「なぜそうなるのか?」を追求したら「問題児」扱いされる学校教育

「なぜそうなるのか」を追求しようとしたら、「問題児」扱いされる学校教育って何の意味があるんだろうと思ってしまいます。
以下、(リンク)より転載。
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天才発明家として有名なトーマス・エジソンも実は学校に殆ど通学せず、ホームエデュケーションで育った1人です。
少なくとも、私はエジソンが発明家として大成できた最大の要因は、エジソンが学校に通わなかったことに尽きると考えています。
■小学校中退という最終学歴
 
エジソンは小学校中退という、今では考えられない最終学歴の持ち主だったのです。
既にあなたもご存知だと思いますが、エジソンはとにかく幼少期から「なぜ?」という疑問を持つことが尽きない人でした。
学校の授業で教師が「1+1=2」だと教えても、それをハイそうですかとは感じられない人だったのです。
普通の人であれば何ら疑問を持ったりはしないようなことでも、やはりあれこれ考えてしまう人だったと言えます。
例えば、2つのコップに入っている水を1つの器に足し合わせても、2になっていないと感じたりして、とにかく授業中に教師に「なぜそうなるのか」を連発していたと言われています。
当人はいたって真剣に考えて発言していたのでしょうが、担当の教師はたまったものではなかったのでしょう。
とにかくそんなことが続いていたので、いわゆる授業の進行を妨害する「問題児」扱いされていたのです。
最終的には教師から
「お前の脳みそ(頭)は腐っている」とまで言われて、校長からも学校を追放されるような形となり、3カ月程度で小学校を中退することになったのです。
私から見れば別におかしくはないと思いますし、そもそもエジソンの疑問に答えられない学校の体制の方がむしろ問題のような気がするのですが、これが実態でした。
とにもかくにも、このような形でエジソンは学校という大多数の人が当たり前のように通る道から超短期間でドロップアウトしてしまうという流れになったのです。
■大好きな研究に没頭できる時間を確保できた
 
しかし、エジソンはその後に学校教育など受けなくても、自らの大好きな研究にとことん打ち込める環境を確保できました。
自身の疑問を解決できるだけの学習に時間をかけて、学校の多人数・同一のどうでもいい授業から解放されたのです。
これはまさにホームエデュケーションであり、集団教育とは真逆の個人のための環境だったと言えるでしょう。
その後のエジソンは色々な実験の為に好きな本を読み漁ったり、資金調達のためにお金を稼いだりと、独自路線をひたすら歩み続けたことで知られています。
そして、電球などの後世に残るような偉大な発明をいくつも成し遂げたわけです。
もちろん、数えきれない失敗も存在したと言われていますし、はた迷惑な実験も幼少から少なくなかったと言われているのですが、それでもこれは間違いなく学校に通っていなかったからこその結果です。
もしエジソンが自身の価値を感じられないような学校の授業に長年つき合わされていれば、偉大な発明は無し得られなかったはずです。
私の想像では、退屈で無価値な授業についていくのが当たり前になっていれば、エジソンもいわゆる非行・問題行動を繰り返す不良になっていたと思うのです。
そうならずに済んだのも、やはりエジソンがホームエデュケーションで成長できる環境を得られたからこそだったのではないでしょうか。
現在の集団教育などよりも、本来であれば個人での授業や独学の方が理解度や満足度なども高まるというのは過去の歴史が物語っています。
産業革命が始まる以前は、特に富裕層などは家庭教師などで子供に勉強させることはごく普通でしたし、なによりも集団教育の目的は人々を賢くすることではありませんでした。
あくまでも資本主義社会の発展に必要な、低賃金でも不満を抱かずに労働してくれる市民・労働者を育てるのが政府の学校の本質です。
そう考えれば、エジソンが天才になれたのはしっかりと1人になれる時間を確保して、やりたいことを好きなだけ出来る機会を早期に得られたからだと言えるはずです。
「好きなことだけしていれば駄目な人間になる」
「嫌な事だって知らないといけない」
「我慢ができないと、大人になって生きていけないぞ」
こうした声が日本では非常に多いものですが、嫌なことを嫌々ながら続けて大成した人は存在するでしょうか?
エジソンにせよ誰にせよ、本当に大きな結果を出してきた人は好きな事に時間を投資できた人であることは疑いようがありません。
何よりもまず、嫌なことを押し付けられるのは当たり前という学校教育の風潮こそが異常なことではないでしょうか?
教師に命令されたことにはなんでも従うのが当たり前で、出来るのは当たり前というのが政府の学校です。
しかし、大人になればできないことは人に頼んで解決させるという方法はごく自然なこととして普及していますし、好きなことを成し遂げるために我慢する方が本来は健全です。
嫌なことを我慢しなければならないとしても、そこに必要性などが無ければ本来は我慢する意味などありません。
エジソンが「なぜ」という疑問を教師に持つなと言われて、なぜを我慢していれば、偉大な発明はなされなかったはずです。
天才の育成にそもそもとして学校教育は不向きですが、エジソンはその典型的な事例だったことがこれでよく理解できると思います。




林勇