「軍歌を歌う幼稚園」で愛国心は育つのか①

戦前世代は知っていた「教育勅語」の限界
国有地の取得問題などに関連し、大阪市の学校法人・森友学園の独特な教育に注目が集まっている。同法人が運営する幼稚園では、「君が代」や軍歌を歌い、「教育勅語」を暗唱し、天皇皇后の写真を飾っているというのである。
学校法人「森友学園」に売却された土地で建設工事が進む小学校=3月1日、大阪府豊中市時事通信=写真)。
こうした「愛国教育」を賞賛するものもいないではない。だが、これで本当に愛国心が育めるのだろうか。
少し視野を広げて考えてみたい。明治維新以降、日本の教育は、世界の価値観を基軸にする普遍主義と、国内の価値観を基軸とする共同体主義とのバランスで成り立ってきた。
具体的には、日本は、欧米列強に追いつくため、欧米の思想や制度を積極的に取り入れ、近代的な人間を育成しようとした。その一方で、国民国家の統合を進めるため、日本という共同体の歴史と責任を担う国民を育成しようとした。
普遍主義に偏れば、根無し草の人間が生まれてしまうし、共同体主義に偏れば、視野狭窄国粋主義者が生まれてしまう。この間でいかに理想の日本人像を作りあげるか。それがここ約150年間の日本の教育の課題だったのである。
話題の「教育勅語」も、この文脈のなかで考えなければならない。
1890年10月に「教育勅語」が発布されるまで、日本では教育方針をめぐってやはり普遍主義と共同体主義が激しく対立していた。西洋式の自立自営の個人をモデルとするか(啓蒙主義)、東洋式の忠臣孝子をモデルとするか(儒教主義)、論争が起きていたのである。
そこで、帝国議会の開院をまえにして、その調和が図られた。白羽の矢が立ったのは、「大日本帝国憲法」の起草にも関与した、法制官僚の井上毅だった。井上は、特定の思想信条に与しないよう慎重に言葉を選んで「教育勅語」を組み立てた。
教育勅語」というと、戦前特有の軍国主義や神国思想の権化のように思われるかもしれない。だが、この文書が発布されたとき、日本はまだ、いつ植民地にされてもおかしくない、極東の弱小国にすぎなかった。そのため、その内容は当時としては意外にも穏当で無難だった。
その分、その後日本が日清戦争日露戦争に勝利して大国化すると、「教育勅語」の内容は不十分だと指摘されるようになった。産業振興や国際交流、女子教育に関する記述がないなどとして、改訂や追加をするべきだとの意見が相次いだのだ。
天皇の権威がネックとなって「教育勅語」はそのまま残されたが、それを補うために「戊申詔書」や「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などが発布された(※1)。「教育勅語」は、けっして狂信的ではなかったが、普遍的でも絶対的でもなかったのである。
このように「教育勅語」でさえ、普遍主義と共同体主義のバランスのうえに成り立っていた。その後の教育法令などはなおのことそうだった。
昭和に入って軍国主義超国家主義が強まると、日本は共同体主義に傾いた。文部省は『国体の本義』や『臣民の道』を刊行し、われわれは普遍的な人類ではなく、国民であり、日本人でしかありえないと主張した(※2)。敗戦後この反動で、普遍主義が強まり、1947年3月「教育基本法」が制定され、どこの国にもあてはまる高邁な理想が掲げられた。すると、今度は日本人としての価値観に欠けるなどとして保守派の反発を招いた。こうして2006年12月「教育基本法」が改正され、「我が国と郷土を愛する」などとの文言が加えられた。現在これにリベラル派が反発しているところである。
日本の教育は、変化する世界と社会に柔軟に対応し、ときに失敗しながらも、着実に成果をあげてきた。特定の文書を絶対視し墨守してきたわけではない。これは忘れてはならない重要な点である。
戦後より戦前のほうが凶悪犯罪は多かった
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森浩平