました。
ほかにも、漁民の子どもには『船方往来(ふなかたおうらい)』、八百屋の子どもには『八百屋往来』などなど、さまざまな職業に応じた多種多様な教科書が用意されていました。
また、職業を超えて必要となる知識、たとえば手紙の慣例語句を集めた『消息往来』、日本各地の地理を学ぶための『都路往来(みやこじおうらい)』なんてものもあり、「往来物」の総数は7000種類とも!
現代の教科書との違いは「実用的な知識」を内容としていること。詰め込み学習は今も昔も同じ。ただ、寺子屋での勉強は実用一辺倒、将来に直結した知識を学び、教科書である「往来物」も実用知識を詰め込んでありました。
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西田香織