何故こんな検定が?検定制度の何が問題か~いらない!こんな教科書検定~・・・①

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●検定は教科書を良くするためではない~あきれた検定例
教科書検定は、子どもや生徒のためにより良い教科書をつくるために必要ではないか、と思っておられる方は予想以上に多いと思います。でも、本当にそうでしょうか。今回の沖縄戦検定は、「検定はなにかおかしいのでは」と考えた人も少なくないようです。はたして、検定は教科書をよくするために役立っているのでしょうか。まず、そのことを検証してみましょう。
サミットに集まるようないわゆる先進国では例を見ない日本の国家検定は、これまでも、家永教科書裁判や高嶋教科書裁判において、検定に違法性があることが最高裁判決などで明らかになっています。今回の沖縄戦検定と同様に、これらの裁判で明らかになった違法な検定、間違った検定は、日本史や社会科教科書についてでした。ところが、教科書検定の問題点は、社会科に限ったことではなく、その他の教科、特に理科や家庭科、国語などほとんどの教科にあらわれています。
教科書検定によって教育の内容がかえって悪くなり、子どもの生きいきとした姿が消されたり、文学作品などが教材から消され、教科書から真実が覆い隠されてきたことは、これまでもたくさん報告されています。古くは、家永教科書裁判の法廷でも明らかにされた事例ですが、小学校6年生の国語教科書に載せた、小学生が作った「川」という詩を、検定によって削除させました。
「さら さるる ぴる ぽる どぶん/ぽん ぽちゃん/川はいろいろなことをしゃべりながら流れていく…」という詩に対して、文部省は「水の音が、ぴる ぽる どぶん ぽん ぽちゃん というのは穏当ではない。水の音は、ほんらい、サラサラなのだから、全文そうなおせ」と検定意見を付けました。「サラサラ」に直すと、子どもの感性にあふれたこの詩のすばらしさは死んでしまいます。執筆者・編集者は涙をのんで別の教材に取り替えました。
こんな例は、今日でも枚挙にいとまがありません。そのいくつかを紹介します。
前年の中学校の検定でパスした「原爆の図」(丸木位里・俊夫作)が翌年の高校現代社会の検定では削除を命じられました。文部省の検定意見は、「絵がほかの社のものより大きく、色が鮮明に出ていて、原画に近い感じ」で「みた印象が鮮烈」で「絵が1ページに1枚で、見ひらいたときの印象として悲惨な感じが強く、事実をことさらに強調するものは、適当でない」というものです。教科書の絵や図版は、色が鮮明で原画に近いほうが良いのではないでしょうか。
高校現代社会教科書の扉の、並木道を若いふたりの女性が腕を組んで歩いている写真に対して、「これはレスビアンではないか」という検定意見で別の写真に変更させています。文科省によると、日本では、女性同士が腕を組んで歩くのは「非道徳的」で「規範意識に欠ける」ということらしいです。
小学校国語教科書で、鷹の巣を取るために、子どもが杉の木にのぼる話しを書いた『たかのす取り』という教材が、「木のぼりのような危険なことは教科書に載せるのは好ましくない」という検定意見で削除されました。文科省が求める子ども像は、木のぼりのような危険な遊びをしない子どもということのようです。
小学校社会科の検定で、「パンフレット」、ボランティア、キャンペーン、グリーンベルトなど」「外来語やカタカナが多すぎる。日本語で書け」という検定意見を付けています。これらの外来語は、今日では日本語同様に定着していて、むしろ、日本語に訳したほうがわかりにくいものです。一方で国際化をいい、他方ではこういう検定をやっているのです。新指導要領は「日本の伝統・文化」を全教科で押しつけようとしています。今後同様の検定が横行するのではないかと危惧されます。
生活科で、「しぜんのうごきはうつくしい。あるくのはかちまけのないスポーツだ」と書いたら、「『競歩』というスポーツがあるので、この記述は間違い」という検定意見をつけて削除させました。
生活科で、子どもが書いた絵のカニ、タコ、イカの足の本数について、見る角度と関係なく正確な本数(たとえば「カニの足は3対ではなく4対」など)を書くように検定意見をつけています。
同じく生活科で、「おふろからでて はしったとき とまったとき あるいたとき 同じ足なのに あしあとはかわる」という記述に対して、「しつけに問題がある。お風呂から出たらちゃんと身体をふくはずだから、足あとはつかない」ので、この文章はダメという検定意見をつけました。出版社は、小学校1年生ではなく小さな妹の話に修正したら検定合格しています。
-略-
ここにあげたような検定が、はたして教育的といえるでしょうか。本当に教科書をよくするためというより、きわめて恣意的、ご都合主義的な検定ではないでしょうか。




加藤俊治