教育=学校ではない

学校という枠組みを是としたままでは、新しい教育は考えられないということ。偏差値という価値もそう。社会が望んでいる力を考えたら、学校の成績がいいだけというのは現実離れした価値。親はそのくらい既に分かっているはず。そもそも勉強できたと自慢できる親はどのくらいいるのだろか。そもそもそんなことが自慢だと思っている大人がどれだけいるのか?
--------------------------
教育=学校ではない!!-新時代の学校のあり方-
リンク
教育という言葉を聞くと誰しも反射的に「学校」を思い浮かべるのではないでしょうか 学校と教育は切っても切れない関係にある。 両方でワンセット。そういうことです。
つまり学校を前提に教育を考えるのは誰にとっても当たり前の常識になっているということです。特に「子どもの教育」を考える場合は。
しかし本来、教育という概念は学校や学校制度とは必ずしも関係がないのです。学校がなくても「教育」そのものは成り立つし、むしろ個々の能力に応じた教育をやろうとすれば学校の存在はジャマになるかも知れません。
昔から特権階級の子弟などは家庭教師による個人教育が普通でした。
現在のような、学校を通しての一斉教育の歴史はそれほど古いものではなく近代に入ってからです。それまでは「子ども」の概念すら存在しなかったからです。
子どもたちが発見され(=ココ)、また産業革命により大量の労働者が必要とされたことを背景に、7~8歳から15,16歳の子どもたちを「教育」することで社会に適応した国民をつくることが急務だったからです。大衆教育の誕生ですね。
そこでは読み書きや計算ができることと国民として社会のルールや規律を身につけさせるの2つが基本でした。
そして大量の生徒にこの2つを教え込む手段―装置―として学校という制度は効率的だったということです。
学校という1つの場所に一定年齢の集団を集め、同じカリキュラム同じ教科書、そして集団主義的ルールを一斉に課す。これはとても効率の良いやり方です。
「子どもの発見」と「学校」の誕生は同時発生的であり、学校の登場は国民の平均レベルを効率的に引き上げ国民国家(近代国家)の発展を促す上で大きな役割を果たしたのです。ただここで問題なのは、学校というシステムは大衆の平均値を上げることには貢献するものの、個々の能力や個性を伸ばすという点では効果的ではないということです。そもそも学校はそのような役割の場所ではないからです。
あくまで平均レベルの底上げと、その時代や社会の価値観を植えこむ場所だからです。
◆画一教育こそ学校の役割(中略)
いま「教育を変えろ」という動きが社会の様々な領域からわき起こり、学校でもAL(アクティブ・ラーニング)型授業やディベートを取り入れた「主体学習」が導入され始めました。しかしこれらの新しい試みも「学校制度」という従来のシステムの中でも考えている限り「枠」から飛び出すことは難しいでしょう。枠そのものを外さない限り「絵に描いたモチ」になりかねません。では、どうすればよいのか。
私には2つの方向性があるように思います。
まず1つは、学校が学校の構造的問題を正確に認識した上で従来の枠組みから自由になること。もう1つは家庭教育の重要性です。
◆教育を学校から取り戻す(中略)
家庭教育は今後ますます重要になると思います。「子どもがどのような人間に育って欲しいか」「どのような価値観で生きていくのか」その辺を親自身が明確にしておく必要があります。
学校の提示する価値観(テストの点や偏差値、集団主義や同調を強いる指導法)をうのみにして我が子にそれを上塗りするのではなく、もっと自分の子どもの個性や特性をしっかり見ることです。観察することです。
◆教師は良きサポーターとなれ(中略)
いま求められているのは、教師と生徒の伝統的役割の変更であり発想の転換であるはずです。そこを変えずに「形式」だけ新しくして、過去の学校改革と同じ無残な結果しか招かないでしょう。
--------------------------





匿名希望