「道徳の授業に答えを用意する学校教育はおかしい」12歳の投書に日本中が共感

学校の教育に対して12歳の中学生が異議を唱えることがあったそう。しかも新聞に自身の思いを投書。
その中学生も立派だが、中学生に見抜かれるほどに劣化している学校教育。
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12歳の中学生が新聞に投書した「学校の道徳教育に関する意見文」が非常に多くの共感を得て支持されている。
答えがない道徳に学校が答えを用意するのはおかしい。
直近では教科書検定にて、郷土愛を教育できるようにとパン屋が和菓子屋に変えさせられたばかり。
文部科学省は「パン屋に特定して指導した事実はない。郷土愛を感じられるようにと抽象的な指導を行っていた」と発表している。
いずれにせよ、このようなつくられた感動話の裏を見抜いてしらける子供は多い。それでも評価されるとなると先生が期待する優等生な答えを考えないといけない。「道徳に答えはない」という12歳の意見は哲学的な境地に達しているように思える。
絵本作家の五味太郎氏は「国語の読書感想文を書かせるのは間違っている」と批判したことがある
いかにも感動的な話を読まされて正解な文章を要求される子供が可哀想だという意見だ。ある生徒は心温まる話を読んだ後に原稿用紙に「別に。」とだけ書いた。五味太郎氏はこの子供の気持ちを尊重してあげたいと語る。
読書感想文を書くのに苦労した人は「大人が求める答えを探るのに苦労していた」と捉えることができる。友達同士の会話なら、すらすらと意見が出てくるのに原稿用紙を目の前にすると何を書いていいのか分からなくなる。それは無意識のうちに学校教育の正解を探っていたからだ。
また偶然にもこの記事を執筆中、ホリエモンも学校の非合理的な道徳観をバッシングしていた。
川で机を洗ったり、素手でトイレ掃除をしたりするのはまさしく合理性のない無駄な精神論。教育者が自身の偏った道徳観を押し付けているだけだ。
もしも道徳の教科化で評価がなされるようになったら子供たちの思考はもっと萎縮する。そもそも学校の先生自体が人格者でないことが多いのだから。
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匿名希望