おバカが集まる「底辺高校」まで授業料をタダにする道理はない

 先の総選挙で大勝した安倍政権は、消費税を10%に上げて教育の無償化を実施するという政策を打ち出している。消費税増税については、リーマンショック級の経済的打撃がないことが条件とされており、緊迫する北朝鮮情勢を勘案すれば、いまだに不透明である。そこで、本稿では財源問題とは一応分離して「教育の無償化」の是非を考えたい。
引用 森口明(教育評論家)
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 憲法は義務教育の無償化をうたっており、現在、小中学校教育が義務教育とされているので「教育の無償化」政策のターゲットは、幼児教育、高校教育および大学(大学院)教育であるが、それぞれにまったく異なる問題をはらんでおり、これらを一律に論じるのは乱暴に過ぎる。そこで、3つの無償化について順に、解決すべき問題点と是非を考察したい。
 まず、幼児教育の無償化については、原則的には推進すべきである。なぜなら、世界の各国が6~7歳から義務教育と定めた近代以降の教育学の進展により、早期教育を社会の構成メンバー全員に施すことは、その社会の知的水準を上げるだけでなく、治安維持効果も持つことが分かっているからだ。すなわち適切な幼児教育を受けた者は成人した後、経済的成功を獲得する確率が高いだけでなく、犯罪者になる確率が低いことが実験で明らかになっているのだ。グローバル化が進む中で、世界一ともいえるわが国の治安を維持することは、全ての日本国民にとって有益である。また、高等教育と異なり、幼児教育に適さない者は存在しないだろうから、無償化の恩恵を世代全員が受けることが可能である。その点でも、幼児教育の無償化は、推進すべき政策と言えるだろう。
 しかし、その政策を推進するためには、幼児教育が、文部科学省が管轄する幼稚園と、厚生労働省が管轄する保育園に分断されているという問題を解決する必要がある。両者は、入園できる年齢も異なれば、幼児を預かる時間帯も異なる。そのために、一人当たりにかかる費用も異なるし、第一、保育園の機能は、実態はともかく、一次的には乳幼児を預かるという点であって、教育は二次的なものに位置づけられている(だから、厚生労働省の所管なのだが)。さらには、幼稚園教諭免許と保育士免許が別という問題も無視はできないだろう。そういった点を解決せずに、幼児教育の無償化を推進すれば、現場に無用な混乱をもたらし、森友学園事件のような公金の不正受給問題の温床となるだろう。
 次に高校の無償化について考察する。これは、既に日本維新の会が牛耳る大阪で実施済みの政策なので、政府がそれを全国に広げ、推進しても混乱は少ないだろう。しかし、高校教育を無償化すべきか否かについては大いに疑問がある。これは大学教育の無償化についても同様、あるいはそれ以上に深刻な問題であるが、中等教育や高等教育を無償化する際には、経済的弱者から集めた税金を経済的強者に配布するという側面があることを忘れてはならない。中卒で働く者と高校に進学する者を比較した場合、通常、前者の方が経済的に恵まれていない。高卒で働く者と大学に進学する者を比較した場合も同様である。
これは、財源を消費税に求めても、教育国債に求めても、小泉進次郎氏が主張した「子ども保険」なるものに求めても、まったく変わらない。所得の再分配は政府機能の一部として認められているが、経済的弱者の税金を経済的強者に分配するのであれば、尋常ではない正当性が必要だ。私は、これを正当化するのは「日本経済全体の向上に資する」以外にはないと考えている。
2017年3月、子育て支援などの財源を確保する「こども保険」の創設の提言を発表する、自民党小泉進次郎衆院議員(中央)ら
2017年3月、子育て支援などの財源を確保する「こども保険」の創設の提言を発表する、自民党小泉進次郎衆院議員(中央)ら
 読者諸賢は、現在の高校教育、とりわけ底辺高校の教育水準をご存じだろうか? 少なくとも数学や英語については、中学校の教育をマスターできなかった者に対して、問題をよりシンプルにして解かせている。つまり、中学校課題の再教育がその実態なのだ。このような教育を中卒で働く者が納めた税金を費やしてまで無償にする必要があるのか? 断じて「否」である。
 ただし、高校教育については「義務教育にする」という手法が残されている。それならば、経済的弱者の税金を経済的強者に投入する不正義の問題はおきない。前期中等教育(中学)だけでなく、後期中等教育(高校)までを義務教育期間にするのは世界的潮流であるし、IT化が進み訓練された労働者を必要とする現代社会にとっても適合する。ただ、高校を義務教育にする場合には、左派の論者たちが、高校入試の廃止や、誰でも望む高校に進学できるように制度改正を求めてくることは必至だ。万一、その声に負けて、中学の延長線のような高校を多数派にしたら、日本人の知的水準は地に落ちてしまうだろう。事実、共産党に牛耳られた京都府において、これに類する政策を実施して、京都の府立高校のレベルが急落した歴史がある。
 高校の無償化は、①高校教育を義務教育化し、かつ②現在同様の学力に応じた学校に進学するシステムを維持した場合にだけ、肯定できる政策だろう。
 このように考えていくと、大学、あるいは大学院も含めた無償化は決して認めてはならない政策だ。実のところ、底辺大学の教育も先に紹介した底辺高校の教育と大差ないことになっている。事実上の無試験で入学できる大学も、全国に山のようにある。この現実をそのままに、大学教育を無償化したら、「高い授業料を払っているのだから勉強しよう」という、最後のインセンティブまで吹き飛ぶだろう。
 安倍総理が言う「どのような家庭に育っても、自分が希望する進路に進める」社会を構築することは極めて重要である。しかし、そのための政策は、現在、政府・文部科学省が着手しはじめた給付型奨学金(返済不要の奨学金)制度を、学力優秀な者に限定して一層拡充することであって、大学教育を受けるに値しない低学力の者の4年間の居場所を、経済的弱者から集めた税金で提供する「大学教育の無償化」ではないのである。
 




津田大照