飛び級を許さない日本の悪しき年齢主義

yahooニュース リンク より、以下転載
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飛び級を許さない日本の悪しき年齢主義
日本の教育制度では飛び級や落第は極めて例外的な措置でしかない
年齢がわかれば、その人がどのライフステージ(教育期、仕事期、引退期......)にいるか見当が付いてしまう――日本は「エイジ」と「ステージ」が硬直的に結びついた社会だ。
変動が速く、かつ人生100年の時代では、こういう社会の仕組みは変えないといけない。リンダ・グラットン教授の名著『ライフ・シフト-100年時代の人生戦略-』(東洋経済新報社刊)で指摘されていることだが、その典型的なケースが日本だろう。
学校に通っている子どもや若者ならば、年齢から当人の在籍学校を容易に言い当てることができる。7歳は小学校、14歳は中学校、17歳は高校、21歳は大学というように。統計を見ても、7~14歳の子どものほぼ全員が小・中学生だ(総務省国勢調査』2010年)。
しかし諸外国ではそうではない。内閣府の『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』(2013年)では、13~29歳の生徒・学生の在籍学校を調べている。13~15歳の生徒を対象に、在籍学校の内訳を国別に比較すると<図1>のようになる。
日本ではほぼ100%が中学か高校だが、韓国では7.8%(13人に1人)、アメリカでは4.1%(24人に1人)が大学か大学院に籍を置いている。優れた才能を持つ者は、年齢に関係なく大学に入れる「飛び級」の制度が普及している。
日本でも飛び級制度はあるが、「高校に一定年数在籍したこと」(学校教育法第90条)が前提になるため、10代前半の青少年が大学に入学することはできない。義務教育段階では、飛び級もなければ落第もない、完全な「年齢主義」になっている。
「落第」と言えば、日本の小・中学校でも落第(原級留置)は制度上あり得るが(学校教育法施行規則第57条)、現実にはほとんど皆無であることは誰もが知っている。しかし他国では違い、フランスでは15歳生徒の15.7%が、小学校ないしは中学校で落第したことがあると答えている(OECDPISA 2015」)。同じ数値を64カ国について計算し、高い順に並べると<表1>のようになる(日本は0.0%と仮定)。
トップはアルジェリアで、小・中学校での落第経験率が6割近くになる。上位には発展途上国が多いが、おそらく児童労働の問題も絡んでいるのだろう。背景色をつけた主要国でも落第経験者は皆無ではない。
日本では、義務教育段階で落第させるのは「可哀想」という思いが強くあり、年齢を重ねたら自動的に進級させる「年齢主義」が採られている。一方、フランスなどの諸外国では、課程の内容を習得しないまま進級させることこそ「可哀想」とみなされる(課程主義)。
どちらが良いという話ではない。日本に欧米流の課程主義の方式を持ち込んだら、大きな混乱は必至だ。前の学年の内容を随時復習させるなど、日本の慣習に即したやり方で形式的進級の問題を克服することが現実的な対応だろう。
しかし落第はともかく、飛び級はもっと適用しても良いように思う。14歳で数学検定1級と取ったとか、小学校低学年で優れた文芸作品を発表したとか、幼くして才能を発揮する子どももいる。そうした特別な才能を伸ばすことは今後求められる。
教育、とりわけ義務教育の目的は「調和のとれた人間形成」だが、金太郎飴のごとく均質な「バランスのとれた」人間を育てる必要はない。斬新なイノベーションが重要となる21世紀では、少しくらいバランスに欠けていても特定分野の才能がずば抜けている逸材はもっと出てきていい。皆が同じ時間に出社し、同じ制服を着て、同じやり方でモノを大量生産する「20世紀型」の工業社会は終わったのだ。
日本の労働生産性の低さは、年齢による役割規範が強すぎること、年齢によって才能を抑えつける風潮があることとも関連しているのではないか。
悪しき年齢主義を打破するには、履歴書の年齢記入欄を撤廃することから始めるのが良いかもしれない。年齢を記した履歴書を求めたり、求人票に「~歳まで」と書いたりすることは、諸外国では年齢差別以外の何物でもない。
いくつになっても学び直しができ、一定期間休んで(引退して)再び仕事に戻れる。そんな柔軟なライフコースを可能にすることが望まれる。それは、個人の幸福だけでなく、少子高齢化や労働力不足が進む日本にとって必要不可欠だ。
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山上勝義