■ぎむきょういく【義務教育】大辞林 第三版の解説

大辞林 第三版の解説
■ぎむきょういく【義務教育】
国民が学齢に達した子供に受けさせなければならない普通教育。日本国憲法では、子供が教育を受ける権利を保障する性格をもつ。日本の現行学制では、六歳から一五歳の9年間がその期間。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
■義務教育(ぎむきょういく)
制度的に強制された教育。だれが、だれに、いかなる教育をなんのために、強制しているかで、そのあり方や意義は大きく異なる。現在の日本の義務教育は、日本国憲法第26条をはじめ教育基本法、学校教育法等の定めにより、すべての国民が、その保護する子女に、9年間の普通教育を、正規の小・中学校で受けさせるよう、強制された教育である。それはまた憲法第26条1項が、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定め、国民ひとりひとりの教育を受ける権利(学習権)を保障するために、その維持を全国民に義務づけた教育でもある。[木村力雄]
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しかし以上のような性格の義務教育は、世界史的にみても、ごく最近のことで、これまでにそれとは性格を異にするさまざまな義務教育が制度化されてきた。次にその特徴を五つの性格に分けて考察してみる。
〔1〕特権的支配階級に属する者が、その体制の維持強化のために、自らの子弟(原則として男子だけ)に特定の教育を義務づけたことからその歴史は始まる。ギリシアのスパルタの例がその典型とされている。時代は下るが、わが国でも江戸時代の藩校教育のうち、同じ意味で義務化されたものが少なくなかった。スコットランド、ロシアなどにも類似のものが断続的にみられる。しかしこの種の事例はまれである。
〔2〕民衆つまり被治者一般に対し教育が義務づけられるのは、欧米においても16、17世紀以後、宗教改革によりプロテスタント領邦国家が誕生してからのことである。当然信教の自由の問題と深くかかわり、家庭内の教育や学校の設置だけを義務づけながら、それへの就学は義務づけなかったアメリカのマサチューセッツのようなケースと、信仰属地主義をとり、就学までをも強制したドイツ諸領邦のようなケースとがみられた。
〔3〕世俗国家の専制君主が、その富強のために、国民=庶民一般の教育の振興を図り、学校の設置とともに、就学をも義務づけるようになったのは、18世紀になってからで、プロイセンの1763年の「一般地方学校令」がその先駆といわれる。
 以上三つの義務教育に共通する点は、国家の存続維持発展こそが重要であり、それに寄与できそうにない心身に障害のある者たちは義務も免除された。そこには教育を受ける権利といった発想はまだなかった。
〔4〕義務教育の性格は、人権思想の形成、普及、発達によって大きく変質した。その端緒は18世紀末のアメリカ独立戦争期やフランス革命期に形成された、いわゆる近代公教育思想に淵源(えんげん)する。実際に産をもたぬ労働者層が、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランスの各国で、生存権の一環として、教育を受ける権利運動を展開したのは、19世紀も1830、40年代になってからのことで、平等より自由を重んじるイギリス、アメリカ、フランスの各国で、さらに就学義務制が実現されたのは、1870、80年代になってからであった。
 しかも当時前記の諸国で成立をみた義務教育は、無償の公教育を権利として要求する労働者層の運動も、その成立の一因とはなったが、現実には、彼らと対立し、公教育を秩序維持の手段とみる特権層・地主層と、良質で安価な労働力の供給源とみる産業資本家たちとの妥協の産物でもあった。憲法等に教育を受ける権利がそれとして明記されることも当然まれであった。義務教育とその後の教育との接続も調整されてはおらず、能力に応じて、その後の教育が受けられるようになっていたのは、まだアメリカの中西部だけであった。
〔5〕わが国の第二次世界大戦前の義務教育は、天皇制公教育の基盤をなすもので、〔3〕に類似した性格であったとされている。事実、1890年(明治23)教育勅語渙発(かんぱつ)直前に制定公布された第二次「小学校令」は、その範をドイツに求めた。しかし1872年(明治5)の「学制」から三つの「教育令」を経て、第一次「小学校令」が制定され、就学義務制の基盤が敷かれるまでには、ドイツよりは、フランス、アメリカ、イギリスなど各国学制の最善良なるものを求めての模索があった。1907年(明治40)には6年制の義務教育、さらに45年(昭和20)までには、8年制となった初等義務教育と、男子だけを対象とするものではあったが、定時制の青年学校教育とをあわせるなら、満6歳から19歳まで、13年間の義務教育が完成する予定であった。
 冒頭のわが国の現行義務教育制度は、以上の文脈でわが国固有の国民的平等意識に支えられ形成されてきた義務教育が、第二次世界大戦後の諸改革を通じ、教育を受ける権利=学習権思想を支点に改組再編されたものであった。[木村力雄]
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今後の課題は「能力に応じて」と「ひとしく」の緊張関係にある二つの原則が、成績1点を争う競争原理で貫かれている現実を、どう超えるかにある。素質・能力の違いを認め、個性を尊重する教育が、結果として差別教育の是認とならぬようにすべきである。以上は近代から現代への世界共通の課題でもある。[木村力雄]


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