脱学校原論 ② 学校の害毒

「脱学校原論 ② 学校の害毒」真宗大谷派僧侶 堀 蓮慈 リンク
より引用
(略)
とにかくそんな具合に、伝統的な学校は、人権より制度の都合が優先で、教育機関やなしに選別機関として機能してる。
そやから、学校へ行ったために自分に自信をなくして、自尊感情を失う、いうことが頻繁に起こってるはずや。これが人生最大の損失。
そういう風に育った親は、自分の子どもを愛することもできんで、子どもを学校的価値観、つまり「何ができるか」「言うことに従うかどうか」で評価する。「切れる」んも、犯罪を犯すんも、根っこはここにあると思う。
ほんまかどうか知らんけど、アフリカの「未開」の村に学校を作ったら、それまで必要のなかった刑務所も作らんならんようになった、いう話がある。急速な「文明化」のためには、強引な集団教育が好都合やったんやろが、もうそんな時代やないやろ。
学校に対する批判は山ほどある。それでもなおかつ学校へ行く最大の理由は、学歴がないとええ仕事につけん、いう思い込みやろが、はたしてほんまか?
確かに、公務員とか大企業の社員にはなれんやろけど、エジソン松下幸之助みたいに大企業の社長にはなれるかもしれん。別にそないに欲張らんでも、自分の好きな仕事をするのに、学歴がいるとは限らんやろ。
戦後、サラリーマンが一番安定してる、いうことで、みんなが企業に就職しようとしたから競争が激化したけど、安定した嫌な仕事と、不安定でも好きな仕事とやったら、今の若い子は後者を選ぶんやないかなあ。
それは、「甘い」いうんやなしに、社会が成熟した、いうことなんや。ついでに言うとくと、安定を求めすぎると安心が得られん。何かあったらどないしょう、てビクビクしてるんに比べて、その時はその時で何とかなる、て思えた方が安心やろ。
 現実的な話として、やる気さえあったら歓迎する、いう職場は中小企業やったら結構あると思うし、なかったら自分で作る手もある。そんなことでけへん、て思うんは、学校や家庭で、劣等感・無力感を植えつけられたせいに違いない。
人間には本来いろんなことができる可能性がある。もし何らかの資格を取る必要があったら、通信教育が手っ取り早いし、大検を受ける手もある。塾で教えていた経験上言うけど、あれは本気でやる気があったら、かなりの確率で通るんや。特定のコースからはずれることを病的に恐れるんさえやめたら、人生はかなり楽になる。



山根教彦