天才の育成に不向きな学校教育

均等で平均的な労働力を作り出すという政府の学校の教育内容は、特定分野において傑出(けっしゅつ)した才能を持つ一部の天才には無意味な場所です。
学校で求められるのはあくまでも凡人と呼ばれる多数派の大衆を育てることであって、独創性に富んだ人間など求められないのが一般的なのです。
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「広く浅く」が天才を潰しているのではないか。
 
学校では言うまでも無く、時間割などというものが存在します。学校側が子供たちに対していつどこで何を学ぶのかということを全部決めてしまっているわけです。
それなので児童生徒らの興味関心の有る分野や、能力が高い分野を個別に伸ばすような体制でないのは明白です。
要するに学校ではたとえ表面上だけでも全ての人間が一通りの知識を持っていた方がいいという考え方で、1つの分野に熱中し圧倒的な結果を出すようなことは望まれません。
数学が大好きな子供がいるとして、問題を解いているとしましょう。しかし、チャイムが鳴ればどうなるでしょうか?
・・・そう、強制的に中断されて次の授業の準備をしなければならなくなるわけです。そして、何の興味も無い授業でもとりあえず受けなければなりません。
これは結局監理する側の安心感だけなのですが、こんなことが学校では当たり前なので子供達が何か1つのことに集中して能力を開花させるなどという現象は殆ど起きないわけです。
また、学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害ADHD)と呼ばれる少数の子供なども得意不得意の差が激しいので学校には向かないでしょう。
歴史上の天才などもこうしたLDやADHDなどを抱えていて普通の人が簡単に出来ることが出来なかったといわれる人が多かったというのは、先天的な脳機能の異常によるものだという見方が強いのです。
そして結局みんなと同じ事が出来ない子供は学校では異端児・出来損ない扱いされるので歓迎されません。
しかし、みんなと同じ事が出来ないというのは欠点ばかりとは限りません。周囲の人間の誰もが出来ない能力を備えているという見方も出来るのです。
学校で求められているのは決められた授業などを満遍なくこなせて、どの教科でもそこそこの点数をとれるという「バランスの取れた人間」です。
しかし、1つの能力だけが異常に高くその他の分野は全く駄目という「アンバランスな人間」は本当に駄目なのでしょうか。
そんなことは無いはずです。むしろアンバランスで一点突破の特性を持った天才が歴史を塗り替えてきた事例は数多く存在するのです。
エジソンにせよ、学校の授業に適合できなかったからこそ自分の本当に興味関心が持てる分野の研究などに没頭して偉大な結果を残す事が出来たわけです。
アインシュタインも天才物理学者と呼ばれていますが、数学以外の能力は一般大衆に大きく劣っていたと言われています。それでもアインシュタインが落伍者などという人は恐らくいないでしょう。
学校で求められる授業などについて来れないから駄目な子供扱いする風潮が根強いですが、それは所詮「広く浅く」の知識を持っている人間が教師たちに好まれているというだけではないでしょうか。
深く狭く1つの分野で才覚を発揮する子供の方が私はずっと凄いと思います。
天才は自分の好きな事に集中し続けてきた
 
そして、ここから分かることは偉大な結果を残した人物は本当に自分が好きな事・興味の持てる分野というものに大量の時間を投入してきた人だと言う事です。
学校は嫌な授業や行事などがあっても我慢して受けろというのが一般的です。
しかし、嫌な事や不得意な事を仕方無く続けてきただけの人間が成功するというのは無理があります。
嫌な事に時間を仕方なく費やすよりも、本当に価値を感じられるもの・没頭できるものに時間を使う方が建設的で生産的なはずです。
今の学校というのは結局、こうした標準化された人間を生み出して「雇われ労働者」を大量に生産している工場に過ぎないと私は考えます。
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井垣義稀