小学校に行かないという選択。今までの”あたり前”はあってないようなもの 1

「小学校に行かない」という選択をする子は今後当たり前になっていくような気がします。
ニュートラル かしこくかろやかに生きる
(リンク)より引用
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小学一年生の息子は、6月の運動会以降ほとんど学校に行っていません。なぜ、そういう流れになったのか、息子とどういう話をしてるのか、周囲とのいざこざなどについて。息子は小学校ではなく自分にとって居心地の良いフリースクールを今はメインの居場所として選択しています。
不登校というより、学校に行かないという選択をしてる
よく「不登校」って社会問題として取り上げられるけれど、それってもはや死語でしょ。それぞれいろんな想いがある。学校に行きたい、でも行けない。学校に行きたくないけど、行く。学校に行く以外の選択肢がない。嫌いな先生、嫌いな友達がいる。などなど。「不登校」の3文字の中には、「学校に行くことがあたりまえで、学校に行かないなどありえません」っていう意味が込められているよね、(私は非登校のほうがいろんな想いを包んでくれてしっくりくると思うのだけどどうかな)学校だけじゃなくていろいろ選択肢はあるだろー
積極的に、学校に行かないことを選択している。そしてそういう人たちがどんどん増えていることを感じています。
■一年生の年齢になったら、小学校に行くことが全て、ではないだろー
私が小学生だったころの感覚としては、小学校に行かないなんていう選択肢なんか想像もできなかった、よっぽどひどい風邪をひいた時にしか休むことは許されないって思ってた。ちょっと行きたくないなぁ~って思うことって誰でもあると思うけどほとんどの親はそんなちょっと休みたいっていう”甘え”なんか尊重しないのが一般的だった(現代もまだまだそうかもしれない、でもフリースクールなど他の選択肢が増えてきて、小学校が全てっていう価値観は少しずつ崩れている、よね?)
 
休みたいっていって休ませてそれが癖になって社会人になってもそんな人間になったらどうするの!っていう声が聞こえてくるようですが、いやいや。。。小学校からレールの上を淡々と流れて進むことが癖になっていざ社会に出たときにどう動いたらいいか自分で決めれなくなるほうがよっぽどおそろしいでしょう、、、と私はおもう。そして自分で決めて動いているならちょっとしたことで休んだりしない。
もう、いい学校出て大企業に入ってみたいな道はもう無いようなもの。学びたいことがあるなら深めればいい、有名難関校に通ってみたいならそうすればいい、大企業に入ってみたいならその為に努力すればいい、でもこどものほうがよっぽど感覚でわかっている、ただとりあえずいい学校に入ってそれが一体なにになるの・・・?ということを。意志は、どこへ ?
そして、何がなんでも学校に行け!というひとの心には”休みたい”って言う言葉の裏に何が隠れているのかを、想像してみるっていう余裕が無いのだろうな、とも思う。いろいろ大変だよね、でもこれからを生きる子どもの心の声を無視せず聞いてあげることは何より大切にすべきポイントなのではないかなあ。ただ眠たくて休みたいって時もあるかもしれないし、疲れてるかもしれない、体調が悪いかもしれない、人間関係がつらいのかもしれないし、学校のシステムに疑問を感じてるのかもしれない。
きっと「学校休みたい」って言葉にするってけっこう勇気がいること。それを親がどう受け止めるか?ばっさりあっさりそんなの駄目に決まってるじゃん、って言うのか、どうして休みたいと思ったの?と正面から向き合うのか。親子の信頼関係ってそういうところで積み重ねるものだよね。言っても聞いてもらえるわけないし・・・ってなってしまうのはこどもの心にとってすごく大きな不安になるのではないかなあ。私は母として、安心やさんでありたい。(なんでも許すわけではないよ、一応ことわっておこ
(つづく)
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松下晃典