『遊びの解放』と承認・肯定の言葉によって子どもの自立を促す

子どもは遊びからあらゆることを学び取る。
しかし、その遊びは大人が枠を作ったり、放置したりするのではその価値が半減してしまう。
子どもたちの追求心を生きる力にしていくためにも遊びの重要性を知っておきたい。
子どもはみんな天才だ!佐伯和也 公式ブログ
「子どもの『自立』には、『遊びの解放』だけだと不十分です」(リンク)から引用
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「子どもが自分から勉強を始める」
「子どもが自分のことは、自分で考えて行動をする」
「子どもが自制心を持つ」
っていうのは、『遊びの解放』だけでは不完全なんです。
『遊びの解放』は、あくまでも一番大きな目的は「主体性を取り戻す」っていうものです。
子どもによっては、『遊びの解放』だけで自然と勉強を始めるようになる子や、学校に行くようになる子もいます。
じゃあ、『遊びの解放』って、意味ないんじゃ?って思うと大間違いなんです。
『遊びの解放』は、自立に向けた大前提です。
だから、『遊びの解放』をしていなかったら、そもそも、
「子どもが自分から勉強を始める」
「子どもが自分のことは、自分で考えて行動をする」
「子どもが自制心を持つ」
っていうことを議論する準備ができていない、っていう段階です。
『遊びの解放』をせずに、勉強のことや、自立、自制心のことなどを子どもに身に付けてもらおうとするのは、高い山を登ろうと思っているのに、着の身着のまま、何の装備も持たずに登り始めるようなものです。
だから、そのままやると、怪我したり、事故ったりする。
すなわち、子どもが依存的になったり、心にダメージを受けたり、変にひねくれたりする。
ひねくれるのは、子どもが「本心と違う行動をする」っていうことね。
それから、『遊びの解放』って、親が子どもを承認するプロセスでもあります。
「好きに遊んでもいいよ。」
「どう遊ぶのか、どれくらい遊ぶのかはあなたに任せる」
って言います。
ということは、『遊びの解放』は、
「あなたは自分で自分のことを考えて、決められる」
「あなたは自分のことや、周りのことを大切にできる」
「あなたは既に色んなことができる」
みたいなことを承認する姿勢としても伝えています。
「え、そんなつもりないけど?」
って思うかもしれないけれど、『遊びの解放』は言葉じゃなくて、言葉を超えたレベルで、子どもにそう伝わっている、っていうことです。
実践してみた人は、気付いたかもしれませんが、『遊びの解放』は、コミュニケーションの取り方によっては、放任にもなるし、自律学習にも繋がります。
それはもう、どうコミュニケーションを取るのか、です。
『遊びの解放』をして、コミュニケーションを取ることすらやめてしまえば、それは『放任』です。
『遊びの解放』をするけれど、子どもが『自立』するようなコミュニケーションは取りたいんです。
『遊びの解放』は、行動レベルで言えば「子どもの遊びの制限を取っ払う」っていうことです。
もちろん、命の危険がある場合などは、止めますけどね。
なので、『遊びの解放』だけで言えば、コミュニケーションについてはほとんど言及していないんです。
だから、『遊びの解放』と並行して、もしくは、実施した後にでも、親子のコミュニケーションの取り方も変えていく必要はあります。
子どもが主体性を取り戻したら、今度は、子どもと一緒に考えていくんです。
遊びを、学びに変えていくために。
「子どもの遊びにはルールが必要だ」
って言う人もいますけれど、子どもの『自立』を手放すならば、それは僕も同意します。
しかし、子どもの『自立』にこだわるならば、子どもには自分の力で生きていってほしい、って願うならば、それは間違いです。
子どもの遊びにルールを課すのは、『遊びの解放』が定着してからです。
子どもが自由に遊ぶことをやり始めれば、様々な結末を体験します。
「~をすると、怪我をする」
「~をすると、大切な人を傷つける」
「~をすると、逆に自分が不自由になる」
「~をすると、大切なものを壊してしまう」とかね。
そういう体験をある程度蓄積して初めて、
「本当は、どうなったらいいと思う?」
って子どもと一緒に考えるから、ルールができるんです。
子どもが遊び切る前にルールを設定しちゃいかんのです。
子どもを『自立』させたければ。
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匿名希望