義務教育への違和感①

不登校者は増加中。フリースクールも増加中。義務教育への違和感が高まり、あと10年もすれば義務教育制度そのものも解体されていくかもしれない。いや、解体したほうが子ども達のためだろう。
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◆教育は義務ではなく自由選択的なもの
個人的に学校という空間が嫌いで嫌いでたまらなかったってのもあります。が、学校のなんでしょうね、あの全てにおいての「やらされてる感」。
やりたいことはあんまりやらせてもらえないのに、やれと言われたものはやらねばならないあの感じ。ここはなんですか?戦時中の日本をちょっとソフトにしたあれですか?って10代のぼくは思っていました。
◆本来の教育は子供の自由な可能性を伸ばすもの
本来教育っていうのって、子供の可能性の発掘、そして開拓、からの伸ばすってことを目的したものであるはず。けれど、学校で教わることってただ教育委員会だかのおっさんおばさんが決めた「これ使う?」ってものばかり。
もっといえば「これパパママに教えて貰えばよくね?」ってものばかり。でも、それに抗うとダメな子というレッテルが貼られたりする。劣等生、非行などなど。なんですかね、子供を伸ばすどころか、きめられた枠にはめ込んで詰め込むのが学校なんでしょうか。
◆義務教育では子供は伸びない
子供のすごいところって、大人の常識をこえたフィーリングだったりするじゃないですか。え?そんなことする?ってこと、こどもは平気でやってのけるし、考える。もちろんそれが死を伴うレベルの危険なことだったらやめさせないとですけど、学校の世界はそれを制圧しすぎじゃね?というか。
◆義務教育の学校は教室の雰囲気がなんかおかしい
なぜか学校社会では、暗黙の了解で親>先生>こどもというカースト制度が成り立ってるようです。そして教室では先生が一段上にたち、こどもたちを見下ろす感じで教鞭を振るいます。子供達はさされたら起立し、終わったら着席。それ以外は勝手に立つことも許さなかったり。
学校での勉強は問題の答えを出すことで点数がつきますが、結局その問題ってのは大人になったら8割使わないわけで。算数とか漢字なんかは、初歩的なのは親だって教えられる。本読みながらググればぶっちゃけ覚えてく。
なぜそれを学ぶようになったのか?その概念がうまれるようになったのか?を先生と共に学んだりするほうがよほどいい。歴史なんかは教科書にはない歴史を一緒に探求したほうが、よほど世の中のことがわかる。
◆義務教育には二人三脚の教育がない
学校カーストの影響で、おとなは常にこどもに対して命令口調。あれやってくるように。これやるように。あーしろ。こーしろ。お前はこうだ。でもそのおとなだってたった数十年しか生きていなくて、しかもそのひとの人生が絶対ってことは絶対的にありえないわけで。おとながこどもに学ぶことって往々にしてある。おばか(と呼ばれるひと)の出す案がめっちゃ確信ついてるときがあるのと同じように。
◆義務教育の学校に「通う」行為の意味
今の学校って、ただ単にそこに「行かないといけない」という暗黙の了解の上でなりたってる。そこに通うのがなぜか当然で、なぜか行かないと怒られる。でもいってもまってるのはつまんない、意味を感じない勉強と、掃除と。あとは友人たちとのつかの間の休憩。で、全員が同じ時間をすごして、ちょっと部活で汗を流して帰る。寝る。以上。
こんな毎日の連続で、いきたくなるわけがない。友達がいるから…ってのはあるけど、学校が本来の目的を「学び場」とするなら目的がずれている。友人なんてのは学校いかなくても作れるし。こどもはおとな以上におもしろくないことはしたくないし、意味のないことはしたくない。意味のない勉強をしに、毎朝早起きしていくことは苦行でしかない。



匿名希望