社会に溢れる「ひとつの正解」が、子どもたちを自殺に追い込む(河合薫の『社会の窓』より)

夏休み明けの9月に急増する子どもの自殺。社会に蔓延する「ひとつの正解」が子どもたちを苦しめている。(下記では、学校そのものを否定はしていないが、学校教育が“受験勉強に必要な答え”として、その「ひとつの正解」を強制しているのは事実)
以下、『河合 薫『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』リンク より転載。
* * * * * * * * * * * * *
社会に溢れる「ひとつの正解」が、子どもたちを自殺に追い込む
2017.09.06 by  河合 薫『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』
米国育ちで元ANA国際線CA、さらに元ニュースステーションお天気キャスターからの東大大学院進学と、異例のキャリアを持つ健康社会学者の河合薫さんのメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』 リンク。今回は、夏休み明けに急増している「子どもの自殺」について。河合さんがアメリカのポスターに書かれた名文を示すとともに、いじめに悩む子どもたちへ送ったエールを送ります。
--夏休み明けに子どもの自殺が増える--
昨年、鎌倉市立図書館の公式Twitterで「学校が死ぬほどツラい子は図書館にいらっしゃい」と呟き話題となったことで、この“悲しき事実”が広く知られるようになったものの、残念なことに今年も“悲しみ”が続いています。
報道によれば、東京都内のマンションで私立中3年の女子生徒が飛び降りて死亡。
都内の公衆トイレで、高校3年の男子生徒が死亡。
千葉県では高校1年の男子生徒が電車にはねられ死亡。
いずれも自殺。最低でも3人の若い命が失われてしまいました。
子ども向けに設置された相談窓口では8月下旬から相談が急増し、「学校に行きたくない」と訴える子どもが昨年の2倍ほどいたそうです。
なぜ、こんなにも若い命が失われていくのでしょうか?
先の図書館のTwitterは、アメリカの学校や図書館に貼られているポスターを思い出した女性の司書が発信したものでした。
ポスターには、自分のこめかみに銃をつきつける男の子と、その周りに積み上げられたたくさんの本が描かれています。
そして、そのイラストの下に、
IF YOU FEEL LIKE SHOOTING YOURSELF, DON’T.  COME TO THE LIBRARY FOR HELP INSTEAD.
(学校なんて世界のすべてじゃないよ。新学期が人生の終わりじゃない。)
というメッセージが綴られています。
このメッセージの真意は、「学校だけが正解じゃない」ということ。学校に行く、友だちをたくさん作る、友だちと仲よくする、学校のお勉強をがんばるーーー、それだけが「人生の正解」ではないよ、と。
図書館にきてごらんよ。ここには図書館の案内役や本のガイド役やら、“キミ”をサポートしてくれる仲間がたくんさんいるよ。小説、エッセー、伝記、哲学、美術、車、食べ物 etc etcいろんな世界が、本には描かれているよ。正解はひとつだけじゃない。
キミの大切なもの、楽しいと思えることを一緒に見つけようよ。
「ひとつの正解(学校に行くこと)」に囚われて、居場所を失っている子どもに、「本を読めば世界が広がる」「本を読むといろんな人と触れることができる」とメッセージを送ったのです。本来、人間は「生きよう」とする動物です。
必死で立ち上がり、何度も転びながら前に歩こうとする。
3カ月微笑と呼ばれる赤ちゃんの愛くるしい笑顔も、人が社会の中で上手く「生きていくため」に、先天的に組み込まれていると考えられています。
ところが、その生きる力を萎えさせるナニかが社会に存在し、子どもを追いつめる。
生きるためにこの世に誕生した“子”が、自ら命を絶たなかければいけない社会は“異常”としかいいようがありません。
リストカットする子どもは誰一人として、最初からそういう子だったわけではない。
会社でストレスがたまった父親は、母親を家庭で怒鳴り散らす。ストレス社会でイライラした大人たちが、それを子にぶつける。
その結果、子どもは傷つく。誰からも褒められたことがない。誰からも認められたことがない。
そんな子どもは、自分を肯定することができず、自分は生きている意味がないと、自ら命を断とうとするのです。
数年前、自殺予防のシンポジウムでご一緒させていただいた「夜回り先生」こと水谷修氏はこう訴えていました。
死にたくて死ぬ子はひとりもいません。
子どもの自殺は学校の中だけの問題じゃなく、社会の問題。
「子ども社会は大人の縮図」なのです。
社会を見渡してみれば、「ひとつの正解」が溢れています。
進学も、就職も、結婚も、出産も、出世も、みんなみんな「ひとつの正解」にを求め、走りたくもないのに走らされている。
ちょっとでも「正解」から外れると、負け組だのがんばりが足りないのだの揶揄され、「どうせ俺なんて……」と自己嫌悪に陥っていく。
10人いれば10とおりの価値観や生き方があって然るべきなのに、なんとも不思議なこと。
良い中学、良い高校、良い大学に行き、良い企業に就職する---。
学生の「大企業志向の高まり」も、「ひとつしか正解がない」という息苦しさの裏返しなんじゃないでしょうか。
「“正解”を手に入れない自分は、生きている意味がない」という強迫観念が、日本の20代、30代の若者の自殺が「先進国」で突出している背景にあるんじゃないでしょうか。
そして、50代が定年後を不安に思うのは、かつての「正解」のチケットが激減していることを察知する一方で、「ひょっとしたら運良く手に入るかもしれない」とはかない期待にすがっているからじゃないでしょうか。
……まさしく既得権益にしがみつく“ジジイ”。ジジイを量産する社会は、若者(子)が生きづらい社会でもある。そう考えることはできないでしょうか?
(以上)




ぴぴ