わくわく子ども学校設立趣意書

箕面こどもの森学園」の前身である「わくわく子ども学校」の設立趣意書を読む機会があったので、以下に引用させてもらいます。
 既存の学校における強制・抑圧から子どもたちを開放し、本来、子どもたちの中に存在する「なぜ?」「なんで?」といった好奇心から沸きあがってくる「自発的な学び」を支援するのが教育者の役割というところにとても共感しました。
「こんな学校あったらいいな 小さな学校の大きな挑戦(築地書店)」より引用します。
※※※以下、引用※※※
わくわく子ども学校設立趣意書 2001年2月作成
1.設立の目的
 1960年代以降、日本は驚異的な経済発展を遂げ、物質的には豊な社会を実現しました。しかしその反面、社会にさまざまな歪を生じさせ、人びとは不安やストレスを感じながら毎日を暮らしています。大人ばかりではなく子どもたちもまた、いじめや不登校、学級崩壊といった現象にみられるように、学校といった社会で生きることに困難を感じています。学校の危機の背景には、個人の欲望を肥大化させる産業社会の進展といった大きな問題がありますが、学校システムそのものに内在する問題も看過できません。
 これまで当然とされてきた、学年ごとに学習内容を規定する教育課程、教科書中心の授業、教師から子どもへの一方通行の教授方式などが時代にそぐわなくなっていることが、最近では認識されるようになってきました。そして、従来の標準的な学力を獲得させるための教育から個性を重視する教育へと学校教育の目標が変わりつつありますが、人間の個性とは何か、どのようにしてそのような教育を行うのかといった点についての議論がまだ不十分のように思われます。
 私たちは、教育におけるこれらの問題を根本的に解決するには、従来の『産業社会に適応できる人間を育成するための教育』から、生徒の自発的な学ぶ意欲に基づいた『人間の自然な成長を支援するための教育』へのパラダイムの転換が必要だと考えています。
子どもを主体とする教育
 今から160年ほど前、デンマークの教育改革者グルントヴィは書物中心の教育をする学校を『死の学校』とよび、人と人との対話すなわち『生きた言葉』による教育をする学校を『生の学校』とよびました。その考えは今日の北欧諸国のフォルケ・ホイスコーレやフリースコーレとよばれるオルタナティブ・スクールに受け継がれています。世界中で最も自由な学校とよばれたイギリスのサマーヒル・スクールの創立者のA・S・ニイルは「子どもたちの感情的抑圧を取り除くことによって、より自由な人間になれる」といい、その考えは今日のフリースクールの教育方針となります。フランスのフレネ学校の創始者セレスタン・フレネは「子どもは自分が役立ち、自分に役立ってくれる理想的共同体の内部で、自己の人格を最大限に発展させる」といっているように、子どもたちはお互いの労働を組織し、協働するなかで人間的交流を深め、発展していくものと考えています。アメリカのサドベリーバレー・スクールのダニエル・グリーンバーグは「子どもたちは好奇心によって自ら学ぶ」といい、教師や学校の役割は、そのための用意周到な環境を整えることにあると考えています。
 私たちは、これらの先達の教えに習い、子どもたち自らの意思で学ぶ新しいタイプの学校を構想しました。この学校は生徒数八十人くらいの小規模で、そこでは生徒とスタッフが生活をともにしながら、エコロジカルで民主的な教育がなされます。そこでの教師の役割は、将来必要となる知識や技術を教え込むことではなくて、子どもたち一人ひとりの自立的な成長のプロセスを支援することにあります。この学校には、子どもたちが心ゆくまで遊び、学ぶための十分な時間と空間が用意されています。そのような教育環境のもとでなら、子どもたちは抑圧から解放され、本来の好奇心を呼び覚まし、学ぶことの喜びを知り、自分らしい生き方を追求することができるでしょう。
 私たちは、以上の構想を実現するために、NPO法人の小中学校を2004年に開設することを目標に設立の準備をすすめています。
2.教育の方針
 大人と子ども、先生と生徒、これらの境界線をとり払い、年齢や立場にかかわりなく対等な人間として尊重しあうときに、本当の学びの場が形づくられます。そのような場で、子どもたちが自らの欲求によって学ぶとき、それは自分の世界が拡がる喜びの経験となります。子どもたちは、このような経験を積み重ねることによって、自己に対する信頼を強固なものにし、肯定的な自己像を確立することができるのです。
 私たちは、生徒たちがこの学校でのさまざまな経験を通して、民主的で共生的な生き方を学び、既成の概念や権威のとらわれることなく、自分自身の考えで判断し、行動していくことのできる、自立した人間に育ってほしいと思っています。
自発的な学び
 人は何のために学校で学ぶのでしょうか。将来、よい職業につくためでしょうか。それとも、社会に貢献するためでしょうか。それらは親や学校の要求であって、本当の学びの欲求はもっと個人的な同期に基づいています。それは「いったい全体、自分のまわりの世界のしくみはどうなっているのだろうか?」「このことが起こるのはなぜだろうか?」「自分はこのことができるようになりたい!」といった好奇心や向上心によるものです。
 人は自分自身の生活のなかで学ぶ必要を切実に感じたときに最もよく学びます。赤ん坊が言葉を覚えるのは、まわりの人びとに自分の欲求を分かってもらいたいという切実な欲求があるからです。私たちは生徒たちに知識を押しつけるのではなくて、かれらが求めるまでじっと見守り、かれらの要求があったときにはじめて学びを支援するのが教師の本来の役割だと考えています。
(後略)
※※※引用、以上※※※




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